セロリの葉っぱと父の飯

昭和20年代生まれの男にしては、結構台所に立つうちの父。まだ店が忙しかった頃は母がメインで夜ご飯を作っていたけれど、小さな頃から朝ごはんは父が焼いてくれたトーストとティーパックで入れた紅茶が食卓にならんでいた。
小学校高学年になるまでせまい2DKのアパートの2階で生活していた我が家。テレビ台にくっつけて置いたちゃぶ台の上にトースターを置き、それぞれが好きなパンを投入。「ジーーーーーィコ」とダイヤルを回し、新聞を読みながらコーヒーと紅茶を淹れる父の後ろを、母が弟の登園準備や洗濯でバタバタ駆け回っている。私は寝起きの頭でぼーっとしたままパンが焼けるのを紅茶を飲んで待ちながらズームイン朝を見る、というのが朝のルーティンだった。
パンを置く皿はティッシュで代用。いつもだいたい食パンだったけど、父はピロシキが好きで、たまに買ってきては焼けたてのピロシキをティッシュで掴んでトースターから取り出し、そのままおいしそうにムシャムシャ食べる。一度トースターから取り出した瞬間ティッシュから炎が上がって、そのティッシュをピロシキ諸共台の上で叩き散らかし消火したときは、一呼吸置いて二人でゲラゲラ笑った。
アパートで過ごした朝を思い出そうとすると、朝日が眩しくてキラキラとモヤがかかっているような映像が浮かぶ。それだけ穏やかで幸せな朝だったんだなぁ。


とにかく父は刺し身もできるし味噌汁も作る。ていうかほとんど何でも作れる。料理はどっちかと言うと好きと言っていた。熊本地震の後も、ガスが止まっているのでカセットコンロを使い、少ない食材を使って美味しい味噌汁を毎朝作ってくれていた。

食べた料理を美味しいというと「フン」と言って照れ笑いをする。「もうちょっと塩気が要ったね」とか反省点を言いながらもちょっと…いや、かなり嬉しそうに笑う。
しかし美味しいとか言わずに黙々と食べていると「美味しくなかったら無理して食べんでよかよ」とシオシオした顔で言う。まずいなんてことは無く、ただ夢中で食べていても「美味しい」という一言が欲しくてプレッシャーをかけてくるので、父の料理を食べたときはひとくち食べて真っ先に「美味しい!」と言わなくてはならない、娘としてあのシオシオした顔を父にさせてはならないと心に決めていた。傷つけてはならぬと。
母に対してそんな風に思うことも無く、いただきますとごちそうさましか言わずに気も使わなかったのに何でだろう?不思議だ。


ある床屋が休みの第一日曜日。私が高1で弟が小6くらい。母がミニバレーの試合かなにかで不在で、父が昼食を作ることになっていた。
「チャーハンでよかろう」と言って具材を切り刻みだした時、冷蔵庫にセロリがあることに気付いた父。

「セロリはたい、茎ばっかり食べて葉っぱは捨てるんだろ。もったいなかと思わんね?香味野菜だけん、チャーハンに入れたら美味しくならんかね?」と独り言を言って3本分のセロリの葉をみじん切りにしだした。
セロリが好きな私は黙って見ていた。お父さん、貴方が作る料理はきっとなんでも美味しいから心配しなさんな、と思いながら。

炒める作業に入った時、ゲームをしていた弟が「なんかいいにおいしてきたーー!」「お腹へったーー!」と言い出した。「もうできるけん黙って待っとけ!シカ、皿ば出してくれ」と嬉しそうに父が言う。
お腹が空いて鳴いている子どもたちの元へでっかい獲物をくわえてスキップで帰ってくるオスライオンみたいな父と、今なら砂でも食えるという勢いの弟、父を信じてる私。とてもとても、幸せで楽しい時間でした。


皿の上にザーッとフライパンからおとされたチャーハン。
香りも最高。ちょっと緑が多いけど。
3人でテーブルを整え、キャッキャ言いながら椅子に座り「いただきます!」と言うやいなや我先にとスプーンを口に運んだ。

まず「なん!!!」と弟がさけんだ。私は黙った。父は目を見開いていた。
三人無言で目を合わせた後、弟が「お父さん、これ、ボクちょっと」と言うと父が「うん。今まで生きてきてこんな物口に入れたことがないていうくらいうもにゃー(美味しくない)
うん。本当にまずかった。油でコーティングされた食欲をそそるような香味成分のせいで、口に入れた瞬間は美味しいのに、鼻にはチャーハンにカメムシが入ってた?みたいな伝達が起こり、脳が混乱する。しかし最後に残る味はセロリ。

しかし!私は父を信じてるしあのシオシオ顔を見たくないもんだから「でもお父さん!?おとうさん!でもね?セロリがなかったら絶対美味しいよ!!!本当よ!!」と一生懸命口に運んだ。噛まずに飲み込んで次々に運んだ!

「そ、そうや・・・?お前は変わっとるね〜・・・。ハハハ・・・。タカ(弟)無理して食べんでよかぞ」と、ちょっとずつ口にチャーハンを運びながらシオシオ顔で力なく言った。クソぉ!!シオシオ顔になってしまったじゃあないか!無力だ私は!!!
弟は遠慮なく「じゃ、シカちゃんにあげるぅ〜」と言って私の目の前に皿を置いて白ごはんを食べだした。クソが!このKY男覚えとけ!!!

しばらく食べてると「あれ?ちょっと美味しいかも?」の時間が来たけどすぐに去った。
心と味覚を殺し、なんとか一皿食べ上げて「お腹いっぱいになったー。ごちそうさま。タカの分は食べ切れんごめん」と言ったら「無理して食べんでよかったのに。俺ももう無理。いやーほんと、まずかったなwwwwwwwすまんなwwwwwまさかセロリであんななるとは思わんかったwwwwww」とヒーヒー笑い出した。
弟も「ボク一生忘れんけん。今日のチャーハン」と言った後爆笑していた。食べ終わった後、しばらくシオシオしていないか気にして様子見していたけど、特に何もなく父は爪楊枝をCCしながらテレビを見ていた。自分が食べても不味かった物だから、私達がどう思おうがさすがにしょうがねぇってかんじでしょうか。自分は美味しいけどみんなはどうだろう…?の時にシオシオしちゃうのかな。


そしてあれから25年。
正月や盆で弟と顔を合わせると、あのチャーハンが話題に上って腹抱えて笑う時がある。父も「あれはほんなこてまずかった」と笑う。
セロリを買って葉っぱを落としているときもあのチャーハンを思い出す。チャーハンというより、チャーハンを口に運ぶまでのテンションとその後のテンションの差、父がセロリの葉っぱもったいないをつぶやいていたときの自信満々の背中を思い出しちゃう。そしてセロリの筋を除去している時には、フフと笑っている。



以上、昨日セロリを切っている時に思い出したので忘れないうちに書いとこうと思った「興味があっても作らない方が良い、心温まるセロリの葉っぱチャーハンの話」でした。おしまい。

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