あの人はいま

この仕事を始めて5、6年経ったころだったかな。ある団地の外壁修繕工事を請け負ったときの話です。

その物件は築40年ほどの古い建物でしたから、ファミリー向けの棟に完成当初から住んでいる居住者は高齢者ばかりでした。

推定年齢70歳超と思われるFの婆さんも1階に住んでいるその1人でした。

ある日、Fさん宅の前にある手摺壁を補修していると、目の前の駐車場で、スーツ姿の若い兄ちゃんが何人かの老人に取り囲まれてモメていました。

F婆さんも真っ赤な顔をして激怒している様子。

人だかりは少し離れていたので会話の内容までは聞き取れなかったのですが、帰ろうとするスーツの兄ちゃんにF婆さんは「次に来るときは責任者を連れて来なさい!」と怒鳴っていました。

ブツブツ文句を言いながら戻ってくるF婆さんに事情を訊いたところ、目の前の駐車場を地上二段式の立体駐車場にする計画に反対しているとのこと。

立駐化予定地の様子をたまたま見に来た管理会社の担当者をとっ捕まえて直接苦情を訴えたらしい。

なぜそんなことするのかと訊ねたら「だってね、車の排気ガスは身体に悪いし、朝早く出て行く車や夜遅くに帰ってくる車がうるさいじゃない!」と再び激怒。

もう70歳も過ぎてる(推定w)のにいつまで生きるつもりなんや、とは言えませんでしたが、なにか腑に落ちない気分になりました。

確かに、若い人ほど出歩かない高齢者は、駅近で買い物にも不便しないこの団地にたくさんの車は必要ないと考えるかも知れません。

でも、世帯数に比べて駐車場の数が圧倒的に少ないのはどこの集合住宅も同じで、限られたスペースの中で出来るだけ多くの車を停めたいと考えるのは、居住者にとって住みよい環境を整えたり、新しい居住者を呼び込みたい管理者側からすれば当然のことでしょう。

ただ、そんなことを怒りに満ちた老人に話したところでマトモに聞くとは思えなかったので、一応こんな感じで話してみたんです。

「いいかいFさん。もうすぐ電気の時代がやってくる。車だってハイブリッド車や電気自動車がどんどん増える。そうなれば身体に障るほどの排気ガスは出ないし、建物の中にいれば音もしないんだぜ。」

それを聞いたF婆さんは、こう答えました。

「あたしが生きてる間にそんな時代が来るわけないじゃないの!」

先日、この団地で十数年ぶりの仕事があり、F婆さんのことを思い出したのです。

あの老人たちの恫喝が奏功したのかはわかりませんが、駐車場は舗装工事が終わったばかりで立駐化はされていませんでした。

F婆さんも生きていれば80代半ば(推定w)。もう虹の橋を渡っていても不思議ではありません(推定w)。

なんか懐かしいなあ、なんて感傷に耽っていたら見覚えのある婆さんがワシの前を横切り、ゴミ出しのマナーが悪い外国人居住者を怒鳴り散らしていました。

あの婆さん、まだ生きてた。(しかも元気……


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