仁和寺に行ってきた


今月のはじめ、江戸時代に建てられてから一度も開けられたことのなかった観音堂を拝観するために、両親と御室仁和寺へ行ってきました。
ぼくはその後に天ぷらランチ(ひとり三千円)を奢られることが目的だったので、仁和寺が真言宗の寺だってことすら知らなかったわけですが、結論から言うとこうしてnoteに書くほどには衝撃があった。何がそんなにも興味深かったかというと、無論大修理が終わってすこぶる綺麗になった仏像や、壁画やその意味合いの深さは素晴らしいのですが、もっと内的な、自らの、真言宗の本山のようなところで6年間を過ごしてきた自分の心の動きに驚きました。これから自分自身を整理しながら、それについて説明します。

門をくぐり、脇目もふらず向かった観音堂に入ってぽやぽやと綺麗な仏像を眺めていると、さっそく恰幅のいい坊さんがマイクを持って前に立ち、話し始めました。それでぼくらは一度観覧を中断して、ほかの観光客と一緒に用意された長椅子へ腰掛けました。隣には、自分がそのことを知っていることを誇示したくて、いちいち声に出して相槌を打つ癖のある母親が坐りました。
今日は長めに話してもいいと言われた、とご機嫌なお坊さんは七十を過ぎて仁和寺の財務改善を任された大物だそうで、要はグッズの販促のための解説だったのですが、これがなかなかおもしろかった。創建当時から最も栄えた時代の話、最も苦しかった時代の話、そして最も苦しいのは今かもしれないという話を経て、仏像ひとつひとつの意味合いの説明に入りました(この時点で脇に控える若い坊さん2人はあくびしてました)。
この時点で既に、源平合戦やら紫衣事件やら日本史を齧った人間なら誰でも知っている事件にこの寺が深く関わっていることを知り興奮していたのですが、それはあくまで勉強人としての興奮で、自己顕示としての幸福感でした。

さて、仏像の説明が始まる。観音様の脇侍はふたつの曼荼羅、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅を表していて、一方はわれわれ人間だれもが仏になることができるという教え、もう一方は観音さまのご意思は金剛のように固く揺るぎがないので、だれもが救いの手を差し伸べてもらえるという教え。こういったことを、修行の身である私たちはこのおふたりを見ただけでわからないといけないわけです……。という風に、興に乗った坊さんの話が続く。母親は頷き、そうだよね〜と言う。そんな中でぼくは、その説明があまりに抵抗なく、自分の心に滲みてくることに違和感を覚えていました。

「ここでは東西南北、つまりこの世界総てを、こちらでは過去・現在・未来、つまりこれまでとこれから流れる時間の総てを、そしてその真中に観音さまがおられるこの空間が、宇宙を、簡潔かつ過不足なくあらわしているのです。」
あまりに簡単にまとめるとこのような話だったのですが、これが頭と心に優しく流れ込み積み重なっていく様を、ぼくは自分の内に視ていました。そして最後には、ここは宇宙だ、完璧な宇宙で、私たちは救われてゆくのだ、と陶酔せざるを得ませんでした。その違和感のなさに、違和感があったのです。

ぼくの中高では週に1コマ宗教の授業があって(法律の関係で中学では「道徳」という名だが)、定期的に作文を書くことになっていました。そしてぼくは高校三年の最後の作文で、「これまでこんなにも宗教の授業を受けてきたけれど、結局仏像は像としての、仏画は絵画としての美しさ以上のものを感じ取ることは出来ないし、宗教はとどのつまりひとつの妥協もしくは思考停止で、それによって日々を生きやすく死にやすくするための手段に過ぎない」と結論づけていました。その意見はそれからさらに6年が経った今でも大きくは変わっていないと思っていたし、おそらく陽気なときに東寺の立体曼荼羅を眺めて有難い説明を受けても、同じような感想を抱くに至ったに違いありません。
そのはずの自分が、あまりに自然に、それらを受け入れていることが驚きであり、呑み込めない事実でした。それはつまり、十七歳と二十三歳が、こんなにも違うことに対する驚きでした。

寝る前によく、自分の意識と無意識を意識することがあるのですが、観音堂でそうして宇宙を感じている時、ぼくは確かに無意識を意識していた。実体は無いが確かに存在するとしか言えないものを知覚していた。すなわちそれは神であり仏であるかもしれないと思うに至ったのです。この妙な納得感は、果たして自らの言った「妥協もしくは思考停止」なのだろうかと問えば、ある一部はそうなのだろうし、ある一部はそうではないのだろうと思います。しかしただひとつ間違いなく残るのは、その場所に自らが宇宙を感じ神仏を感じ、しかもそれとぴったり同じ時に、自らの内に宇宙を感じ神仏を感じたという厳然たる事実です。そしてあの瞬間の感情を最も素直に述べるのに、妥協だとか思考停止という言葉だけでは力不足であることも分かります。複雑に重なり合った思考と感情と、そのどちらでもないものとの集合体が、観音堂という空間と一体になり、混迷とした身体を駆け巡る感覚を、どう言葉にすればよいのだろうと、今も考え続けています。
ここに総てがある、総ての罪があり、総ての許しがある、そう思ったときに、思考はずっと続いていて、脳は回転を続けているのだけれど、それと同時に「もうこれで良いのだ」という確信が訪れる感覚は、恍惚と表現せざるを得ない。妥協ではない、そこで止まるのではない、その先に何かがあるのではなくて、この中に、未だ何もかもがあるのだ。そしてそれはそこここに浮かび漂っていて、すなわちそれが世界であり宇宙であり、自分自身なのだ、という安心感に満ちているのです。

細かな解説が抜け落ちて、充足感だけが残った状態で、おまけのように壁画を眺め、調子を合わせて相槌を打っている間に乗っていたバスは進み、それを降りて天ぷらを食べ始め、その美味さに我を忘れるまで、我に返ることはありませんでした。もともと頑固な性格で、自らの正当性を保つためにあらゆる論理をこねくり回している毎日に、突如として、否応なく自分が変わっていることを実感させられ、それと同時にこの世のすべてを感じた。これがこれからの生活にどのような影響を与えるのかしばらくは考えていましたが、幾日が過ぎても、ぼくの毎日は表面上何も変わりませんでした。それもそのはずで、ぼくは既に変わり続けてきたのに、それを意識することなくこの6年を過ごしてきたのです。自分を見つめて落ち込む時間も体力もなく、映画を観ても小説を読んでも自然を眺めても、その時にはたくさんのことに気づき考え悩むのに、終われば目が覚めたあとの夢のようにさらさらと消えていってしまう毎日がほんの少しずつずっとずっと哀しかった人生に久しぶりに訪れた衝撃は、まさに僥倖と言うべきものでした。自分が変わっていること、自分が変わっていけることを知る瞬間の感覚はこんな感じだったよなと酷く久しぶりに思い出したし、それと同時に、自分は確かに変わってはいくけれど、その時々はすべて、正しくはないにしろ間違ってはいなかったとも感じました。

もちろんこうして、ある外的な要因によって自らが刺激され、刺激されていることを内的に感じるプロセスは貴重なもので、大切にしていきたいものです。けれど、それひとつひとつに固執するのも疲れてしまいます。事実十七の自分は、毎日起こる出来事に心を傾け、考え、気づき、疲れていました。それが若者の熱量であり、燃費であり、不甲斐なさでもあるのだろうし、未だにぼくはそうでありながらそれほどでもないという、半端な位置に立っていることも分かってきました。
今回、久しぶりにこうした過程を経て、まるで、それまでは毎日のように会っていた友人と数年ぶりに偶然出会った時のような変貌ぶりへの驚きを感じて、少しの余裕が生まれたように思います。
すなわち、毎日は変わらなくても何も起こらなくても、ただ許されるままに素直に宇宙の中で生きていれば、そこここに漂う何ものかと出会い別れその度に、傷ついた筋組織が修復される時のようにほんの少しだけ自分を大きくすることができる、その度ごとに気づくことがなくても。そのことを、ぼくは既に知っていたはずだし、今はその知識と感覚をすぐ近くに置いて、手に取ることができています。それだけでなんと毎日は生きやすいでしょうか、まだ見ぬ先にまだ見えぬ何かがあるのではない、繰り返しになるけれども、この自らが知覚できる範囲の世界の中に総てがあり、見えてはいるが出会ってはいないものに満たされており、その構成物に出会い別れ気づき、築いていくことこそが人生なのだと提示されるだけで、どんなに生きやすいだろう……。

御室仁和寺の千手観音の手には五色の紐が結ばれていて、それは観音堂の外にまで続いています。われわれはその紐をしっかりと握り、決められたことばを唱えることで、千手観音と繋がることができるとされています。
ぼくはもう繋がって来たので、あとは自由に素直に生きていていくだけです。それは徐ろに死が訪れるまでずっと続くことで、それだけなのに、それだけで日々は人生は、余りなく満ち足りてゆくのです。

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