毒親も愛されたいだけだったんだ

「お母さん、私を自由にして!」というタイトルの本を読んだ。

私は最近涙腺が崩壊しているし、メンタルに少々難ありといった感じでメンタルクリニックに通い、カウンセリングを受けているような状態である。それは、昨年末から続いている父の病的言動行動による様々な生活上のストレスによるものが大きいと思われる。
そしてそれが、母親の更なるストレスやトラウマとなり、母親の否定的発言を輪をかけるようにして酷くさせているように思う。
私はずっと緊張状態にあった。父親がいつ今以上に壊れてしまうのか、それによって周りの人間にどのような弊害が起きるのか、それが回りまわっていつ家族や自分の首を絞めることになるのか。死んでしまうのではないか。父は一生このままで、私は一生父のことを気にかけ続け、いずれはあんな普通じゃない状態の父の面倒を見ていかなければならなくなるのではないか。家族がこのままバラバラになってしまうのではないか。そう思うと怖くてたまらない気がした。
母を酷くこきおろし、罵詈雑言を浴びせ、家のお金を使い込んでいて、自分のことしか話さず家族に裏切られたと言い続ける父を信じたくない気持ちや、父が病的な父自身を認めていつか向き合ってくれるだろうと信じたい気持ち。
私は娘として、家族として、父のことも母のことも支えてあげなくてはならないんだ。みんなで一致団結して、支えあっていかなければ。病気なんかに負けないで前を向いていかなければ。。
そんな、様々な想いが交錯し続けている。
こんな風になったのは、私のせいではない。父だけのせいでもなければ、他の誰かだけのせいでもない。両親がここ数年多少なりとも冷めてしまっていたことは、夫婦として二人が本音で話し合う機会を持つことを諦めてしまったことに原因があると思うが、夫婦の問題だけで今の状況が起きたのではない。

父の育ってきた環境や、どのようにして両親に育てられてきたか。育ってきた、成長しこれまで生きてきたすべての時間に、どんな背景があったのか。それを知らずして、父のことを責めることもできない。知ったところで、きっと私は父に同情してしまうのだと思う。だから、誰も悪くないのだと思ってしまう。
心がざわついてしまう原因は、どこにあるのだろう。どこにもあてがうことのできない、深い悲しみや怒りの感情が奥底に渦を巻いている。誰かや何かにぶつけて発散することができたら、それはどれだけいいことだろうとも思うし、そんな最低なことはするべきではないとも思う。
具体的にどこから涌き出てきたのかわからないモヤモヤした感情が行き場をなくして、大粒の涙として溢れてくる。そして胸がきゅうっと苦しく、悲しくなる。
私はこんな状態の自分に、「大丈夫だよ」と、優しく言ってあげたいと思ったけれど、自分ではすぐに言ってあげられないことを知っていた。だから、プロに委ねてみようと思った。

先に書いた母の否定的発言について、ナーバスになりやすい今の私は、より一層過敏に感じられるようになってしまっており、今回の件によりパワーアップしたように感じられる母の否定的発言がグサグサと心に突き刺さって痛かったり、その発言に足をとられて気分のが沈んだりしてしまっていた。
私の人生は、これまで低空飛行を続けてきたように思う。だから、これからの人生は右肩上がりに上昇していく事で大器晩成するのだと考えている。そのためには、ポジティブに物事をとらえ、自信を持ち、前向きに生きていく必要がある。
この生活環境はしばらく続くのだから、しんどい今、影響されやすい母の言葉を母自身が意識して欲しい、私だけに限らず弟たちにもよくないからそうするべきだと思ってしまい、否定的発言を辞めて欲しいと伝えてしまった。母は認めてくれなかった。この年まで同じようになってきて今さら無理だと、やはり否定的な言葉で返されてしまうのであった。
弟にも諭されて思ったのは、そもそも母を変えようとした私自身がよろしくなかったのだということ。口ではさんざん、人は鏡だとかいう癖に、自分のことは見えてないようだ。母が否定的でマイナスなことばかり口にするように感じそう見えてしまうのは、私自身がそうだからに他ならない。ならば。私自身が私を変えていくしか方法はないということ。母に変わって欲しいと願うのならば、私が変わる必要があったのだ。

冒頭に書いた本のなかでは、毒母についての話が語られている。毒母もかつては自身の母親に同じようにされてきているのだということ。そして、幼少期のトラウマがいつまでも残っていて、感情麻痺を起こしており、幼稚であるということ。常に緊張状態にあり、不安を抱えているということ。
例にあげられる毒母は、とんでもなく酷いものばかりであったが、うちの母はそこまでではないと断言できた。ところどころ深く頷けるところもあり、やはり母も毒親の仲間なのだと笑ったが、それに対する娘たちの考えや感じ方とも、少し私のものは違った。ということは、母のさほど強固でないと思われる毒母性は、私が変わっていくことによって良くなることもあるのではないかと、また、私よりも辛く耐えて生きてきた娘たちがたくさんいるのだと、そうわかって希望に思えた。

メンタルクリニックの心理士さんと、これから受けるつもりのコーチングの先生。二人の強力なバックアップをいただこう、お金がかかろうとも。そう思う。

必ず母との関係は生涯良好なものでいたいし、私は母の事が大好きだ。
ただそこにいるだけで、母に、自分自身に、癒しを与えられる人になる。

明日から連休が終わり労働の毎日が始まる。
楽しんで仕事をしようと思う。

おやすみなさい。

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