正しい努力

おはようございます。ぼやきのちむです。
今日のテーマは「正しい努力」についてぼやいていきます。
僕の古参フォロワーさんはこれに関するツイートをよく見ていると思いますが、改めて文字に起こしたくなったので書きます。

2種類の努力

努力には正しい努力とそうでない努力があると思っています。この2つの違いは「最短で望んだ成果がでるか」という点です。
努力という言葉は辞書的に言うと、「ある目的のために力を尽くして励むこと。」とのこと。前提には目的があり、そこの目的達成のために力を尽くして励むことが重要ってことですね。今太字にした「力を尽くして」ここがさらによりコアな大事な部分だと考えています。
ただ闇雲に泥臭くやることを否定する訳では無いですが、このやり方で上手くいかないと「なんでこんなに頑張っているのに結果が出ないんだ」と自己に対して懐疑的になってしまう可能性があります。
この懐疑的な心があなたの自己肯定感を下げる要因になります。
ここで疑って欲しいのは「努力して結果が出ないこと」ではなく、「努力の仕方は本当に正しいのか」です。

努力は手段のひとつ

ここで今日のテーマに戻ってきた訳ですが、「努力」は方法論の1つでしかありません。ただの手段です。目的達成出来ればある意味なんでもいいんです。
「お金持ちになりたい!」と思った時に自分で起業して成功する人も、親の遺産で一気に金持ちになる人もどちらも結果としては「金持ち」になったわけなので、努力は手段としてのひとつです。

その努力がどれだけ最短で目的達成に使えるかどうかを客観的に見れた人は軌道修正が出来ます。「正しい努力ってなんだ、努力は全部正しいだろ」って思ってる人がいたらそれは違うと思います。間違った方向に全力ダッシュしておかしいだろ!って喚いてる人がいたら僕は愚かだなって思います。そりゃ方向もちがければ、それを疑わずして、走り続けるなんてどうしようもないって思ってしまいます。

正しい努力とは

では、改めて「正しい努力」とはなんなのか自論を書きます。
正しい努力とは、「目的を可能な限り細分化し、その一つ一つの細分化項目を成し遂げていくために行うアクション」だと思います。
ここで重要なことはたぶん可能な限り細分化すること。言語化出来ないと細分化なんて出来ません。MECE(考え方の型のひとつ、詳しくはググってね)で階層を分けてそれを着実に全てクリアできるかどうか。これが出来ればやることを見失うことも、正しくない努力をすることは無いかもしれません。
そんなこといっても努力はしたらしただけ意味があるよ!という方もいるでしょう。ごもっともだとは思いますが、クリアしてる項目を何度クリアしても前に大きく前進ということはないはずです。果たして本当に目的達成に近づいてますか?と思ってしまいます。

センスと努力

じゃあ、上記のようなことをしなくてもできる人はなんなんだ。僕はそういう人たちをセンスがある人たちだと思っています。感覚的に、細分化された項目をクリア出来る。もちろんみんながみんなセンスあるわけじゃないですが、僕としては正しい努力は「センスの親」にもなれると思っています。
正しい努力をしている中で細分化された項目とは別の何か、副産物を得ることも少なくないはず。これがセンスの欠片だと思っていて、そこからセンスと呼ばれるような感覚的に上手くこなす能力を得られると思うし、実体験として信じています。

第5人格というゲームでも同じこと

・明確な目標を立てていますか?
・目標を可能な限り細分化できていますか?
・負けた理由/勝った理由、説明出来ますか?
・自分に足りないこと、課題は明確になっていますか?
・その課題に関するアプローチは、しっかり課題解決に繋がる手段になっていますか?

第5人格だけじゃなくて、仕事でも、運動でも、芸術でもこの基本は役立つと思います。現に僕は仕事でも、大学卒業までやっていた陸上競技においても、この考え方で常に努力してきたので、目的達成に近付けたと思います。(大目標はクリアできませんでしたが、、、)

以上となります。
勝てない!環境がくそ!キャラゲーと言っている人、そのキャラで勝っている人たちがいます。落ち着いて、周りと自分をよく見比べてください。何が違うか、何が足りてないか、何をしたら追いつけるか。これだけでも明確にすればきっと進歩すると思います。
あとは努力してみてください。

今日も沢山ボヤいていきました。よかったらコメントも待ってます。私は僕はこう思うということもお待ちしてます!(こういうのボヤいてっていうリクエストについても待ってますw)


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