最近の所感

久々にTwitterを見るのが怖くなってしまった。

指でワンスクロールすれば様々な人の思念が流れ込んできて、わたしはそれを曖昧にやり過ごすことが出来ずに全てを丁寧に自分の中で咀嚼してしまう。そういうことが起きている。ツイートなんてほとんど意味はなくて、ぼんやりとただ死にたいとか疲れたとか、これがいいだのあれはよくないだのの"呟き"でしかないのに、それに対していちいち本気で生きていたら死んでしまう。

インスタグラムはそれはそれで辛い。様々な人の楽しさを纏った虚構が次々と流れ出してくる気がしてしまう。全てそういうフリでしかなくて、何もそこに本当がない気がしてしまうのだ。例えば楽しさではない、よくある真っ黒の画像に小さい文字で文句を言うようなストーリーもある。しかしそういうものですら、そのようなデフォルトに沿って行われている偽物でしかないと感じざるを得ない。

このような現象は私がただ単にひねくれているためにこのように感じてしまうのか、それともSNSというものの構造的にこうなっているのか分からない。私がひねくれている、というか性格的に俯瞰してしまうというのもあるだろう。例えばわたしは1番自分が当事者であることを実感する、性行為中にすら、どこか俯瞰的な目線になってぼんやりとしてしまうことが多々ある。わたしはそれが本当に嫌で、もっと夢中になりたいしさせて欲しいとも思う。しかしそんなことを言うのはなんだか失礼な感じがしてただただぼんやりとした波に揺れているだけなのだ。

話は逸れたが、しかしやっぱりSNSは苦手だと思う。夜中に電話しながら自分の考えを話すことでよりその考えがブラッシュアップされていく、あの行為に勝るものはないと思う。一方的にこちらの考えや意見を呟くだけで満足させてしまうTwitterにはただ自己満足が溢れかえっているだけで、例えばリプライやDMなとでそれらツイートに対しての反論があっても、そこに対話をしようとする人は稀で、自分のツイートの上で自分は王様なのだ。

しかし対話ができるようなSNSを生み出すにはどうしたらいいのだろうか。やはり顔が見えずある程度の匿名性がある時点で王様にならざるを得ないのだろうか。しかしそこまでしてSNSにこだわりたい訳でもないし、そのようなものを考えついたからと言って実行するほど気力と体力もないので、そこまでは考えずに寝る。

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