石井さんnote3

ある朝、目が見えなくなってから #人生を変える学び 石井健介 vol.3

――突然、視覚を失い、絶望の淵で自分を見つめた石井さんは、希望を生きることを選びます。泣き崩れることもありながら、どのようにダイアログ・イン・ザ・ダークの仕事とめぐりあうのでしょうか。

娘との2人ディスコごっこからイベントへ

石井:3歳の娘との関係には戸惑いました。それまで毎晩3冊絵本を読んであげていたのに、娘に「絵本読んで」とこられても、読んであげられない。そんな自分に絶望して泣いてしまう。娘からしたら、遊んでほしかったのに、パパに泣かれるわけです。

それを妻に指摘されて、考え直したんです。今の状況でも娘と遊べるものは何だろう、と。それでジェームス・ブラウン(R&Bのシンガー)をかけて2人で踊り狂ったんです。これがすごい楽しくて。地元の館山で「こどももおとなも みんなでディスコ」というイベントを立ち上げました。

自分でマイク握って、白い杖を持ちながらMCを始めたら、えらい好評で、やりたいことをやればいいなと思えたんです。見えないからといって自分に制限をかける必要はないんだなとわかりました。

中途で視覚障害になると、物理的にも精神的にも負担が大きいため、引きこもりになる方も多いと聞きます。でも僕は外に出たかったので、視覚を失ってから1年くらいで視覚障害者のための職能開発訓練校に通って、PCの勉強をしていました。そこでいろんな出会いがあって、子育てに関するイベントをしたり、医療福祉エンターテイメントを掲げているNPOのUbdobeが主催し、渋谷であらゆる障害の人も楽しむことのできるクラブイベントに携わったりしました。

そういう活動をしているなかで、ダイアログ・イン・ザ・ダーク(以下、DID)の総合プロデューサーの志村季世恵とつながったんです。DIDは、ドイツ発祥のエンターテイメントで、純度100%の暗闇をアテンドスタッフと呼ばれる視覚障害者スタッフが案内をし、五感の豊かさを感じたり、対話を楽しむものです。志村は僕がFacebookでマインドフルネスについて発信しているのを見ていたようです。ちょうどその当時、マインドフルネスをテーマとした、こちらの新施設「内なる美、ととのう暗闇」の構想があったので、僕が暗闇を案内するアテンドに適任だと声をかけてくれました。これが2018年11月なので、今はDIDにジョインして1年くらいですね。

絶対的な正義がなくなると世界は平和になる

武井:DIDに来てみてどうでしたか?

石井:企業などではダイバーシティとよく言うじゃないですか。掲げている理念はいいと思うのですが、実際のところは障害のある人やマイノリティを、マジョリティがケアしようという動きになってしまいがちです。しかもそれは、健常者側からの視点でしか作られていないことも多いですよね。でも、DIDには全然それがないんです。

例えばオフィスで「下の階に荷物が届くから誰か手伝って」と声がかかったら、全盲のスタッフも手伝います。普通なら「危ないからいいよ」となると思うし、僕も見えていた頃だったら、視覚障害者が荷物を運ぶなんて危なすぎると考えたと思うんです。でも、DIDは任せてくれる。「障害者だからできない」と決めつけないんですよね。障害者側も「迷惑になるかも」と後ずさりせず、自分ができることには進んで取り組んでいく。

もちろん必要なサポートはしつつも、先入観を持たずにまずは対話し、互いに信頼しあい、任せていく。これがDIDのカルチャーなんです。そして僕は、これがダイバーシティへの近道だとも思うんです。

武井:今日、「内なる美、ととのう暗闇。」を体験させていただきましたが、このプログラムは、体験者に何をもたらすものだとお考えですか?

石井:「内なる美、ととのう暗闇。」は、僕が目が見えなくなるプロセスで体験したことと同じなんです。まず、暗闇の中に入る。視覚が使えなくなると、目の前のことに必死になって、例えば明日〆切の原稿を抱えている人でも〆切のことを忘れて「今ここ」に集中すると思うんです。

それがマインドフルネスです。暗闇はマインドフルネスをつくる装置だと僕とは思っています。そこから、アクティビティやアテンドの声かけを通じて心理的な安全を感じられるようにして、恐怖を伴うマインドフルネスから、肩の力が抜けたマインドフルネスに変わっていきます。そういう状態で、暗闇の中で他の人の存在を感じることで「人が近くにいると安心するな」とか「人ってあったかいな」とか感じたりすると思うんです。

自分自身との対話の時間だったり、他者との関係性だったりに、それまでとは違う視線の向け方をしてくれるといいなと思います。

武井:それが伝わった人には何が起きると思われますか。

石井:まずは自分自身を本当の意味で大切にできるようになると思うんです。そして自分を大切にできる人は他者にも本当の意味で優しくなれると思うんです。

この120分の体験で自分の外側の世界は劇的に変わらないと思いますが、自分の世界のとらえ方や認識の仕方が変わると思います。

世界の捉え方を変えて、いくつかの視点を持つことができるようになると、例えば電車の中で隣の席の人がイライラしている場面に遭遇したとします。いままでだったらこっちまでイライラしていたところを、この人はイヤなことがあったのかな?そういう時もあるよなぁとか、そういう他者に寄り添った捉え方もできるようになると思うんですよね。

最近ネットで1つの視点からものを見て、叩く風潮があって、分断されているじゃないですか。もちろん人間としてやらないほうがいいことはたくさんあります。でもそういうのを「やっちゃうのもわかるかも」と一呼吸おいたうえで、でも違うよなぁ、そこには違和感を覚えるなぁと言うのと、自分の物差しだけで推し量って「絶対にそれに間違っている」というのは違うな、と。そういう視点を持ってもらえるようになったらうれしい。

石井さんnote5

武井:頭ごなしに否定するのは違う、と。そういう人が増えるとどう変わるとお考えですか?

石井:正義感やジャッジメントがなくなるんじゃないかと思っています。以前の僕は「俺が正しい。お前が間違っている」という世界に生きていたのですが、その世界は争いを生むんですよね。

世の中から、絶対的な正義感がなくなると平和になると思っています。

「あなたはこうだ」というジャッジメントやレッテル貼りではなく、「あなたがこう言ったことで、私は悲しい気持ちになっています」という事実を伝え合う。自分に軸を置くと、主語は自分になります。だから「私はこうしてもらえると嬉しい」ということを伝えるのはエゴイスティックになるのとは違うと思うんです。

自分の存在を確認できると、他者の存在も確認できる。自分を認められると、自分と他者との関係性がすごくよく分かるようになる。

自分でも瞑想をやりますし、セラピストとしても瞑想のガイドをしますが、まず自分にフォーカスしてもらいます。自分の存在は、自然とか宇宙の一部なんですけど、その中心にはいつも自分がいる。常に自分が中心だとわかると、他の人もそういう存在なんだとわかります。

そうすると、自分を犠牲にして誰かのために何かをして「これだけしてあげたのに、なぜあなたはそういう風にしか言ってくれないの?」という関係性をつくらなくなります。

依存しない、依存させない、でも関わっているという関係性になります。

背中合わせでくっついてちょっと離れた関係性といいますか。ちょっと身を委ねたくなったらピタとくっつけばいいし、委ねられてイヤだったらちょっと引けばいい。それがお互いにできる安心感のある信頼関係や関係性を築けるようになるためには、まず自分を認めること。自分の感情を大切にしていくこと。それがカギになるのかなと思います。

武井:世の中から絶対的な正義がなくなるといずれ平和になるだろうというのはよくわかります。石井さんご自身としては、今後どのようなことをされていきたいと思われていますか?

石井:DIDの枠を超えた話になりますが、個人として僕ができることは、もっとファッショナブルに、ポップに伝えていくことだと思うんです。啓蒙的にはなりたくないし、視聴覚障害の代表にもなりたくない。ただ、僕の場合はこうですよというのを伝えていきたいです。

武井:ファクトベースでいきたいということですよね。

石井:1つの見方だからねって。

――2人の話は、真のダイバーシティはどうやったら実現するかというトピックに移ります。vol.4に続く。