おじさん

zoomでオンラインのゼミを受け終わってから、ツイッターでチェンソーマン7巻発売の通知を見ていた僕は近くのツタヤに行くために財布とケータイだけを手にしてアパートを出た。


扉を開けた瞬間に入ってくる涼しい風が好きだ。アパートを出てツタヤまでは歩いて10分しない程度だった。


歩いていると目の隅にチラチラと映るものがある。ふとそこに目をやるとマンションのエントランスでぴょんぴょんと飛び跳ねているおじさんがいた。

コロナ生活によってたるんだ体を鍛えるために運動をしたいのだろうか、それにしては普通に私服のような格好で、住人が通るであろうエントランスでそれをするのは異様だ。ただおじさんは真剣な顔をしてその場でぴょんぴょん飛び跳ね続けていた。


その光景をまじまじと見てしまっていた僕も悪かったのであろう、

急におじさんがこちらを向いて僕と完全に目が合う。

なぜか僕はおじさんの眼差しから目を逸らすことができなかった。

しかし、動かない視線とは裏腹に僕の足は進み続ける。

おじさんはこちらを見たまま跳ね続ける。

ついに直線距離として一番近いおじさんの目の前に差し掛かる。

NFLで一時代を築いたジョー・モンタナの名言にこんなものがあった。

「集中力が高まると全てがスローモーションになって見える」

僕もラグビーというスポーツを嗜む端くれである以上この感覚を実感することがある。快感であることは言うまでもない。

この跳ねるおじさんとの一連の流れで僕は今までにないほどにこのスローモーション現象に直面していた。快感かと聞かれればしっかりと否定させていただきたい。

人をかわす瞬間、小さな隙間を縫ってパスを投げる瞬間、大きな人間がこちらに突撃してくる瞬間、しかし、今この瞬間ほどゆっくりと時間が流れていたことはなかったのではないだろうか。

時間はほとんど止まっているようなものだ。幸運なのは足だけは歩みを止めていないこと。

僕はおじさんを見つめながら横を通り過ぎる。

おじさんは僕を見つめながら跳ね続ける。

目尻のギリギリまで瞳孔が寄り、ついに顔を横に向けなければおじさんの瞳を見つめることができないところでその呪縛から解き放たれる。

おじさんから目を逸らすことができた瞬間、時の流れが元に戻ってきた。

遠くに車の音や人の生活音も聞こえてくる、おじさんがタンタンと地面を靴で叩く音しか聞こえていなかったことに今更ながら気付いたのだ。

急に世界が鮮明にうつりだす。

僕は歩みを進める。

もう一度振り返って跳ね続けるおじさんを確認することはできなかった。

あのおじさんはまだ跳ね続けているのかもしれない、それともただの準備運動でもう目的地に走り出したのかも。

僕はおじさんの瞳にその理由を探していたのだろうか。

どうでもいいことだ。

石川という日本の影側クソど田舎では東京などの都市部における発売日よりも1日遅れる。

チェンソーマン7巻は店頭になかった。

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