ゆとり独居-04【独居終了、奇妙な母との共同生活へ】

クリスマスイブのこと。

まだ荷物などの移動を終わらせていないため実家で過ごす時間が多く、
その日も私は実家で風呂に入り寝ようとしていた。

風呂から上がると、父が自室から階段下めがけて
自室の色々なものを投げて、ぶつぶつ独り言を言っているところだった。
その異様な光景を前に驚き、また
その状況に何か対処できることはないかと
ずっとせわしく動き回りものを投げ、
次第に上がっていく父の怒りのボルテージを感じながらも近くにいた。

前兆はあった。

父はここ2-3年人が変わったようだった。
寡黙で穏やかで、自分の気持ちを表に出さないタイプ
という印象しかなかった。
帰宅してからの家では横になりテレビを見て鼻でふふっと笑うような人で
独り言をぶつぶつ言ったり、暴力的に暴れるようなことは一切なかった。
ここ数年で立場が上がり、仕事ばかり忙しいという風になるまでは
年に数回は一緒にご飯に行けたり、時には旅行に行く年もあった。
特段家族孝行の多い人ではなかったけれど、そういった穏やかな関係性が
人柄が、ただただ、それが父だった。

傲慢で人を見下すような人ではなかったのに
家族に対してさえ「社会経験もない女こどもが」といった風に
見下したうえで自分のすごさを語りだすというような事を
平気でするようになっていた。

そして母へのあたりが強く、人が変わったようになってからは特に
母との衝突が多くなり、ここ最近はずっと冷戦状態のような感じだった。

先に述べたように、もともと家族との関りは多い方ではなかった。
だから「これが本当の俺だ、今まで我慢してきただけだ」
と言われればそれまでのような気もしてくる。

しかし、明らかに目つきが落ち着かない様子であったり
死んだ魚のような目をしていて尋常ではない。

ここ半年は特に
父は少しでも酒が入るとスイッチが入ったように
こちらを煽るような激しい話し方をし
相手に話すすきを与えないほどの勢いで
口の端から泡を吹き、だらだら汗をかきながら話し続ける
という事が定期的にあり
こちらが何か言えたとしても、全く会話にならず酷い状態だった。

夜中でみんな寝ていてもお構いなしに部屋を開け放った状態で
テレビを大音量でつけ、部屋の中で煙草を吸い、
どたどた音をたてながら片づけを始めるといったことが毎日だった。

そんな状態で家族の中では
「頭おかしい」「うざい」「無理」「キモ過ぎ」
という程度で、本人が「これが本来の俺だ」というのだから
そうなのだろうか、だとしたら本当に最低だし
その最低な人間の血が通っていると思うと吐き気がするな、
というふうに、徐々に軽蔑の度合いが増えていく程度にしか考えていなかった。

尋常ではないものを感じてはいたし、実際
「病気かもしれないね」といったことは話していたが
だからといって話もできない人に病院に行こうと言う
選択肢はまるでなかった。

私も母に似て根に熱いものを持っているので
何とか父と話したい、そういう態度はおかしいと伝えたい
また、このままでは母が出ていってしまうと、
家族が離散になりかねないと考えあぐね
父のスイッチが入ってしまう日には、定期的に眠れなくなったりもした。

Amazonで毎日のように届く大小さまざまな商品。
次第に物であふれかえり、片付けもままならなくなった
煙草の煙の臭いが染みついてしまった父の部屋。

イブの夜中に暴れたときも
部屋のなかは荒れ放題で、その中で父は暴れた。
手の付けられないほどぐちゃぐちゃになっていた。

私も寝に入っていた他の兄弟3人同様に
目を背け自室に入ってしまう事も出来たが
放っておくことができなかった。

父は、仕事のストレスが原因でああいうおかしなことに
なっているという部分もあるだろうという事は
ここ最近ずっと感じてきていた事であったので
「大丈夫?父さん大丈夫?」と声を掛け続けた。

興奮状態がどんどんヒートアップして
声も大きくなり次第に母への愚痴を
部屋のすべての窓を開け放った状態で叫び続けた。
本当に、異様で、ついに頭いっちまったな、という感じだった。

子どもたちから見て母は、父がしきりに叫ぶ愚痴に当てはまるような
酷い母ではない。むしろ4人を懸命に育ててきた、不器用ながら素晴らしい母だ。
だから、父の中で、相当な認識の歪みも恐らく起きていることが分かった。

「お父さん」と呼ぶ私に対して
缶チューハイのゴミを投げつけ「お父さんじゃねぇんだよ!!!」と
叫んだかと思えば、「あ、ごめん、当たった?」などと
座った目でこちらを見て言ってきたりと
明らかに錯乱した状態であることは明らかだった。

部屋のクローゼットの扉を殴りぼこぼこにしたり
入口の扉を殴る蹴るなどして、再度の取り付けが不可能なほど大破させたり。
窓を開け放って叫んでいるものだから、近所にも聞こえていただろう。
隣に住む父の肉親の、母と弟(祖母と叔父)も心配して止めに来たが
その試みに対しても、止まることはなく2-3時間叫び続けた。

翌日、父は暴れたことを覚えていないといい
打って変わって穏やかな口調や見た目ではあったが
相変わらず目つきのおかしい表情で
妹に話をしたという。夜中の1時から朝5時まで止まることなく。
4時間も止まらず話し続けるなど、常人では不可能なことだ。

ほどなくして父を除いた家族で集まり、
父が暴れたことについて話し合った。
叔父は、自身が10年以上統合失調症と闘い
酷い鬱状態から2度の自殺未遂を経て
今は服薬しながら社会復帰を果たすまでに回復したという
経歴を持っている。何度か病院に入院することもあり
父のような人を何人も見たという。

「あれはもう、病院に入れないとだめだ」

様々なことを話し合った。
まず本人には病識がない事。
これからどういう風に家族で動いていくか。
など。
本当にみんなが、年末年始の休みのたくさんの時間を割いて
父の状態について向き合った。

一度父に、泣きながら病院に
行ってもらえないかと伝え行ってもらえた日があった。
受診は受けてもらったものの、時間はまだあるはずなのに
診察の途中で時間を気にしはじめ、「先生が気に食わない、
金は払うからこれで帰っていいですか。もう来る気はないので。
今日は娘の顔を立てるために来ただけだ」
などと言いだしたため
先生への失礼と、こちらの気持ちを度外視した父の発言に
苛立ちと悲しみと失望感でいっぱいになり
泣きながら「一人で帰れば?」と言って一人で帰らせてしまった
といった事があった。

私はそんな父の状態をふまえ
市の保健師から、病院の相談員、先生、
県のケースワーカーさんなど様々な人と話した。
その上で、高い確率で”躁うつ病でしょう”ということ
正常ではない状態であることを改めて思い知らされた。

色々な本やサイトの情報などを読み
父の言動とほぼ一致することから
家族の間でも父が”躁うつ病”でほぼ間違いないだろう
という認識となり、様々な人の体験談などを読む限りでは
本人にとっても家族にとっても
長く苦しい闘いになるであろうことも分かった。

母は暴れた日以来家を出てしまい
姉や母(母方の叔母や祖母)の家でひとまず寝泊りしていたが
眠れないからとそのうち私のアパートで寝れば?となり
今後当分は母と私、二人の生活になる事になりそうだ。

明日から家族みんな仕事や学校がはじまる。
父も仕事での負担がまたかかることとなり
これまで以上の異変を起こす可能性があるが
刃物や危ないものは隠してあるし
夜は隣の祖母たちが心配しているので
妹や弟たちはそちらで寝させることにした。

父の職場の上司へ、父の状態を伝える話にもなっているため
これ以上の負担がかかり続けて
父の状態が悪化し続けることもなくなった。
ひとまずの不安は払しょくされたように思う。

実家の家事に関しても兄弟で分担してやるという話になり
私はアパートに暮らしながらも実家の家計の管理をすることになった。
おかしな二重生活のはじまりだ。

どちらにせよ私は猫ちゃんのために頻繁に帰宅するつもりでいたので
まあいいのだが、、家族ができる限り離れ離れにならず
団結して、笑って楽しく暮らせる日々を続けていけるように
何が起きても、受け入れ、どうすることが最適解かを見つけていければと思う。

生きてる限り、笑っていくのだ!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?