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米当番

「あなた!今週は米当番よ」
出勤の準備をしている私に妻は声をかける。
しまった! 完全に忘れていた。一気に憂鬱になる。
今日は午前休を取る事になりそうだ。

私が住んでいるタワーマンションは高さが2000メートルを超える。高層階は低気圧で、沸点が低く旨い米が炊けない。

数多くのタワーマンションがこの"米問題"に四苦八苦していた。各タワーマンションがそれぞれ対策を取る中、私が居住しているタワーマンションは"米当番"制を敷いている。

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「当日になってリスケとは何事だ!、そもそもお宅がシステム障害の時は…」心を無にして平謝りする。感情を一旦意識の外に持っていくのは慣れていた。

謝罪の電話が終わり、地下20階まで降りた先の"炊飯室"と書かれたドアを開ける。

「NO MESHI,NO LIFE」というポスターが貼られていた。高層階の子供がいたずらで貼ったのだろうか、触れない。


「田村 177階 ゆめぴりか 3合」
「山田 167階 あきたこまち1合」
注文票を見ながらオートマティック・ライス・マシーンに入力する。
しばらくすると炊きたての米が詰められたライス・カートリッジが出てきた。カードリッジに印字された銘柄と注文票を見比べる。間違えると下手したら殺されかねない。

注文間違えはない事を確認し耐圧スーツを着て酸素ボンベを担ぐ、カートリッジを持ち米当番用のエレベーターに乗り込んだ。

動き出して少しすると「減圧症に注意!」という無機質な機械音声とヘルメットを被った二足歩行の猫の画像が表示される。
減圧症、エレベーターの急上昇により気圧が減圧し、血液中に溶けていた窒素が気泡をつくり脳卒中のような症状となる。
何度か死者が出たようだがもみ消しているようだ。耐圧スーツのスイッチを入れる。重低音と共に体が締め付けられる。


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「お前!貸出目標いってないじゃねえか」
支店長の怒号が全てのはじまりだった。

私は支店長の怒りが収まるのを必死に耐えていた。
「そういえば、まだ自宅を買っていなかったよな?"結婚祝い"に俺が融資の承認をしてやる。」
こんなやり取りだっただろうか…

私は旧行時代から取引のあったデベロッパー、川万株式会社が開発した都心からほど遠いエリアのタワーマンションを購入したのだ。

まだ25,6の若造がタワーマンションを買った事についてよく話題になった。しかし二言目の会話でタワマントークは大体終了となる。
「どこのエリアのタワーマンションを買ったの?」
何をどう間違えれば"ドクダミが丘"なんて辺鄙な所のタワーマンションを買うだろうか。


ただ 意外と中層階より上に限って言えば人気のマンションのようである。
理由はこの米当番だ。コストの関係で米当番の給米方式を採用しているマンションは殆どない。

大体は高置炊飯槽給米方式か増圧直結給米方式である。勿論米は全戸で1種類しか選択できない。ここでは米当番制を用いている為、自分の好きな米を指定できる訳だ。

そうは言っても私のように低層に住んでいる者がありつけるのは遺伝子組み換え米「バイオ・ライス」が殆どである。

米の調達からも解るようにタワーマンションのヒエラルキーは階数である。
相手と10階以上離れている場合、低層の者には人権さえ与えられない。

もちろん、この構造を崩壊させる事は可能かも知れないが机上の空論。低層の人間だけでは議決権を確保できないのである。

私はいち早く支配層である中層階を目指すのを目標とした。
担当する米当番の階数から考えると200階が最上階。そうなると50階が中層階クラスだろうか…


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やっと到着した。エレベーターから出る。
「あなたのセキュリティクリアランスでは、ここを通行する事は出来ません。」防犯バリケードが警告音を出している。
米当番用のカードをかざし、高層フロアに入った。

使用済ライス・カートリッジを回収し、新たなカードリッジを挿入する。
全戸を回り終える。そろそろ終わりか...そう思った時、
「よう 低層」
私をタワマン沼に引き込んだ張本人が声をかけてきた。
「ごきげんよう 152階の山下様。」
名前を呼ぶ時に階数を省略するなどもっての外だ、殺されても文句は言えない。
「ごきげんようとはなんだ? なぜ俺の機嫌を貴様に決められないといけないのか?」
…今日はご機嫌斜めのようだ。15分ほどサンドバッグにされた後、解放される。

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「ったく、なにが瑞々しい穂だよ。第一、富士山より高い所に住んで何が旨い米が食いたいだ!」
こうギンっと壁を殴りたくなるのを抑えてエレベーターに乗り込む。

「まーた奴にやられたようだな」先客がいた。私の入行同期だ。
彼も支店長の"お祝い"でタワーマンションを買った被害者でもある。

私が無言でエレベーターに表示されている二足歩行の猫を見ていると、彼は近づき「ついにあれをする事になった。」と耳打ちした。
「三井のバーコードか?」彼はにやりと笑う。
三井のバーコード、ダミー会社を大量に作成、自身の所有のマンションの筆数を刻み、所有権移転、議決権を水増しする作戦だ。
「管理規約が変わる前、次回の総会には間に合わせたい。協力してくれ。」私は頷いた。

詳細な打ち合わせをしているうちにエレベーターは炊飯室に到着したようだ。
「それじゃあ またよろしくな」彼は炊飯室から出ていった。

私は彼が見えなくなるのを確認して携帯を取り出す。
「もしもし理事長ですか? 反逆者を発見しました! ...はい、ありがとうございます...つきましては何卒私を上層階に...」

この後、彼を見る事はなかった。


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「君もついに50階まで登り詰めたな。おめでとう。」
このタワーマンションに仇なす反逆者を次々と通報し、私もついに50階、中層階の仲間入りとなった。
辛かった米当番も卒業だ...
「さて...君のセキュリティクリアランスなら1000階~1100階の米当番をして貰おう。」

このタワーマンションに住める事は幸福である。
幸福は義務である。