見出し画像

4.暴力をめぐる点景、2000年代の日本(西洋近代と日本語人 その16)

Ⅲ 村上隆「スーパーフラット」と「リトルボーイ」

Ⅲ-4.スーパーフラット(つづき)

4.161.  前回述べたように(その15:4.147)、村上隆は、ニューヨークで、「現代美術の勉強」にもとづいて「日本人が本質的に抱えこむ何かを示す」という主題を見出します(『芸術起業論』*p.98)。日本の絵画様式を振り返ることからスーパーフラットという概念を抽出し、次いで、この概念の適用範囲を美術から社会全体に拡張し、敗戦後の日本社会の「本質的に抱えこむ何か」を示すことを試みる。こういう表現活動の方向を見出したわけです(その15:4.157~158)。

注*: 村上隆『芸術起業論』幻冬舎文庫2018 [初刊、幻冬舎2006]。なお、以下、本文中で引用典拠を示す際、村上隆の論文や本については、著者名を省きます。

正面性と視線の誘導
4.162.  スーパーフラットという絵画様式の特徴は、伊藤若冲、曾我蕭白、狩野山雪らの作品にもとづいて、次のように説明されます。

「隙間の見えない正面性で、超平面的画面を認識させるトリックをしばしば使う」(「スーパーフラット日本美術論」*p.8)

ここで「トリック」とあるのは、仕掛け、やり方、といった意味に取っておきます。この説明の限りでは、スーパーフラットとは、同一平面上に、奥行きを感じさせない仕方で、ものを隙間なく並べてみせるやり方、というほどのことだと解されます。(その15:4.154~155)

注*: 村上隆「スーパーフラット日本美術論」、村上隆(編著)『SUPERFLAT』(マドラ出版2000)所収。

4.163.  しかし、これだけではなく、スーパーフラットという絵画様式は、もうひとつ、「一枚の絵が観客に対して作り出す視覚の動きのスピード感とスキャンのさせ方」(「スーパーフラット日本美術論」p.8)に特徴があるとされています。一枚の絵を見るときの視線の動きを指定するやり方に特徴があるということです。たとえば、狩野山雪の「老梅図」(下図)には、次のような説明が与えられています。

狩野山雪「老梅図」

4.164.  画家には老梅を一種異様な形状で描きたいという美的な欲求があった。それを依頼主の意向などの現実の諸条件に合わせてどう表現するかが課題だった。村上隆の言葉をつないで示せば、「作家本人のエキセントリックな欲求」(「スーパーフラット日本美術論」p.10)にもとづいて、老梅の「奇妙な形をスピード感を意識させつつ威厳を持たせて」(同上)描き、その上で、全体を「いかにクライアントの意向に添った豪奢なものに見せるか」(同上)が課題だった。その課題は、以下のような視線の誘導を仕掛けることで果たされます。

4.165.  「老梅図」を見ると、画面中央より少し右の梅の幹に目が行く。これが、「視覚のスタート地点」(「スーパーフラット日本美術論」p.10)を与える。視線は、左の垂直に伸びた枝からジグザグに動きながら、上昇し下降して点在する白い小梅を見ていく。すると左下方で水平軸を強調した石にぶつかり、左端の芍薬に気づく。この芍薬はなんとなくそこにあるので(「ポッカリ無軌道に咲いている」(同上))、視線は芍薬から水平に反転移動する。するとスタート地点の太い幹があって、さらに右手下方の石の垂直に伸びる動きが目に入ってくる。動きにそって目を走らせると、上方の小枝に到達する。この「力無い小枝」(同上)は、左手の芍薬と対をなしており、スタート地点の幹に視線を誘って、再び視覚の動きが始まってしまう。村上隆は、この「視覚の動きのスピード感とスキャンのさせ方」(上掲)を、「一種のカラクリ絵画のような様相」(「スーパーフラット日本美術論」p.10)と評しています。

4.166.  この襖絵の依頼主が、こうした視線の誘導の功徳で絵の出来に満足したのかどうか、それはわからない。けれども、この絵にこんな風に視線を誘導する力があると言われれば、まあそうかな、と思わないでもありません。

4.167.  村上隆は、絵を見る人の視線をどう誘導するかを重視しています。構図という概念の中心にそれがある。視線の誘導の仕掛けは「ぼくが絵を芸術作品にしようとすると、必ずやること」(『芸術闘争論』*p.109)であると述べている。

「何かおかしいというので目がいく場所がスタート地点です。それから目をどう移動させるかというのが芸術家の技だったり圧力だったりします。」(同上)

ですから、上の「老梅図」に実現されている視線の誘導を支配する力こそ、絵画を一つの作品として成立させるものであり、視線の誘導が、「絵画とは何か」(『芸術闘争論』p.81)という問いへの回答の核心をなす**。そう言っていいようです。

注*: 村上隆『芸術闘争論』幻冬舎文庫2018[初刊、幻冬舎2010]

注**: 『芸術闘争論』には、「①構図 ②圧力 ③コンテクスト ④個性 この四つ、これが現代美術を見る座標軸、つまりルールです。」(同書p.94)とある。視線の誘導の力は、「技」(個性の一要素)と「圧力」(表現の訴求力)にもとづいており、視線の誘導によって構成される内部構造が「構図」であると解されます。なお、「コンテクスト」は作品の歴史上の位置のことです。

4.168.  スーパーフラットという概念は、絵画のあり方としては、「こうした正面性と視覚の走査が一枚の絵の中に収まっている」(「スーパーフラット日本美術論」p.12)ことによって特徴づけられます。「老梅図」では、梅の幹と枝が、一点透視画法的な遠近感とまったく無縁に平面上をのたうっていて、視線は上下左右に誘導され、奥行きのない正面だけの世界をとらえる。そういう仕掛けを備えた絵画をスーパーフラットと呼ぶ、というわけです。

スーパーフラットの系譜
4.169.  村上隆は、こうした特徴が現代のアニメーションにも見出されると主張します。スーパーフラットという概念は、一つの美的表現のカテゴリーを定義するものとして、日本美術史の現在と過去をつなぐはたらきをすることになる。

4.170.  下の二つの画像は、村上隆(編著)『SUPERFLAT』(マドラ出版2000)の見開きページ(pp.28~29)を上下に提示したものです。上は金田伊功かなだよしのりの「銀河鉄道999」の一場面、下は葛飾北斎の「富嶽三十六景 山下白雨」です。また、それぞれの下に、アニメーション画像のコマが時系列に沿って並べてあります。

金田伊功「銀河鉄道999」

 

葛飾北斎 富嶽三十六景 山下白雨

 4.171.  この二つの画像(および時系列のコマの流れ)を、スーパーフラットという美的表現のカテゴリーとして知覚することによって、アニメーションの一画面と浮世絵版画が同じ画面構成の技法を用いた図像に見えてくるというのが、村上隆の言おうとすることです。金田伊功らのアニメーション画像では、「一点透視画法的画面作りはまったく考えられておらず」(「スーパーフラット日本美術論」p.14)、「画に視線をスキャンさせてゆく目の動きによって」(同上)頭の中に四角い平面に沿ったイメージが形成される。それが「「super flat」的なる絵画の視点運動のキーコンセプトだ」(同上)と言います。

4.172.  率直にいって、この言い分には無理があると思う。というのも、上のアニメーションの画像は、地上の図柄などにけっこう遠近感があって雄大な感じがするからです。北斎の富士のような平面的な印象は乏しい。しかし、よく見ると、最初に目を引きつける火柱のような形象は、遠近法を無視している。画面左下の火柱の根元は、伸び上がった頂点よりかなり遠方にあるはずだが、根元と頂点が同じくらいの太さに描かれているため、視線を動かしたとき、遠近の目算が狂う。この火柱だけが、遠近法にしたがう地上の図柄とは違う秩序に属している。そのせいで、火柱の形象に、まるで生き物のような、奇妙な生々しさが感じられてくる。というわけで、遠近法を無視した画面作りと、視線の誘導によって、少なくとも面白い効果が生まれているとは言えそうです。

4.173.  村上隆の言い分を、無理がある、納得できない、といって蹴ってしまうと、スーパーフラット展(2000)からリトルボーイ展(2005)にいたる彼の活動の展開を理解する糸口を失ってしまいます。だから、ここは言い分を認めて、スーパーフラットを、日本美術の過去と現在を貫く一つの美のカテゴリーを定義する概念として認めることにしましょう。そのスーパーフラットなるカテゴリーの下に、浮世絵も、襖絵も、アニメーションも包含されるのです。のみならず、スーパーフラットは、現代日本の歴史的な状況を言い表す概念として意味が拡張されていきます。

4.174.  この概念の拡張の過程を、しばらく追ってみます。この概念が、西洋における美の追求に対置される経緯を見ていくと、西洋近代と日本語人の関係を規定する形而上学的な――すなわち、人間存在とその意味にかかわる――問題が見えてくるはずです。

Ⅲ-5.スーパーフラット概念の拡張

4.175.  スーパーフラットの概念は、近現代日本の美術活動全般についての反省から導き出されています。たんにアニメと浮世絵の見かけの類似から思いついたという水準のものではない。村上隆は、若冲ら「奇想」の画家の系譜を日本美術史上に見出すことに先だって、いったい日本の近現代の美術家たちは何を求め、何を行なってきたのかという考察をしています。自分(たち)のいる場所を対象化してとらえなおす試みがあったわけです。

4.176.  美術教育界では明治期以来、岡倉天心の構想に沿って、日本画、西洋画、彫刻、図案、工芸が教えられてきた(「スーパーフラット日本美術論」p.16)。私は美術教育の現状を知りませんが、これはたぶん現在でもあまり変わっていないのでしょう。他方で、敗戦後、西洋の現代美術の影響を受けて、「ネオダダオルガナイザーズ」「ハイレッドセンター」「九州派」「具体」「ゼロ次元」といった多様な前衛芸術家が現れる(同p.18)。戦後の社会現象としては、「日本画や洋画の業界がただマネーゲームに興じ」るなかで(同p.16)、1970年大阪万国博覧会において「「具体」もラウシェンバーグも岡本太郎も呑み込まれて、「美術」は「お祭り」となって」行くという流れがあった(同上p.18)。同時に、これらとまったく独立に、マンガやアニメーションが幅広い関心と支持を集めるようになる。

4.177.  村上隆は、近代日本の美術教育を受けてきたものの、みずからの行き詰まりを自覚したとき、「自分のバックグラウンド」としてマンガやアニメを、すなわち「差別されたオタク文化」を選びとります(その15:4.145)。そして、アニメーションの図像と「奇想」の画家たちの画業を結びつけ、オタク文化の所産を「日本人が本質的に抱えこむ何か」を表現する〝非公認の正統〟とでもいうべき位置に据えてみせる。その「何か」を体現しているのはスーパーフラットなのだ、というわけです。

4.178.  スーパーフラットとは、あらゆるものが奥行きを無視して同一平面上に並べられ、その上を視線がすばやく移動していくありさまを言います。それは遠近法を無視して描かれた画像の特徴を言うと同時に、何もかもごたまぜに展開した敗戦後の日本の美術界の動向を言う含みもあり、さらには原爆投下と敗戦を通じて自我の崩壊を経験した日本社会のありさまをも言い表している。そういう概念として拡張されます。拡張の手掛りになるのは、〝自由の誤解〟という着眼点で、これはまず美術界の動向にかかわっています。

日本式自由神話
4.179.  村上隆は、日本の美術界における「自由」のあり方について、以下のように語っています。
 「日本の美術の授業は、ただ「自由に作りなさい」と教え」てしまう(『芸術起業論』p.11)。この教えは、芸術家は自由でなければならないという信念にもとづいている。そして、美大生もみな「自由になりたい」と思っている(『芸術闘争論』p.122)。ところが、「自由とは何かといえば「誰にもおかされない」で自分一人で考える」(『芸術闘争論』p.227)という程度の認識しかない。自由の名のみ声高に叫ばれるが、自由の本質への洞察がない。こういう状況を、村上隆は随所で「自由神話」と呼んでいます*。

注*: 『芸術闘争論』p.123、p.194、p.230、p.231、p.261、p.263など。

4.180.  その結果なにが起こったかというと、作品を販売して生業とする芸術家はごく少なくて、「「勤め人の美術大学教授」が「生活の心配のない学生」にものを教え続ける構造」(『芸術起業論』p.15)ができ上がった。美術雑誌の最大の顧客は、美術大学、美術系専門学校、美大受験予備校の関係者であって、結局、学校が美術業界を支えている(『芸術起業論』p.14)。そこには「モラトリアム期間を過ごし続けるタイプの自由」(『芸術起業論』p.15)しかありはしない。それは、「エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園」(同上)なのだ。

4.181.  なんでこんなことになったのか。ひとつには、日本が十九世紀後半に開国し、その時点の西洋の芸術の概念を受け入れたという歴史的な偶然がある。「十九世紀の芸術の最先端は「自発性」で、この時期の芸術は「アーティストがパトロンから決別してゆく」というもの」(『芸術起業論』p.90)だった。西欧の十九世紀には、長い歴史の中ではむしろ例外的に、「芸術家が独立して芸術を作る非常に純粋性の高い、純潔の芸術が誕生してしまった」(『芸術闘争論』p.34)という歴史的事情がある。

4.182.  たとえ貧しくとも、あらゆる束縛から自由に、純粋にみずからの内的衝動にのみ従って制作に励む。そんな、ゴッホを典型とするような芸術家の理想像が西洋で生みだされ、それを明治大正期に受け入れた日本では、現在でもそれが依然として影響力を持ちつづけている。だが、束縛を全否定して貧困を甘受する生活なんて、そうそう続けられない。いきおい、美術が生き延びるのは学校だけになる。これが「自由神話」の生みだす現実です。村上隆は、芸術家として身を立てたい若者に「どうか日本式自由神話から脱出してください」(『芸術闘争論』p.261)と呼び掛けています。

自由の誤解
4.183.  自由な芸術家が理想化されるのは、少しも悪いことではないと私は思います。だが「日本式自由神話」はどうやら問題を引き起こしているようだ。その根底には、日本における自由の誤解がある。要は、自由な芸術家の理想化がよくないのではなくて、日本の芸術家が自由を誤解していることがよくないのです。その誤解の形を村上隆はこう述べます。

「日本における…〔中略〕…「自由」の概念は、自己を発見し、その立ち位置から周囲をサーチして探り当てるといった類いのものではない。生まれて間もない子供のように際限のない、制度に関係ない、情報がインストールされていない真白な状態こそが、日本的文脈の中での「自由」なのだ。」(「スーパーフラット日本美術論」p.14)

誤解は、日本の芸術活動においては、「自由」が、生まれて間もない子供のような真白な状態と見なされているところにある。境界で仕切られず、制度にはまらず、情報に満たされていない、つまり拘束のない空白の状態が自由なのだと思われている。これは、村上隆の考えでは、西洋芸術における自由のとらえ方と大きく異なっている。

4.184.  少し補足すると、この〝誤解〟は、日本語の「自由」という語の用法からいって、無理もないものです。津田左右吉の考証によれば、18世紀末から19世紀前半にかけて、オランダ語の「フレイヘイド」ないし「vrijheid」に「我儘」「自由」等の語が当てられている例が見られる(津田左右吉「譯語から起る誤解」、『津田左右吉全集』第21巻、pp.72-74)。ところが、元来、たんに拘束されていない状態を「自由」というのが、漢語としての「自由」の標準的な用法の一つであり、平安朝の詩などを見ると、日本にもそういう用例は古くから入ってきている。「自由」は、多くの場合、我がまま勝手、やりたい放題ということであり、「よい意義で言われている例もあるが、それは少ない」のです(津田左右吉「自由といふ語の用例について」、『津田左右吉全集』第21巻、p.84)。

4.185.  これに対し、キリシタン文献で、罪ある状態から脱し自由を得る、という積極的な意味の用例が見られるようになる(津田左右吉「自由といふ語の用例について」p.80)。言葉を補うと、これは、罪に囚われて神を見失った状態から解放され(自由になり)、自分の自由意志で神を見出すことができる状態になる(自由を行使できるようになる)という意味です。

4.186.  もう少し説明すれば、罪の手から解放してもらうための身代金が、神の子イエスの生命だった。罪の手に落ちた全人類の身代わりとして、神の子が十字架上で犠牲として死ぬ――自分の生命を人質解放のための身代金として差し出す――ことによって、人間は再び神との交わりをもつことができるようになった(田村均『自己犠牲とは何か』pp.498-499)。イエスはまさに「救い主」なのです。しかし、人間は、救われておしまいではなくて、それぞれが自分の自由意志を行使して神を見出すように努めないといけない。「神を愛せ」というのはこのことです。自由は、囚われの身からの解放と、自由意志による真善美の追求という二つの側面をもつわけです。

4.187.  しかるに、「道徳の基礎」として「自由の語をかういふ風に用ゐることは、日本においてもシナにおいても例が無い」(津田左右吉「自由といふ語の用例について」p.80)。だから、西洋語の意味で自由に生きることは、日本語人にとってなかなか難しい要求になる。というのも、それは、自分の属す文化的伝統には類例のない生き方をすることにほかならないからです。

4.188.  村上隆は西洋の「ART」を特徴づけてこう言っています。なお、「ART」とは西洋において理解されている芸術一般という意味と思われます。

「歴史の流れの中で各アーティスト、ムーブメントがどこに立ち位置を置くのか、既存の定説をいかにアヴァンギャルドが破ってゆくのか。そして突破された後に、どのような歴史がスタートしてゆくのか。その時間軸を踏まえた上でなお、「自由」をいかに獲得してゆくか。そのようなオリジナルな概念に対するアプローチが西欧的「ART」観なのだ。そして、オリジナリティに対する高いリスペクトのされ方も日本と大きく違う点である。」(「スーパーフラット日本美術論」p.20)

カタカナ語が文面で踊っているので、少し言葉遣いを落ち着かせたほうが分かりやすい。芸術(「ART」)とは、芸術家がみずからの歴史的な位置を確認しつつ、既存の理念を打破し、自分の制作が出発点(origin 起源)となるような新しい歴史を開始する活動である。歴史的な位置づけのなかで、伝統を破って行くことが芸術家の「自由」であって、新たな始まりを画す独創性(originality 起源であること)が高く評価されるのだ。大体こういうことでしょう。

4.189.  芸術的活動のこのとらえ方を、「自由」を焦点にして言い換えれば、歴史のなかにあって新しい始まりを作り出すことが「自由」の実質だ、ということです。これは、たしかに、西洋思想史における自由の伝統的な理解の仕方によく合っています。哲学史をごく簡単に振り返ってその点を確かめておきます。

西洋哲学史一瞥
4.190.  いま、あなたが椅子に座っているとします。あなたは脚が痺れておらず、椅子に縛り付けられてもいない。その他どんな物理的原因によっても、椅子から立ち上がれないようにされていない。かといって、立ち上がるほかないように引っ張られたりもしていない。立ち上がろうとすればそうできるし、座ったままでいようと思えばそうできる。つまり、ごく普通に椅子に座っているとします。

4.191. さてこの状態で、あなたが、やおら椅子から立ち上がったとする。縛られてもおらず、引っ張られてもいなかったのだから、あなたが立つか座るかということは物理的原因で決定されてはいなかった。だから、立とうというあなたの決意によって、あなたは立ち上がったことになる。こういう場合について、カント(1724-1804)は次のように言います。

「椅子から立ちあがろうとする決意と椅子から立ちあがる行為とは、単なる自然的結果の連続のうちにはまったく存しないし、また自然的結果の単なる継続ではない」(カント『純粋理性批判』B478、岩波文庫版第2巻132頁上段)

4.192.  カントが言おうとしていることは、立つことも座ることもできるときに、立とうと決意して立つことは、出来事の流れのなかに、自然的つまり物理的には決定されていないこと(「自然的結果の単なる継続ではない」こと)を作り出すことだ。カントはこれを「絶対的自発性」(同B475、同128頁上段)と呼びます。これは、その人が自分の決意によって新しい出来事の始まりを画すことであって、これが人間の自由なのです。

4.193.  この考え方は、村上隆のとらえた西洋の芸術観における自由のとらえ方と同じです。芸術家の自由とは、歴史の流れのなかに、自分自身が起源となるような新しい芸術的表現の始まりを画すことでした。歴史や伝統の単なる継続ではない作品を作り出すことが芸術家の存在意義――自由を通じた新しい美の発見――なのです。

4.194.  ただし、現代人は、カントの言い分を鵜呑みにはできないかもしれない。立とうと決意することに対応する脳の物理的状態があり、それが運動神経に信号を伝えて脚の筋肉がしかるべく動いたのだろう。決意すること自体も、また決意から運動にいたる過程も、すべて物理的状態が対応するはずだから、思考から運動にいたる全過程が物理的な因果的決定の枠組みに入っている。人間の自由とか自発性というのは幻想ではないのか。

4.195.  この疑念はもっともなのですが、今ここでこれを解決する必要はありません。現在の関心は、村上隆がとらえた西洋芸術における「自由」という概念が、西洋思想史の伝統に則っていることを確かめることにある。そのためには、さしあたり、カントの文言を確認すれば足りる。(こんな風に論点を限定すると、難問から逃げたな、と思う人もいるかもしれない。だから、もう少し後で、別の角度からもう少し説明する機会を作りたいと思います。)

4.196.  椅子に座るとか立つとかいう些末な話は、カント独自の例ではありません。プラトン(前427-前347)の『パイドン』の大事なところに出てきます。つまり、西洋哲学史の伝統のなかにある例です(カントの念頭に『パイドン』があったのかどうかは知りませんが)。『パイドン』に描かれるソクラテス(前470頃-前399)は、刑死を予定された当日、獄中にあってケベスという人物と対話している。そして、自分がいま獄舎のなかに座っていることの原因について、こう語ります。

「それは、ほかでもない、アテナイの人たちが、わたしに有罪の判決を下す方が、〈よい〉と思ったこと、そしてそれ故に、わたしとしても、ここに坐っているほうが、〈よい〉と判断したこと…〔中略〕…によるのである。」(『パイドン』松永雄二訳98E)

4.197.  ソクラテスは、ここで特に「自由」という言葉を使っているわけではありません。ですが、この箇所でしりぞけられるのは、自然科学的な説明です。すなわち、ソクラテスの膝や腰は、骨と腱と筋肉と皮膚によって曲がったり伸びたりするようにできている。そして、「この原因によって、わたしはいまここに脚を曲げて坐っているのである」(同98D)といった説明がしりぞけられる。言い換えれば、人間の行為は、自然の諸原因によって説明されはしない。そうではなくて、そうするのが〈よい〉と本人が判断したことによって説明されるのだ、というのです。〈よい〉と判断してそう行為するのは、そう行為するのを決意することと同じです。だから、プラトンは、ここでカントと同じ問題を扱っていると見てさしつかえない。

4.198.  ソクラテスは、獄舎を逃れることも留まることもできた。ソクラテス自身がここに坐っているほうが〈よい〉と判断することによって、刑死にいたる出来事の系列を開始した。どうするのが最も〈よい〉のかという判断は知性の下すものであって、これが自然の因果系列とは別の、人間の自発性を定義する。

4.199.  画家もまた、画布上に、ある線を描くことも描かないこともできる。そして、歴史を踏まえ、定説にとらわれず、どのように描くのが最も〈よい〉のかを判断する。この自由の行使によって、画家は自分の作品を起源とする新しい美的表現の系列を開始する。ここに芸術家の存在する意義がある。こう言い換えてみれば、村上隆の理解する西洋の芸術活動における自由が、古代ギリシア哲学以来の西洋思想の伝統にもとづいていることがわかると思います。

日本式自由神話からの脱出
4.200.  自由な芸術家を理想像として心にもっていても、自由を日本式に誤解していると、なんの拘束もない空白の状態を求めるという無理な試みに陥る。「自由にやりなさい。自由に思考しなさいという禅問答みたいなところ」(『芸術闘争論』p.230)にはまってしまう。そもそも、なんの拘束もない空白の状態では、表現への欲求も生まれようがないかもしれない。この行きどまりから脱出するために村上隆が推奨するのは、一見、ごく当り前の単純なやり方です。

「茶道や華道で作法をわきまえない行為が否定されるように、西洋の美術の世界のルールをふまえない自由は求められていません。不文律をわきまえた独創性が求められていることは明らかです。」(『芸術起業論』p.89)

「西洋の美術の世界のルール」とか「不文律」といわれているのは、上で確認したように〈自分の歴史的位置を明確に意識して、既存の様式の継続ではない新しい始まりを画すような作品を制作すること〉です。このルールを受け入れて、自分自身の作品を世に問うていけば、日本の若い芸術家たちも日本式の自由神話から脱け出せる。これは、そんなに特別なことではなく、ごく普通のことのように思われます。

4.201.  同じ「ルール」を村上隆はいろいろな言い方で提示しています。

「美術の世界の価値は、「その作品から、歴史が展開するかどうか」で決まります」(『芸術起業論』p.63)

「「作品を通して世界美術史における文脈を作りあげること」は、今も世界における美術作品制作の基本であり続けています。」(『芸術起業論』p.91)

「世界共通のルールというものがあるのです。
「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」
これだけです。」(『芸術起業論』p.123)

最後の引用の「相対化させつつ」は、「関係づけて」とか、「対峙させつつ」などと言い直した方が分かりやすいと思いますが、これらの引用は、いずれも芸術家が世に認められるには、自分の歴史上の位置づけをはっきりさせて、自分自身の作品でもって新しい始まりを画すことによるしかない、と言っています。

4.202.  さて、これが「西洋の美術の世界のルール」であり、さらに「世界共通のルール」である。これはそのまま認めるとしましょう。では、このルールにしたがうことは、明治期の日本の画家が遠近法を学び、油絵具を使って一生懸命に「洋画」を描いたことと、どこがどう違うのだろう。描法も画材も画題も西洋の規範にしたがって絵を描くことと、西洋に範をとった自由の概念にしたがって制作活動をすることは、同じタイプの行動なのか、それとも違うのか。私は、違うタイプの行動であると主張できると思っていますが、つまり、西洋思想史に根ざす自由の概念にしたがって行動することは、単なるモノマネではないと思いますが、このあたり、十分に考える必要がある。

4.203.  次回は、自由神話を脱することとスーパーフラットという概念を提唱することがどのように結びついたのか、また、村上隆は、スーパーフラットを旗印にした作品群を制作し、その概念をうちだす展覧会を計画・実行することを通じて、どういう歴史をどのように始めることができたのか、考えて行きます。そのなかで、上の4.202に記した問題を考えたいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?