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激昂ホームサウナ

ツイッターにもちょくちょく書いているけれど、私はサウナにハマっている。
コロナを気にしながらも週に2,3回は通っているし、「サウナより良い物、世の中にはなかなか無いよな」と心から思う。

サウナに行く習慣がある人は大抵ホームサウナを持っていて、色んな人気サウナに遠征するような人でも、ホームサウナに行くと「やっぱここだな」と感じるものらしい。
私もそうで、ホームサウナは心の拠り所みたいになっている。

その日も在宅勤務を終えた私は一汗かこうと、ホームサウナに向かった。
私のホームサウナは銭湯だ。
色んな銭湯のサウナを試してみたが、その銭湯はサウナに力を入れていて、サウナ専門店と比較しても遜色が無い設備が整っている。

何より、銭湯なのに露天風呂があるので、外気浴が出来るのが良い。
サウナに行くようになって良かったことは沢山あるが、外気浴はその中でも上位に入る。
裸で風を感じるのは最高だ。
他に似た体験を挙げるのは難しい。

繰り返しになるが、私のホームサウナは銭湯なので、脱衣所から浴室に入ると、まず湯船と洗い場(?)がある。
映画やアニメに出てくるような銭湯をイメージしてくれれば良い。
右手に湯船、左手に洗い場だ。その間を横切った奥にサウナ室がある。

いつものようにサウナ室に向かう途中、突然背後から洗面器が飛んできて、私の脚に当たった。
驚いて振り返ると、洗い場の一番通路側に座っている老人が、頭を泡だらけにしつつ鬼の形相で私を睨みつけている。

「てめぇ!ふざけんなよコラ!!」

怒髪天を衝くとはこのことか、とんでも無い剣幕だ。髪は泡だらけだが。
当然状況が分からないので、説明を求める。

「お前、俺に水かけやがっただろ!」

「いえ、そんなことはしていませんが」

「嘘つけ!お前以外に誰がいるんだよ!!」

確かに彼の周囲には私しかいないが、私も今この瞬間に通りかかっただけだ。
どういう事か?と少し思案してみて、仮説を立てた。
そういえば、私とすれ違いに老人と背中合わせの位置から立ち上がった人がいた。
おそらく、その人が身体を洗い流した際に老人に水(お湯?)がかかってしまい、髪を洗っている最中だった老人はその状況を正しく認識できず、タイミング良く通りかかった私にその原因を求めた、といったところだろうか。

その事を老人に説明する。

「そもそも、私はいま来たばかりでそんな事する時間もありませんでしたよ。ホラ、全身乾燥してますよね?」

「ふざけんな!ちょっと頭使えば分かるだろ!今ここにお前しかいないんだよ!!」

顔を真っ赤にして会話にならない。

ここまで話を聞いていて、私の中に違和感のような物が生まれていた。
ちょっと怒り方が異常過ぎる。
正確に言うと、この人はこんなに怒るようなタイプに見えないのに、それと釣り合いが取れないレベルで怒っている。
これは完全に私の独善的な判断に過ぎないのだが、そんなにヤバい人にも見えないし、ヤカラ特有の歪さや計算も見えない。
喋り口から痴呆症のようでも無い。

(これはなにか背景があるな。一体なんだろう?)

気になってしまったので、訥々と事情を説明しながら頭に昇った血が下がって会話が成立するのを待った。

20分くらい経っただろうか。
私に根負けした、と言うより「なんでこいつこの場を切り上げようとしないんだ?」という不気味さを感じたのか、老人が幾分かトーンダウンしたのを見計らって、一緒に湯船に入るように促した。

怪訝な顔をしながら、肩を並べて湯船に浸かった老人対し、ここぞと世間話を仕掛けた。彼の素性が知りたかったのだ。
元々は物流系の会社に勤めており、今は引退して年金暮らしとのこと。
うん、普通だ。
そう感じたので、思い切って核心について尋ねてみた。

「失礼かもしれませんが、あんな感じで怒るような方だと思えないんですよね。ひょっとして何か事情がお有りなのでは?」

最初、私の質問が聞こえていないかのように視線を動かさなかった老人だが、どこか上の空のような表情で「実は......」と口を開いた。

2か月前に40年以上連れ添った奥様を亡くされた。
それ以来、精神が不安定だし、最近では体調もおかしくなってきている。
生活の中で、今回のような事をしばしば起こすようになってしまっていて、自分でもコントロールできない。

妙に合点がいった。
人間関係と健康は誰にとっても変調する要因になるが、この年齢でそれはさぞや堪えていることだろう。

私は少しアンガーマネジメントをかじった事がある。
アンガーマネジメントは、その名の通り怒りをコントロールする技術体系で、アメリカなんかではプライマリースクールでも教えたりするらしい。(銃社会はキレたらやばいからだろうか)

「6秒間我慢しろ」
「まずその場を離れろ」
「全く別の事を考えろ」

といった具体的な方法論が有名だけれど、私にとって一番勉強になったのは

「怒りは二次感情である」

という構造のお話だった。
簡単に言うと「怒りは単体では存在し得なくて、生命や精神の平衡を守る為の反応である」といった考え方だ。
怒りの裏には、恐怖・羞恥・悲哀・不安等があって、それを認識するのが怒りのコントロールに役立つ。

この老人の場合は、奥様を亡くした寂しさと、健康や将来に対する不安なんだろう。
自分が同じ状況になったら、と考えてみると、普通でいられる自信は全く無いし、ましてこの老人を責める気持ちは出て来ない。
その張り詰めた心中がちょっとしたストレスに過剰反応したとしても、致し方が無い。

思ったより重い話になってしまった事に慄きつつ、立ち入った事を聞いてしまった非礼を詫びた。
「いや、別に良いよ」とぶっきらぼうに応じた老人からはもう、怒りは全く感じなかった。
私の不躾な質問にも答えてくれた。やはり悪い人では無いのだと思った。

風呂から上がって、脱衣所に向かう老人を見送り、当初の目的であるサウナ室に入った。
サウナ→水風呂→外気浴のルーティンを数セット繰り返す。これより良い物マジで無い。

すっかり気持ち良くなったので帰り支度をして、番台にレンタルしたタオルを返す。
その銭湯の番台の前はテレビ・雑誌・漫画が置かれた休憩スペースになっており、テーブルやソファーでくつろぐ事ができる。
常連であるお年寄り達の社交場だ。

そこにさっきの老人が座っていて、私の姿を認めるとおもむろに立ち上がった。
冷蔵庫からコーヒー牛乳を取り出して私に差し出してくる。

「にいちゃん、さっきは悪かったよ。ごめんな」

あぁ
そういえば、共に湯船に入っている間、老人から詫びの言葉は無かった。
ささくれ立った気持ちが落ち着き、時間を経るにつれて、謝る気持ちが湧いてきた、という事だろうか。
老人がすぐに下足箱の方向に向かって帰る風情だったので、私を待つためだけにそこに居た事が察せられた。

その背中に慌てて声を掛ける。

「ありがとうございます!いただきます!」

こちらを見ずに軽く手を上げて応えた老人を見ながら

(自分があの年齢になった時に同じ事が出来るだろうか?)

と自問した。
一度激しく怒りを発露させてしまった相手、しかも遥かに年少の小僧に、素直に謝れるか?
そう在るためには、何をすれば良いのか?

サウナの後のコーヒー牛乳は何物にも代え難いが、その時のそれは、また格別だった。

飲み終えた空瓶を、番台の横に返却する。
心身ともにすっかりコンディションが整った私は満ち足りた気持ちで帰路に着く。
...はずだったのだが、帰ろうとしたところで番台に座っているおばあちゃんに呼び止められる。

「にいさん。140円」

奢りじゃ無かったー!!!

やはりホームサウナは最高だ。