『イス呑み』というテレビ番組のこと

2020年10月16日(金)の23時15分からNHKのBSチャンネルで放送された『イス呑み〜東京再発見〜』という番組について書き残しておこうと思うのだが、あくまでこれは私の感じたことで、別の視点から見たらまったく違うように映ることかもしれない。

最初に書いておきたいのは、私は「チェアリング」という行為というか遊びについて、「これは自分のものだ!」と思ってはいなくて、権利を主張したりしたいわけではない。SNSをチェックしたらそう思っている方がいるみたいで、「まるでチェアリングが自分のもので、それをマネされたかのように語っていて面倒くさい」という意見を目にした。そういうことが言いたいのではないことがこの後の文章でわかるように書いていこうと思う。

一応「チェアリング」というものについて説明しておくと、私と酒場ライターのパリッコさんとで、アウトドア用の携帯性に特化したチェアを持ち運び、好きな場所に置いてくつろぎ、酒を飲む(もちろん酒を飲まなくてもいい)ということの楽しみを知り、そんな風に呼んでみたのが最初で、2016年に雑誌「酒場人」に掲載する記事用の取材として行った。それが雑誌に載って、思いがけずたくさんの人に親しんでもらって広がっていった。

とはいえ、自分とパリッコさんとでそういう名前をつけて楽しんだというだけで、同じようなことはそれ以前からずっとやっている人はやっていることだったろうし(キャンプをする方にとっては当たり前のことだろう)そもそも私自身、アサダワタルさんの『表現のたね』という本を読んで屋外に椅子を持ち出して座るということを試してみたくなったので、つまり別に自分が何か発明したみたいなことは一切思っていない。それはパリッコさんも同じで、「なんとなくそんな名前をつけてそれがたまたま思ったより多い人に面白がってもらえてびっくりした」というのが正直なところだ。それで一山あてたいという気持ちもないし、みんながそれぞれあまり他の人に迷惑をかけずに穏やかに楽しんでもらえたらいいなと祈るばかり、あとはもう特に希望なし。

なのだが、ありがたいことに2016年以降、チェアリングについて取材を受けたりメディア向けに文章を書いたり(パリッコさんと二人揃って取材されることもあればそれぞれが別々に取材されたりメディア向けに文章を書いたりもした)することが続いている。2020年以降、新型コロナウイルスの影響で大人数での飲み会や遠出することが難しくなると、「チェアリングいいですね」みたいな風潮になってまた取材を受ける機会が増えたりした。

そのような思いがけないリアクションの一つとして「チェアリングをテーマにした本を作りませんか」というお誘いがあり、2019年4月にエレキングブックスから出版されたのが『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』という書籍だった。スズキナオ+パリッコという名義で、多彩なゲストにもご協力いただいて作った本だった。

その本の出版元であるエレキングブックスで書籍の編集を務めてくれた担当者のところにテレビ番組制作会社の方から連絡があったのが、今回書きたいことの主題である番組『イス呑み』の話の発端だった。

エレキングブックスの担当者さんから「テレビ番組への出演オファーがありました」と私宛にLINEが来て、「先方に連絡先を伝えていいでしょうか」ということだったのでそのようにしてもらった。それが6月30日のことで、その日か次の日には制作会社の方から私に電話があった。

※追記 今回はパリッコさんではなく私にだけ先方からの呼びかけがあったのだが、それはなぜかというと、制作会社の拠点が大阪にあり、私の住まいから遠くないことが理由らしかった。

電話の内容は詳細には憶えていないけど、「本を読んでチェアリングについて興味を持った。そしてNHKの番組コンペ(そういうものがあって、複数の制作会社が企画を出し合い、採用されたら制作に取りかかるという流れらしい)にチェアリングをテーマにした企画書を提出したところそれが採用されることになった。本来なら事前に連絡すべきだったが、事後報告になってしまった。一度お会いしてお話をしたい。ご意見も聞きたい」というようなことで、大阪に住む私の家の近所まで来てくれるという。

「そうですか、ぜひぜひ」という感じで予定を調整して近所の喫茶店でその制作会社の方にお会いしたのが2020年7月3日だった。そこでは、すでに電話で聞いていた通り、「チェアリングをテーマにした番組を作りたい。ただ、イメージとしては各界の著名人がチェアリングをしながらのんびりトークをするような番組にしたくて、スズキさん(私)やパリッコさんに出演してもらうという予定はない。レギュラー番組化を目指す特番枠なので評判がよければ今後どのような形かで関わっていってもらえたらとは考えている」というようなお話を聞いた。

私としては全然それは問題ないし、チェアリングをしながらみんなが話している番組なんて面白そうだなと思った。自分からはチェアリングのこと、パリッコさんと一緒にそれを試すようになった経緯、特に「人の迷惑にならないように」という線引きが繊細なのでその点は気をつけていることなどをお話しした記憶がある。自分が言いたかっこととしては「どうぞぜひやってください!」ということと「『人の迷惑にならないようにしましょう』とか、当たり前のルールについてだけ踏まえてもらいたい」ということだけであった。

喫茶店で30分ほどお話をしてお菓子をお土産にいただき、「また進捗があり次第ご連絡します!」と言ってもらって別れた。その日のその後、ちょうどパリッコさんとZOOMでオンライン打ち合わせをする機会があったので、「チェアリングについて制作会社の人から連絡があったので会ってお話ししました」程度のことを口頭で伝えた記憶がある。

あっという間に月日が流れ、8月24日に制作会社の方から番組の収録が終わったことを知らせるメールが来た。「出演者はこの御三方になりました」、と出演者の方々のお名前が書かれていて、「放送日は10月16日なのでお時間ありましたらご覧ください」と記載されていた。

「あ、もう完成したんだ」とびっくりしつつ、出演陣のお名前の中に個人的に尊敬する都築響一さんのお名前もあったので「放送を楽しみにしています!」とお返事した。

それからまた月日が流れ、番組の告知がネット上で開始されていることを知ったのが10月12日だった。

NHKの公式サイト内に番組の概要を伝えるページができていて、それを見たところ、番組のタイトルやサブタイトルには「チェアリング」の文字は無かった。そのかわりに「イス呑み」という言葉が使われていて、でもトップ画像に使われている「イスさえあれば、どこでも酒場に!」というフレーズは、前述の書籍『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』から取ったものと思われた。

同じ告知サイトを見た数名の知人から「チェアリングのマネみたいな番組が放送されるみたいですよ」と連絡があり、「いや、違うんです。その番組のことは前から知っていたんだけど、なんでタイトルが変わっちゃったんだろう……」みたいな返事を繰り返した。NHK-BSでも他番組の合間に予告編が放送されていたようで、それを見た親類から「チェアリングがテレビになるみたいだけどなんだか違う名前になっていたよ」と連絡があったりもした。

ただ、番組の概要を伝えるホームページ内には都築さんが

「イス呑み」というのは、もともと大阪のライター・スズキナオさんが提唱した「チェアリング」で、僕はその文章がすごく好きだったのですが、「まさか自分がやることになるとは!」と出演オファーを受けて驚きました。

と言及してくれたコメントが掲載されていて、「これが載ってるってことは番組の中で少し触れてくれるのかもな」とも思えたので、

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こんな風にちょっとモヤモヤっとしたニュアンスを含めたような告知ツイートをTwitterに投稿した。これは今思うとちょっといやらしい書き方で、近しい人は「なんだこれ!ひどい!」と怒ってくれたし、逆に「ナオさん、そんな小さいことでとやかく言うなんてらしくないですよ、スルーでいいのに」とアドバイスしてくれる人もいた。何かを煽るような風に書いてしまった。

そして放送当日、リアルタイムで番組を見たのだが、「チェアリング」という言葉は出てこず、そういうものが前提であるということわりなども入らなかった。

番組自体は、穏やかなトーン、自分の好きな空気感で、椅子に座って眺めると東京が違って見えてくるという気づきみたいなものを出演者のみなさんが口々に語っていて面白く見た。中盤、お寺の境内やビルの屋上に「番組の撮影なんですけど」と許可を取って椅子を出すところは自分やパリッコさんのスタイルとは違うし、そこにはテレビの権力みたいなものを利用する感じがうっすらあって少し嫌だったが、まあ確かにテレビ栄えのする場所を映すためにはこういうのも必要か、とも思った。30分間弱の放送が終わった。

制作会社の方のメールアドレスは知っていたので、チェアリングという言葉が使われなかった経緯と、だけど書籍のサブタイトルは(ホームページ上にだけだが)引用されていた理由、つまりなんとも中途半端な出し方になっていた理由だけ知りたくて「その理由だけお伺いしてもいいでしょうか」という主旨のメールを書いた。

翌日、制作会社の方から電話があり、「不快に思わせてしまったならすみません」ということ、「特にチェアリングという言葉を隠すような意図があったわけではないのですが、制作過程で『イス呑み』という言葉の方が分かりやすいのではないかという判断になっていき、最終的にはそのワード一本でいくことになりました」ということ、「一応、都築さんがチェアリングについて触れてくれたコメントはホームページに掲載されています」ということ、「このご意見は上の者に伝えさせていただきます」ということなどを伝えられた。

私は電話で話すとまったく上手に言葉が出ないのだが、「チェアリングという言葉を出してくれ!とかそういう主張をするつもりは全然ないのですが、今回は書籍を読んでくださって番組制作が始まって、書籍のタイトルなども引用してもらっていたのにチェアリングという言葉だけが削られているのに違和感がありました」ということだけしどろもどろになりつつ伝えた。

電話を切ってみると、途端にすべてがどうでもいいことに思われたが、書籍の版元と担当者、そしてパリッコさんに申し訳ないことをした気持ちは後に残った。私が「はいはい!なんでもいいです!」みたいな態度でいたためにこんないびつな形になったところが大きい(担当者さんとパリッコさんには、電話で制作会社の方から伺ったことについて後日お話しした)。

あと、繰り返しになるが自分が権利を主張し「名前出せ!金よこせ!」みたいに言っていると思った方もいたらしいのがひしひしと辛く思えもした。

自分はいつも、仮に空き地があったとして「ここ俺の陣地な!」と真っ先に主張するような人間にはなるまいと思っていて、それでもしみんなに土地がとられてそこを去らねばならないなら去りたいと思う。最初にあった空き地でみんながその時々にスペースをシェアして遊んでいた頃が楽しかったのだ。「この場所は俺のもの」「この遊び方を発明したのは俺だからいつも俺を思い出せ」と、言いたい気持ちもまったくわからないでもないけど、自分はそこに加担したくない。けど、今、ひょっとして自分はそうなっているんだろうか?

一方で「でもそうやってスルーしていると、ナオさんと同じような人たちがテレビにいいようにされる流れが終わらず、どんどん加速してしまいますよ」と友人、知人に言われた言葉が強く残った。それは本当にそうだ。政治や社会に対してスルーを決め込んでいると取り返しのつかないことになるのと同じだ、と思った。なのでここにとりあえず顛末だけ書き残しておこうと思った。それで書いたのがこの文章だった。

「こういうことがあるんだなー」程度で受け取ってもらい、もしテレビやその他のメディアに取材を受ける際などに「自分の大事な部分を守るためにちょっと気をつけておこう」と思ってもらえたら嬉しい。

放送後、しばらく「イス呑み」「チェアリング」という言葉でツイッター検索を続けてみたが、チェアリングを楽しんでいる方が淡々といつも通りそれを息抜きとして楽しんでくれている様子が増えていっていて、なんだかホッとした。

おしまい

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