DAY 5 (メモ)

6日間で作品を創るということはかなりむちゃぶりである。

本来ならば2、3ヶ月かけてクリーエションをする。

なので、いくつかのシーンをつなげてみて

いらないところは切られる。

そんなのは当たり前だ。

だけど、若い頃にそれやられると、結構へこんだのを覚えてる。

こっちは一生懸命やってるのに、何が答えられなかったのか?とか

わたしが足りないからだめとか。

まあ、責める材料にもなる。しまいにゃじぶんが、全く足りてないとかね。

でもまあ、年を重ねてしまうと、はーい、見えないのねー。

了解です。おわり。になる。

他のシーンみて、ああ、このシーンの感じがいいよねっていうのが

見えてくるから、尚更いらないのも見える。

それが、まさにわたしと、若い女優さんのシーンだった。

若いダンス経験のない女優さん、とても落ち込んでた。

テキストをインプロで話しながら動く。

わたしにとっては段取りを決めすぎるのは隙間をなくすということ。

テキストを使ってもわたしは誰かを演じていない。できないから。

女優さんは段取りをとって状況をつくりだす。

そして、彼女自身をもしかしたら、誰かを演じていたように感じた。

どうしても、彼女のやり方に合わせられなかった。

それでもテキストをインプロでお互いに話すのは

生きているので、何がお互いの関係性の中でできるか?という

問題を本番前までに

解決しようとおもった。

それから、今回はイニャーキはわたしを怒鳴らなかった。

昔は本当によく怒鳴られたが、彼の意向と違うことしてるのがわかるから

はいはいはーいぐらいだった。逆にまわりがびびっていた笑。

(パフォーマンスが終わった後に、

最後まで、僕はチカをプッシュしなかったよ。それがよかったと

思うけど、ちょっと変なかんじだろ?って。まあ消化不良のような

でも、これもありかなという不思議な感覚であったのは伝わってた。)

この日、彼が、ぼくはテクニックが素敵とかよりも

みんなが誰なのかそれが見えてきた事の方がよっぽど嬉しいよって

言ってた。そして、今日からスタートしたらもっと

面白い事できたのにねって。

やっとコミュニケーションバリヤがとれた瞬間だったんだと思う。

ダンスはコミュニケーションなしではできない。

ダンサーである前に、人である事。

わたしはだれ?どこにいるの?何をしているの?

それを意識しないとだめなのだ。動いているとき。

人はほとんど無意識の中で動いているのだから。






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