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向き合うことを選択した開発現場づくり

 元々はAgileJapan2019ひみつきち企画でお声がけしていただいたのだった。「あなたの現場の自慢大会をしませんか?」というお誘いに、二つ返事で乗っかったのだが、すぐに、はたと立ち止まってしまった。その後、「みんなのモブプロ」という企画もありますよ?と救いの手を差し伸べていただいたのだけど、やっぱりすぐには形にできなかった。実行委員の皆さん、本当にごめんなさい。

 そもそも年季の入ったうちのオフィスは、写真撮っても映えないからこういう企画にはすごく向いてない。昔は卓球台も設置されていたけど、先輩が壁に穴を開けて撤去されてから十数年経った。

 でもサクッとチーム自慢やモブプロ自慢できなかった本当の理由は、簡単に言うと、まだ僕たちの誰も、今の現場に納得いってないからだと思う。

きっかけはいつも思いつき

(初期のモブプロ風景)

 最初は2年前くらいに、大型ディスプレイを1枚居室に持ち込んで、「モブプロをやってみようよ」と提案したら、メンバーが乗ってくれたのが最初だった。

 面白そうなことを目にすると何でも試したくなる僕のせいで、ある日から突然、職場に自分だけの集中できるスペースや、好きな本やぬいぐるみに囲まれる空間がなくなってしまったとも言えるわけだ。もしその時 Roman Voting をしていたら、親指を横に倒した人もいたに違いない。

 十何年前にはそれが「アジャイル開発やってみようよ」だったわけで、つくづく職場の仲間には恵まれてきたな、と思う。


シャイだけど、新しいことに意欲的なチーム

 鳥取県人と言えばシャイで、島根県と間違えられても怒らないレベルにおとなしいが、かつてローカル局で「よしもと新喜劇」が放送され、また島流しにあった関西出身の若者で鳥取大学の大半が埋め尽くされる位に若干の関西かぶれなので、「かつ江さん」の様なヘンテコ企画が疾走するセンスも持ち合わせている。

 そのシャイぶりたるや、昨年、遠方からAgileJapan実行委員会の皆さんが(蟹食べるついでに)訪問に来た際に一言も発しないレベルに揃いも揃って奥手(その節は申し訳ございませんでした!)だし、一方で我々が持つセンスのズレのせいで、現場に「都会のアイデア」を適用すると、ことごとく新しい問題が発生するのであった。

モブプロは課題発生装置

 大型ディスプレイを設置して、2年くらい経った僕たちの現場には、本当に様々な変化が起きたけれど、正直、良い変化よりもトラブルの方が多かったと思う。

 会社に来てから帰るまで背中合わせで座ってた人たちから、ある日突然パーティションを奪い去って、お互いを向かい合わせて座らせたわけで、結果、基本シャイで控えめで優しいセンスのズレた人たちが引き起こす、ありとあらゆる社会的な問題が勃発した。

 そしてそれは、今も発生し続けている。

 個人的体感では、モブプロの課題発生力は、十年前に体験したペアプロのそれを遥かに超えている。もう「伸び代しかない」とはこのことか、という感じ。

(その昔、バグ出したペアの頭にアフロを被らせたりしてその節は本当に申し訳ございませんでした)

進化の途中で起きる様々なトラブル

 チームの様子を日々観察していると、予想もしないことが次々とが起きて本当に楽しい。

 モブスペースを作るために「おやつ神社」が破壊されたり(破壊した人は自分のおやつは自分で買ってきて食べる派だったことが後日判明)、他チームからモブチームうるさいと苦情が来たり、苦情が来ても決してモブスペースで騒がしくするのをやめずにさらに他チームと険悪な雰囲気になったり、実はチームのメンバーそれぞれ、キーボードやキーバインディング、タイピングの姿勢に強い拘りがあり、とてもじゃないけど15分毎に席交代とかあり得なかったり、1日中お通夜みたいだったと思えば、議論がヒートアップして話してるだけで夕方になったり、モブしてる振りして別のことをしていたり、いつの間にか全員個人作業やってたり、大型ディスプレイ調達してモブスペースに設置したと思ったら自席でNotePCでで作業してたり...本当に飽きない。

(ブラインドを開けて仕事したらモブ気持ちいいかも、と思ってやってみたら高所恐怖症の人には辛いということが判明した瞬間の写真。鳥取は田舎なので3階建て以上の建築物が極めて少ないのである)

 個人的にはこれ本当に事例の宝庫だなと思いつつ、その状況に対してチームのメンバーがどう感じて、どう考え、次に繋げるかを観察することを第一にしている。ひみつきちは実験室なのだ。

ひとりひとりと向き合うと、自分達だけの現場ができていく

 そんな中でもチームは、定期的に自分達のやり方を振り返り、改善策を講じている。例えば表面的には、モブ〜ペア〜ソロの配分をちょこちょこ変えたり、朝会や夕会といった共有のタイミングを作ってみては変えたり、タイムボックスをちゃんと守ろうと言ってみたり、ブラインドを下ろしたり、と言うことが起きるわけだが、実際にその裏で起きていることは極めてウェットなことが多い。そういったドロドロとした人間臭い問題を何とか社会的、または個人的な問題をプロセスや行動原則、ゴール設定、ワークショップを駆使して緩和、回避しようとしても、小さな棘は残ったままで、澱のようにストレスが積み重なっていく。

 身も蓋もない事を言えば、チームのメンバーにとって、大抵のことは面と向かって話しづらいことだ。そもそも、竹を割ったように話し合えるならこんな田舎で地味にシャイなエンジニアやってないわ!心理的安全性ナメんな!...てな感じなんだろうけど、それでも彼らはサインを出してくれるし、何とかしたいと言う意思を発してくれる

(一見いい感じだが、それとなく大ピンチのアピールをしているシャイな鳥取県人ペア。ヒント:バーンダウン)

 その都度、相談に乗ったり、仕事の手を止めて集まって話をしたり、別室で対面で話す時間をとったり、そのやり方は様々だが、チームのメンバーの考えや思いを少しでも表出させ、噛み砕くように理解するための行為を積み重ねていく

 何とかしてお互いの考えを知ることができたら、漸く、「自分たちは、どんなチームになりたいのか」と言う事について話せる様になる。過去、自分たちが経験してきた数多くの実験結果を頼りに、あるべき姿のイメージを共有し、議論を通じて言語化を試みる。共同作業の末に、もし原則の様なものにたどり着くことができれば、自分たちだけで声を掛け合って、立ち止まったり、軌道修正ができる様になってくるからだ。

 そうしてその人なりの解決策をチームと共に探ったり、問題を整理してチームに任せていくと、自分達すら予想もしなかった方向へチームが変化していく。最初の頃は、自分達が何に我慢できないかもわからなかったのに、徐々に自分のことも、相手のことも、どんどんわかるようになってくる。オレたち大概十年以上一緒に働いてるのにまだそんなかよ!とも言えるんだけど、お互いを知るのは時間よりも密度なんだよね。気づいただけ良かった。

 机を一つにして向き合うことを決めたその日から、誰の目も見ることなく1日を終えていた時よりも、マシなことができる可能性に満ちていると思ってやっている。

(1テーマを2モブでやってみるの図)

まとめ

 僕たちのチームはそんなに自慢できることはないんだけど、「きちんと地雷を踏んで進んでいる」点は胸を張って言えると思う。それってつまり、チームとしてお互い向き合うことを諦めてないってことだから。

 もう少々のことには動じないし、人生の多くの時間を同じ土地・職場で過ごすが故の深くて悩ましい人間関係にも、腰を据えてかかる覚悟ができているチームになっている思う。

最後に

 もうちょっと詳しい話を 9/7(土)にAgileJapanサテライト大阪でしたいと思います!!良かったら来てね〜



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