目に見えない障害。

周りに生きづらさを感じている人が結構いる。
私もその中の一人だ。

小さい頃は、周りの意見に合わせないと話についていけない、仲間に入れてもらえない。と思い込んで人の顔を伺いながら合わせるのに必死だった。

しかし、年を重ねるにつれて自分の意見を持つようになり、人と合わせることに違和感を感じおかしいと思えてくるようになった。

出来ないことがあるのはいけないことで、テストの点数や成績を数値化され、できないと否定された感じがする。

前髪の長さ、スカートの長さ、下着の色、カバンに付けるキーホルダーの数まで決められる。

優等生という訳ではなかったが、派手な方ではなく、違反というものはしていなかった。
スカートが長くて重く、膝にあたるので歩きづらい、とさえ常に感じていた。

しんどさを抱えつつ、学校という小さな社会に属している以上はそこに合わせることが何よりで、当時はそれが当たり前だったけれど、今思うとそこまでしないといけないのか、おかしい。と思うところはたくさんある。

そんな社会の窮屈さや、目に見えない生きづらさの積み重ねによって病気になってしまったり、反対に人を傷つけたり、引きこもりや自殺が増えているのかもしれない。
それが直接的な理由ではないにしろ、どうしても無理をしてしまう。そんな状態を続けていたら心も疲れてしまう。

高校を卒業してからは色んな人と出会うようになった。引き寄せ合うのか、出向くコミュニティや仲良くなる人は生きづらさを感じている人が多い。

別にそれが良いとか悪いとか何だとか、言いたい訳ではない。社会では、社会不適合者だの、障害者だの一つに括って言われるだろうけど、一人一人向き合って話してみると生まれ育ってきた背景などがあり、全てが本人の責任ではないと思えてくる。
少なくとも、その人は悪くないと思う。

それに、その人の性格、個性、得意なことは様々で、羨ましいと思えるほどその人の色を持っていることが多い。
それは、とても素晴らしいことで強みにもなる。
しかし、社会で働いていく上では対応が難しいこともある。
人間誰しも多少不得意な事はあっても、本人の努力では何ともならない、もどかしさや自己嫌悪感。
自信喪失。

身近な人に暗いところで目が見えにくくなる障害を抱えている人がいた。仕事終わりに夜道を帰っている時にバイクでひき逃げをされ、怪我をしてしまった。
以降その出来事がトラウマとなり、車が通る度に怖くなってしまい身体だけでなく、心にも傷を負ってしまった。

いとこがアスペルガー症候群だと診断されたらしい。近くに住んでいるわけではないので、正月やお盆にしか会うことがないのだけど、昔からイジメにあってきたこと、死にたいという一言で状況に気づいたこと。
間近で見てきた家族、何より本人が一番辛く大変な思いをしてきたのだと思う。

2ちゃんねるなどネット上でアスペ!アスペ!と人を馬鹿にする時に使う差別用語があり、実際に身近な人が使っているのを聞いて、不快に思い注意をしたことがある。

障害の表記を障がい、障碍とするけれど、その考え方こそが差別であり暴力になってしまうことにも繋がる。
どんな人であっても、人間の存在が害になることはあってはならないし、そうは決して思わない。

人間誰しも、障害を抱え生きているのだと思う。
生きづらさ、理解されない孤独感、不安、壁。
そのものを障害と呼ぶのだろうと思っている。

それでも、一生懸命今を生きている人が少しでも生きやすくなるよう願う。きっと、心無い言葉で差別をする人もいるだろう。理解しようとしない人もいるだろう。そんな人に期待をしても無駄だと思う。

生きづらさを感じている人が活躍できる場所や、居心地の良い居場所が見つかればいいなと思っている。
そして、ゆっくりでも自分自身も本当に得意なことを見つけて生きやすい場所を見つけていきたい。