「くだらないけど価値のあること」との付き合い方で趣味の寿命は変わる

はじめに

 僕はネット大喜利をかれこれ15年ほど続けています。自分で言うのもなんですが、驚異的で、そしてやや気持ち悪いかもしれません。
 これほどまでに同じ趣味を長く継続できている理由は何だろうかと考えてみると、タイトルのとおり、「くだらないけど価値のあること」と上手に付き合えていることが鍵なのではないかと思っています。

くだらないけど価値のあること

くだらないけど価値のあること とは?

 では「くだらないけど価値のあること」とは何を指して言っているのか?抽象的かつ端的に言うと、「自分の外側の価値」と言えるかなと思います。これを具体的に言うと、
・自分の生み出したものへの他人から下される価値判断に従うこと
・他人から下される価値をより高める方法論に従うこと
 などになるかなと思います。

なぜくだらないのか

 自分にとっての価値が王様だからです。これが何よりも尊くて、自分の外側の価値はこれに遅れてついてくるものであります。僕はロックンロールなので、この辺の価値観については全く違うという方も多数いるかと思います。
 また、他人から下される価値や方法論などに従いすぎる風潮が生まれてしまうと、そのコニュニティーのセンスや技術が均質化、統一化されてしまいます。これもくだらないことだと思いますが、これについては後に詳述します。この話はマクロ寄りの話になり、別で語った方がいいため。

なぜ価値があるのか

 まず、外側の価値によって得られる幸福感をすっかり無視してしまうと、それはそれで幸福でなくなってしまうからです。他人からの評価なんてどうでもいいと言いながらネット大喜利をやっている人がいるとしたら、ただの嘘つきです。「チラシの裏に書いてろ」が実行できていないから。それをせずにネットに投稿するのは、他人からの評価をあまり信用していないとしても、どこかで期待しているからにほかなりません。
 また、外側の価値を取り込み、内面化することで、自分にとっての価値の幅が広がるという点も無視できないと思います。「この人/この作品に出会わなければこの価値を知ることはなかった!」という経験は誰にでもあるでしょうが、僕はこういったことも素敵なことだと思っています。

コニュニティー内部で発生する均質化、統一化について

 外側からの価値判断や方法論に従いすぎることで発生するコニュニティー内のセンスや技術の均質化、統一化というのは他の分野でも起こっているはずなので、それについて考えてみましょう。まず、他の分野としてスポーツなどを持ってくるのは間違っています。創作とスポーツでは全く事情が異なるからです。やはり同じ創作の他分野を持ってくるのが正しいかと思います。
 例として絵画について考えます。僕は絵画史に精通しているわけでは全くないので細かいことはわかりませんが、その歴史において様々な技術が生まれ、その習得法も含めての方法論が定着してきたのは事実です。これによって絵画全体の生み出せる価値の幅やレベル(客観的な)が向上しているはずです。
 しかし、この方法論が出来上がる過程に生きている絵描きについて考えてほしいです。彼らのうちいったいどれほどの人数が、方法論に迎合することに一切の懸念も感じなかったでしょうか?限りなくゼロに近いと思います。やはり自分の内なる価値の何がしかを失いながら、方法論に従うことになるからです。これは現代の幼児を観察しても容易に発見できる事実でしょう。内なる価値の一切を失うことなく外側の価値を内面化すればいいと言うのならば、それは理想論にすぎません。理屈ではなく現実に生きましょう。
 コニュニティー内のセンスや技術の均質化、統一化というのは、所属している成員それぞれの内なる価値を大なり小なり消滅させ合いながら、未来のコミュニティーおよび成員の(客観的な)価値、レベルを向上させる営みと言えるかと思います。これに一切の価値も認めないということではなく、それはそれでマクロとしてもわりと素敵なことだと思います。また、ミクロ的にも先ほど言ったような「自分にとっての価値の幅が広がる」ということも素敵です。つまりこの事態は、マクロでもミクロでも、くだらないけど価値のあることと言えるというのが持論です。

「くだらないけど価値のあること」との付き合い方、それと趣味の寿命

 趣味の寿命と言いましたが、より狭めて「創作的な趣味の寿命」とした方が正確かもしれません。
 以上語ってきた、「くだらないけど価値のあること」との付き合い方を誤ると、趣味の寿命は大幅に減ってしまうと思います。
・内なる価値を大切にしすぎて、外側の価値を無視してしまう
・内なる価値を大切にせず、外側の価値に従いすぎてしまう
 といった場合、どこかの時点で「なんかこの趣味やってても虚しいな」と感じてしまうのではないでしょうか?
 新鮮味の薄い結論にはなりますが、これについても「バランスが大事」と言えるのではないかと思っています。
 時には外側の価値を度外視して好きなものを投稿したり、
 時には高評価されることに集中力を割いて投稿したり、
 その時その時の気分で決めて、どちらかに偏りすぎない姿勢を保っていれば、長い間趣味への情熱が維持しやすいのではないかと思っています。
 内なる価値と外側の価値 という二軸を意識して、バランスを維持し続ける。これが趣味の寿命を長くする王道なのではないでしょうか!

P.S.「色んなことをやっていれば飽きない」とかそういう話じゃなくて、この選ばれている二軸が大事です。

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