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the dadadadys×キュウソネコカミ 9/30 川崎

the dadadadysツアーファイナルに行ってきた。対バン相手はキュウソネコカミということで迷わずチケットを取った。両バンド共にその存在を知ってから相当な年月が経過している。
the dadadadysに関してはtetoとしてPain Pain Pain EPをリリースした2016年から。
キュウソはハッピーポンコツや泣くな親父をリリースした頃からなので2015年くらいからだと思う。
両者ともに、何も無い思春期を彩った思い入れの深いバンドである。

まずキュウソネコカミが登場。
意外にもキュウソを生で見るのは初めてのことだった。今になってキュウソのライブ映像を見たり曲を聴いて感じるのは、アレが流行る前にライブハウスで彼らを見れたら良かったなあという後悔である。この曲のこの部分、普通にライブが出来るのならめちゃくちゃ声出して盛り上がるんだろうなあ…という。
しかしキュウソネコカミはライブに様々な制約があろうともそこに関してはエキスパートであるため、観客を楽しませる技術は神がかっている。「少し前の自分達だったらdadadadysに寄せた曲やってたけど今日は極上のキュウソって感じの曲やりまくります」というセイヤ氏の宣言通りのセトリだった。「ハッピーポンコツ」というアルバムを買うために小遣いを握りしめてゲオに行ったあの日の記憶が蘇るような気がした。あれからもう約7年が経過して、それでもキュウソは変わらずにバンドを続けてくれている。本来なら彼らのようなバンドにとってこの様々な制限がある状況はかなり望ましくない。キュウソのライブは声を出してこそ盛り上がるし楽しい印象が強い。しかし実際に今のキュウソのライブに行ってみると非常に楽しく、声を出せないのが惜しいなという気持ちは湧いてこない。同行者も言っていたが彼らはライブが本当に上手いのだと思う。自分の空っぽの青春時代を彩った曲を生で聴き、やっぱりキュウソが好きだなあと再確認した。ライブの話というよりキュウソネコカミというバンド自体の魅力についての話になるが、彼らはコミックバンドのように思われがちだがかなりの社会派バンドである。「チェンジザワールド」の時点で蔓延るキラキラネーム問題や音楽シーンの現状を上手くロックに落とし込んでいる。そしてうっすらキュウソを知ってる人には彼らは物凄く明るく楽しいおもしろバンドに映るかもしれないが、信じられないくらい暗い歌詞の曲が意外に多いのでそこが好きだ。「ああクソめんどいよ 人を信じることや人に尽くせることは簡単なことでは無いよ」で始まる『真面目に』や「リア充にはなれなかった真面目系クズです僕らは」から始まる『何もない休日』など、ライト層が抱く彼らのイメージとは真逆の楽曲が多くある。明るいおもしろバンドというパブリックイメージを抱かれがちな彼らが底抜けに暗い曲をそれなりに出しているというのがクールである。どうしようもない日常を嘆いたり周囲を妬んだり劣等感を抱いたり、そういった人間の薄暗い部分を痛いくらい明確に歌詞にするのもキュウソネコカミの隠れた魅力である。
コロナ明けのライブハウスでのキュウソをまた見てみたい。彼らの圧倒的なパフォーマンス力により、制約がある中でもそれを感じさせないライブだった。しかしいつも通りのライブハウスでのキュウソネコカミこそが真骨頂なのは間違いない。全て元通りになったらまたライブに足を運びたい。

続いてthe dadadadysの登場。
彼らを最後に見たのはちょうど1年前のツアーである。メンバーの脱退が発表され、サポートメンバーを入れてツアーを行っていた。当時はまだtetoであったため、the dadadadysとして再スタートを切った彼らを見るのは初めてである。未だにtetoと呼んでしまうのは自分だけではないだろう。
ライブで初めてthe dadadadysを見て感じたのは、改名してもメンバーが変わっても彼らの芯の部分は不変である、ということだった。初めてtetoのライブを見た2017年から、その力強いライブパフォーマンスと観客の心を掴むパワーは変わっていない。むしろ進化しているようにも思える。teto時代から彼らが良しとしていることは変わっていないが、その中でも新しいことをしようとしている印象があった。未発表の新曲を何曲か披露していたが、根底の部分は変化せずに新たな要素を取り込んでいるなと感じた。そして毎回のことだが、ボーカルの小池貞利の言葉はあまりにもまっすぐに観客に届く。昔から彼の言葉には強いパワーが宿っているなと思う。客層は意外に幅広く、女子高生から40~50代までいた。しかしそのす全ての層に小池貞利の言葉はまっすぐに届き、観客の心に小さな炎を宿している。小池貞利氏のTumblr(現在は削除済み)などを見るに、彼は相当素晴らしい感受性を持っており、それと同時に繊細さも兼ね備え、自分の揺るぎない信念のようなものを確立させている。いちファンが推測できることでは無いが、tetoとしてデビューしてからthe dadadadysに変化するまで、本当に色々なことを考えたんだろうなあと思う。
「99%つまらない世の中でやっと見つけた0.1%くらいの良いなと思えるものもなんか違うなって思ったりもして。そんなことが最近もあって」
彼がライブで語る言葉はいつも、どことなく社会に対して漠然とした反骨心や嫌悪を抱いている人々にとっては突き刺さるものである。そのようなとても明確に言語化できないような靄のかかった感情を彼らの音楽を通して昇華させている人々が多く存在する。現在の音楽シーンを見るに、彼らの慣らす音楽はいわゆる流行の音楽、売れる音楽とは逆行しているかもしれない。そうだとしても、この音楽でしか救われない人々がたくさんいるのである。自分も含めて、ある種の希望のようなものをtetoの時代から彼らに託していたように思える。
9/30のライブも変わらず、目の前の観客に届けようという思いと彼らがライブを愛していることが痛いほど伝わった。特にドラマーのyuccoは初めてdadadadysのライブを見た同行者も衝撃的だったと言うほど、力強くバンドの色にぴったりと合致していた。本当に、tetoがなくならないで良かった。音楽を続けてくれてありがとうという気持ちしかない。「拝啓」や「トリーバーチの靴」など旧知の楽曲で飛び跳ねる制服の女子高生が前列にいて、過去の自分を見ているようで感慨深かった。

お笑いライブに行かせてください!