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中学時代だけは輝いていた話part1

 はじめまして。高3になりたてのひっきーです。今回は僕が陸上部の長距離を始めた経緯について話そうと思います。

 僕は中学受験に合格して、県立の中等教育学校に入学しました。僕の通う予定だった市立中学には卓球部が無かったので卓球部に入るか、サッカーが好きだったのでサッカー部に入るかの二択で迷っていました。普通は仮入部で自分の能力にあった部活を選ぶと思うのですが、うちの学校には仮入部というものが無く、部活見学をすることしかできませんでした。

 僕はまず卓球部のところに見学に行きました。卓球部は周りから中を見ることのできない卓球場で活動していたので、学校のルールを無視して新入生にも卓球体験をさせていました。僕もそれに参加したのですが、卓球部相手には歯が立ちません。すると僕の相手をしていた卓球部の先輩が4分の1くらいのサイズのラケットに持ち替えるという舐めプをしてきました。頭にきたので卓球でフルボッコにして、卓球部を候補から外しました。

 次に、サッカー部の見学に行きました。サッカー部はやはり人気があるようで、見学に来ている新入生がたくさんいました。サッカー部に関しては特筆するようなことはありませんでしたが、顧問の先生も優しそうな感じだったのでサッカー部に入ろうと思いました。

 ここまでの話を読んで疑問に思った方も多いと思います。「あれ?陸上部は?」と。そうなんです。僕は陸上部に入ろうだなんてこれっぽっちも考えていませんでした。

 僕は家に帰ってからサッカー部に入りたいと親に告げました。すると親からの猛反発を喰らいます。「あんたがサッカーで活躍できるわけないでしょ!陸上部にしなさい!」と。親がここまで反発するのには3つほど理由があります。

 1つ目は、僕が小1から小4までフットサルをやっていたことです。フットサルと言っても週1でやるお遊びクラブのようなものでした。僕自身はサッカーやフットサルの類は得意だと思っていたのですが、親がサッカーの優劣を決める基準はなんとリフティングだったのです。僕はリフティングが最高でも8回くらいしかできなかったので、下手だと思われたのでしょう。

 2つ目は小学生のときから持久走大会でまあまあの結果を残していたことです。毎年学年10位以内に入り、小6のときには2位まで上り詰めました。

 3つ目は、3個上の兄が長距離をやっていたことです。うちの兄は地元の市立中学で全く練習していなかったにも関わらず、3000mで10'15"というそれなりのタイムを出していました。その時の兄の(親が勝手に決めた)目標が9分台を出すことで、僕に代わりに9分台を出してほしかったのだと思います。

 兄が陸上をやっていたので、うちの学校の長距離は市内で1、2を争う強豪校だということは知っていました。そして、練習がキツすぎることも…  

 そして、乗り気でないまま入部届を提出しました。しかし、僕にはまだ1つ逃げ道が残されていました。それは、短距離選手になることです。短距離だったら長距離よりは楽だろうと考えていたのです。

 そして、いよいよ最初の部会の日がやってきました。僕は新入生の集まっているところに行って驚愕しました。そこには、僕を入れて男子2人、女子1人の計3人しかいなかったのです。同じ部活の友達とワイワイしながら過ごすスクールライフを夢見ていた僕は落胆しました。

 部会では幹部的ポジションの先輩方の紹介と、新入生の自己紹介がありました。前に自己紹介した男子が競技は未定だと言っていたので、僕もそれに合わせました。

そして部会が終わったあと、新入生だけ顧問の先生に集められて、最初の大会の種目を決めると言われました。1年男子が出れる種目は、2つしかありませんでした。その2つが、100mと1500mだったのです。そして顧問の先生は続けてこう言いました。「50mのタイムが速いほうが100mね」と。

 僕はこれを聞いたとき、勝ちを確信していました。僕が中1の春にしては速い7"97というタイムを持っていたことと、もう一人の男子があまり速そうな体型をしていなかったからです。

 ところが、なんともう一人の男子が7"57だと言ったのです。後で聞いたら1秒言い間違えたらしいです。今思えば確信犯だと思います。そこで晴れて僕の1500m出場が確定しました。

 その話が終わった後、背の高い先輩が僕のところにやってきてこう言いました。「君、〇〇中の〇〇の弟だよね。じゃあ長距離だな。」と。

 とても怖かったです。

 続く


  


 

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