千夏メモ テーマ「吃音は個性ですか?」【修正版】
こんにちは、千夏です。今回はTwitterの発信を積極的にしていた頃のものをこちらに投稿します。
「千夏メモ」というのは当事者の私が吃音についてこう思うよというのをまとめた文章です。
私の名前が入っているのはあくまでも一例として見てもらいたいからです。思いつくままに書き出したため文章が乱れています。そのためメモ程度に見てくれたら良いなという思いも入っています。(吃音メモとしてしまうと私がその代表みたいに聞こえてしまうと思っています。)
以下が千夏メモの本文です。
私の見解を言います。
人それぞれ。
めんどくさいけど、個性ってそういうもんだと思う。私は私の人生しかしらないし、他の人の吃音のことを知らないので分かりません。
当事者じゃないなら勝手に決めないでほしいと思う。当事者の方でも自分以外の当事者の個性や吃音の捉え方を決めるのは変だと私は思う。
現在の私は吃音があることが嫌ではない。むしろあってホッとしている一面がある。吃音がなければ私も無自覚に、そして気軽に吃音のある人を傷つけていたと思うからだ。表面的に分かろうとしている人はだいたいずれている。私もきっとそういう人になっていたんじゃないかなと思う。
私は吃音によって慎重さを得た。それが良いのかはさておきそういう個性を持つようになったのだ。私の親は吃音の存在自体を否定はしない。吃音は個性だと言っている。こういう主張をしていると配慮なんか要らないという教育方針に見えるかもしれない。しかし時折両親は合理的配慮を使えるように先生とかけあってくれていた。個性という言葉は好きではないけれど、困りごとの配慮に対応してくれたのでまぁいいかとしか思わない。
これは吃音のない人と保護者の方に強く言いたいことなのだが、
吃音によって本来の性格や個性が抑圧される人もいる。
抑圧はされなくても勘違いをされたり、本来の自分を見てもらえない人もいる。私は「超」目だちたがりやなのだが、自分の名前が言えないので人見知りと間違われる。吃音自体が個性かはさておき、表面的な印象で個性を判断することは危険だと思う。それと小説で見かける「陰キャ+吃音」という設定には注意してほしい。おどおどしていて暗いのが吃音ではないからだ。
もちろんおどおどしていて暗くて吃音もあるという人もいる。(私にもその一面はある。)
しかしそれはあくまでもその人の個性に吃音が加わった、もしくは吃音に影響されてそういう個性が形成されたということに過ぎない。
ただし症状によっておどおどしているように「見える」、もじもじしているように「見える」場合もあるので要注意。
私はこのステレオタイプによってあなたに吃音はないよと何度も何度も言われてきた。
☆私は個性だとは思いませんが、自分の個性と断言している人も多くいるのでその人が個性と言っていたらそれを否定せずに受け止めてください。
というわけで
まとめ
①個性かどうかは本人の吃音へのスタンスと過去の経験と元の性格次第だと思う。
②個性かどうかよりも本人も周りの人も「困りごとと向き合えるか」の方が大事。
③表面的に個性を決めつけてしまうとそれにより困りごとを新たに生み出してしまうことがあるので要注意。
④本人が個性と言っていたらその人の場合はそうなんだねと受け止めてみるのも大事。
→個性は自分で決めるもの。強要しない、決めつけない
千夏メモ終わりです。吃音の有無に関わらず個性は決めつけられないなぁと思います。吃音ないけれど興味を持ってくれた方とても嬉しいです。