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私は

2021/01/23

🌷今日は良い1日だった🌷

「音楽=私の好きな曲、曲=私の知っている音楽、ロック=音楽、ジャズ=音楽」

 今私はBump Of Chickenの「車輪の唄」を聴いている。私を音楽の世界へ連れて来た曲だ。

出会い

 当時、小学三年生だった私は兄のiPodで車輪の唄を聴いた。兄とは5歳離れていて当時は、パワーバランスが確立されていた。元気のありあまっていた私と思春期真っ只中の兄とは対極的な存在で、よく喧嘩をしては負けていた。そんな産まれて初めてのライバルでもあり、大魔王みたいな存在の兄が持つipodは弟の私からすると重大な意味を持っている。
 シチュエーションは、確かおばあちゃんちでの夕食後、私は小さな棚の上に置いてあった兄のiPodを何気なく眺めていた。触ることは何があっても許されない。だからただ、ただ見ていた。(憧れていた。)兄のipodはずっと音楽が再生されたままだった。そこに兄が来た。兄は何が不満だったのか、何かが不満だったようにiPodを私から遠ざけた。ほんとなんなんだお兄ちゃん。
 その日の記憶はそれ以上残ってない。最後にお兄ちゃんは私に見えるように画面を見せてきた。その画面には車輪の唄と書いてあった。
 嫌がらせだ。でも私は、最近習った漢字だったので「車輪の唄」と読めた。それが嬉しくて誰かに報告したかったのを覚えている。敵である兄に、車輪の唄って漢字が読めることを伝えた。するとお兄ちゃんは私にイヤホンを貸してくれた。私は鬼みたいな兄のiPodで音楽を聴いた。
 
 車輪の唄は今も昔も変な名前の曲だと思う。車輪の唄は簡単な漢字の曲名だ。あの日、私の恐怖な存在である兄のiPodで車輪の唄を聴いた。
 これには深い意味があると思う。最初で最後の車輪の唄だと思う。そして今では思い出の瞬間。そしてお気に入りの曲である。
 あの日を私は「私の音楽は始まった。」日と思っている。

中学生

 私は良く知らない世界の一部に触れた時、その触れたものの先に大きな暗闇が見える。最近は減ったが小学生、中学生の頃は頻繁だった。

  中学生になって私はおじさんにiPodを買ってもらった。その頃は世界の終わりにハマっていた。当時の音楽情報の収入源はアニメやドラマの主題歌からアーティストを深掘りしたりYoutubeの繋がりから聞くこと(アジカン、オレンジレンジ)や友達との共有(Radwimps、サカナクション)が多かった。そんな中で私は新たな知識、レコード会社を知った。sekai no owariとBump Of ChickenはToy’s Factoryに所属している。そんな繋がりから世界の終わりを聞き始めた。私の好みはメロディがはっきりしている明るい曲だ。今も『何が好き?』と聞かれたらそう答えてる。そんな私にとって世界の終わりを好きになることは、世界の終わりを知るか知らないかの違いしかなかった。
 そして中学2年生になって新たな情報収入源を見つけた。School Of Lock。金曜日担当世界の終わり先生。そこで私の音楽に対する暗闇は一層深さを増し、止まった。そこからはとにかくいっぱい知りたい聞きたい、暗闇を消したいが強くなった。チャットモンチー、ベボベ、[Champaign]、kana-boon、クリープハイプ、androp、indigo la end、キュウソネコカミなど、その辺をYoutubeで良く聴いた。ラジオでは山口さんの授業でヘッドホンの楽しさを知った。それからは三日月サンセットはお気に入りの一曲だ。また塾の帰りはあえて歩いて帰ってみたりして音楽を聴いた。そして家に着いたらこっそりイヤホンつけてラジオを聴いた。歩いて帰るときは良くサカナクションを聴いていた。私にとってサカナクションは曲によって好き嫌いがはっきり分かれたアーティストだった。そこで実験として、どんな曲でも絶対好きになる要素はあるはずだと、無理矢理アルバムを通して聴いたりもした。そして全曲好きになった。「enough」や「ナイトフィッシング」には、ハッピーサプライズがあった。今までにない音楽への広がりを感じた。(後に私はそんなハッピーサプライズのある曲をディズニー構成と呼んでいる。ディズニー構成の曲はいい曲が多い。yogee[world is mine] arctic monkeys[when the sun gone down])
 そして中学3年生になる頃にはRocking’on Japan、Musicaなどをお金があれば買った。
 中学3年生はとにかく音楽を共有したい欲が強くなっていた。そして自分の好きなロックを一通り聴いた気にもなっていて暗闇を感じなくなった。
 それもあり、周りの人から曲を教えてもらい聞く事が増えた。中でもボカロはその頃からずっとハマっている。初めて聴いたのはみきとさんの「イーアルファンクラブ」斬新さとpopさが自分に馴染んだ。そしてまた暗闇が広がった。でも同時にボカロの世界に恐怖を感じた。目印が何もない暗闇の中を、あてもなく歩き出すような怖さ。目を凝らして周りを見るとアンダーグラウンドの黒いナニかに触れてしまうような怖さ。
 ボカロは、日常の世界とは別の世界だと思っている。何か独特の不気味さがある。だから私は偏見の目で見ている。でもボカロの曲は個性豊かで聞いていて飽きない。綺麗な色も暗い色も混ざり合った文化が広がっていると思っている。狭い世界からの見解だけど。
 結果、人からおすすめされたボカロだが、おすすめしてくれた人やその周りとも話が合わなかった。みんな作曲者には興味がなかったからだ。(あの頃のボカロは、40mPの「だんだん早くなる」や、orangestar、ナユタン星人が流行っていたと思う。またボーカロイド深瀬も出始めていた気がする。)
 当時ハマっていたのは、じんやナブナ、トーマ、neru、ススム、40mP、ナユタン星人、ギガさん、メル、西澤さん、wowaka、石風呂、レフティーモンスター、バルーン、Deco27、164、kei、kemu、ジミーサム、ラスノなどの王道な方々だ。最近またふと聞きたくなるのはこの辺のたくさん曲作ってる系の人達で、中でもじんはよく聞きたくなる。少年ブレイヴとかすごく好きだ。
 以上が中学時代。

高校生

 高校では第二次RADWIMPSマイブームが来る。その要因として英語の曲が聞けるようになった事がある。今までは日本語中心で聞いていた。そのため[Champaign]はCityだけ、Radwimpsはノリでバグパイプとかを聞いていたくらい。やっぱり一番は携帯電話とマニフェストだ。

 高校1年生まで、また邦ロックを好んで聞いていた私は、お仲間やおいしくるメロンパン、ヤバT、ミセスなどをよく聞いた。また、その頃から楽器を非常にやりたくなって兄にお留守番を任されたストラトギターを親から隠れて弾くようになった。Uフレットで星野源のギャグをいっぱい弾いた。おしゃかしゃまのイントロ、アフターダークのイントロ、ちょっと頑張ってダンデライオンみたいな感じだった。
 そんな1年生の頃私の中に一人のスーパーヒーローが現れる。当時の私の夢は音楽で売れてその人に同じ舞台で会いに行く事だった。彼はある意味私の感情を言語化してくれていた。細美武。
 Ellegardenにも大魔王の思い出がある。兄ちゃんは私のお小遣いでEleven fire crackersを買って来た。そしてそれが兄の部屋の棚に置かれていた。兄は大学で上京し部屋は空いていたので気兼ねなく侵入できた。そして兄の持っているEleven fire crackersを、自分の部屋を掃除しているときにかけたてみた。Fire Cracker、Space sonic、Acropoliceで鷲巣噛まれた。Ellegaradenは宝物だ。stereomanと言う曲がある。忘れたくない、あの時、忘れたくない自分だった。
 そんなこんなで邦ロックはさらなる広がりを見せた。そして自分の中でリバイバルもあった。高校2年生も終わりに近づいた。
 高校2年生冬、ついに洋楽を聞く。初めはスーパーヒーロー細見武の神様Weezer、誰かの記事で見つけたRadiohead、桑原さんの大好きなRed Hot Chili Peppers、藤くんの好きなthe foo、NIrvanaとかを一気にレンタルショップで借りた。WeezerはちょうどすぐにWhite Albamをリリースしていて、あのアルバムが1番好きだ。前作から比べるとPOP色が強いように思う。青いのや黒いのも聞いたが一番聞きやすかったのは白。Radioheadはお風呂に入ってる時に2+2=5を聞いてPay attention!!!!!の歌い方、変容具合に鳥肌を立たされたのを覚えてる。レッチリはずっとGet Awayを聞いていた。Go robotは始まりのベースをギターが入ってくるまで聞いてられる。すごい、それは素晴らしい事だのかもしれませんね。the fooはGreen Dayがカバーしてるmy generationを永遠と聞いていた。あとドラムに金魚飼ってるやつ。そしてNirvana。今思うと一番聞きやすくてハマってたかもしれない。in uteroのvery apes、milk itの気持ち悪いギター、でもかっこいい。そこがなんかよかった。
 そして英語の歌詞の曲を聞けるようになった私は、Radwimpsに帰ってきた。ハイパーベンチレイション。ぐーのね。おとぎ。今まで気づいていなかった名曲に出会った。気づけば音楽をギター目線から聞く事が多くなっていた。
 高校はあっけなく卒業し、大学へと進学になった。

大学生

 大学に入るまでの春休みで音楽理論を勉強した。その頃はOasis、the Beatles、Radioheadなどをよく聞いていた。
 大学生になるとApple Musicを使うようになった。一気に広がった。大学は把握しきれていない。つまみつまみ音楽を聴くようになってしまった。本当に好きになって、全曲聴くのは深くハマったバンドだけ。Saucy Dog、ストレイテナー、Domico、Denims、羊文学、the strokes、Far caspian、yogee new waves、arctic monkeys、ずとまよ、teto、kotori、、、このペースで思い出していくと意外と多いかもしれない。
 そんなこんなで今になった。新しい曲で好きになれるのは少ない気がする。それは前提。が出来上がっているからだ。小中高の吸収力、暗闇を作り見事にハマって埋めれていく感覚を今は覚えていない。その代わり新しい曲(自分の知らない曲)を聞きやすくなった。そして普通に暮らしてたら聞かない曲を聞く機会も増えた。ジャズ、クラシック、サントラなど。10年後自分が音楽とどう生きてるかは想像できない。またBump Of Chickenに戻ってるかも。でもいつまでも音楽で心が動かされている自分でいたい。

最後に

 音楽が好きと言う曖昧な言葉を、自分が好きだと思える音楽は誰よりも自分の心を踊らせてくれる。と捉えている。

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