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表現物を楽しむための輪郭の提供

表現物の理解と素養

 どのような表現物でもそうですが、その作品を理解し楽しむためには素養が必要です。
 小さな子供が大人のややこしい恋愛模様を描いたドラマを楽しむことは難しいし、歴史を知らない人がナチス映画を十全に理解することも難しいでしょう。
 文脈を多く含んだ作品ほど客に素養を要求します。素養とは、より具体的には知識や経験、視点、センスといったものになるかと思います。素養を持たない人には高度な文脈を持つ作品が楽しめないことになります。
 この敷居の高さを解決し、できるだけ多くの人に作品を楽しんでもらえるようにする営みを、この記事では「表現物を楽しむための輪郭の提供」と呼びます。

輪郭の提供の具体例

 輪郭の提供の具体例は、以下のようなものとなります。
・映画や小説に対する批評文
・動物園などの、展示物に関する案内文や音声ガイダンス
・よりマニアックな物の前に提示される「入門編」的作品

 1番目と2番目は、知識や視点の提示を言語的に行うものです。
 3番目については一次的には経験の提供になります。この経験を通じて知識、視点、センスなどを培って、より高度な文脈を含む作品を楽しむ素養を持つに至ります。
 このように、素養を持たない人への輪郭の提供というのは、それ単体で商売やサービスとして成り立つぐらい必要とされており、表現物を多くの人に楽しんでもらうためには欠かせない要素になっています。

より美しい形での輪郭の提供例

 僕はこちらのMVを見て、とても美しく効果的に輪郭の提供をしているな、と思いました。
 このMVは、ソングライター/ボーカルとして、バンドRadioheadの顔のような存在であるトム・ヨークが、バンドの曲に合わせてダンスするものになっています。トムの個性的すぎる動きが目を引きます。自身の曲に陶酔しながら自由にダンスをすることで、見る者に曲の楽しみ方という輪郭を自然に授けています。
 「輪郭の提供の具体例」で示した3つの例と比べてこのMVが高度であると感じる理由は他にもあります。以下のものです。
・非言語的である
・作品と切り離されたものではなく、一体となっている

 やはり素養のない人への輪郭の提供として、最もベーシックなものは言語による解説になるかと思います。そもそも言語というものが相互理解、情報伝達の手段として卓越したものであるためです。しかしながら、言語での素養の補完よりも非言語のものの方が優れている点があります。より感覚的な世界である「センス」へダイレクトにアクセスできることです。「頭では理解できるけど感覚的にわからない」といったよくあるトラブルはこの問題であって、これをシンプルかつ直接的に解決するのが非言語での輪郭の提供になります。やはり言語によるものに比べて、非言語での輪郭の提供は難しいものだと思うのですが、このMVでは高いレベルでそれが出来ているように感じます。
 また、MVは音楽と映像が一体となったものですので、批評文などのような完全に作品と分離された、遠い距離からの輪郭の提供とは異なります。一体になっていますので、同時進行で展開されます。「イントロではゆっくりと動き出す」「盛り上がり所で悶えるように身を捩る」というように、作品と分離された批評文のように「今この部分について解説してますよ」という余分な内容が省かれて、本編と並行して提示されていきます。美しいですね!!
 ↑のMVを見ずに文章を読み進めてるって人も一度見てみてください。

大喜利では

 大喜利においてはやはり生大喜利で輪郭の提供がやりやすいですよね。回答を喋りながらフリップを裏返すタイミングを工夫するとか、口頭で内容を喋りながら、フリップには絵だけ描いてるとか。司会が回答にツッコミを入れるのとかもそうですね。
 ネット大喜利ではどうかっていうと、あまり盛んではないように思います。回答数無制限系で少人数が判定する形式なんかだと、回答にコメントが付与されてて、面白さが増幅されていたりします。また、大喜利登竜門の華めく大河が好きなのですが、あれなんかは言語によって「なぜ面白いのか/つまらないのか」という視点やセンスを教えてもらえるのでとても楽しいです。僕は新しいことを習得する際の飲み込みがとても遅いし、短考が苦手で手を出していないので数をこなす機会も少ないです。そんな僕にとって華めく大河は大変ありがたい場所です。
 ネット大喜利が、より多くの人を取り込んで大きくなっていくのが目的なのだったら、この素養のない人への輪郭の提供という視点はとても大事かなと思います。ネット大喜利は持っている文脈の量がエグい。そう思います。

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