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【個人的メモ】丸加山の由来について

丸加山は、現在江部乙農協のところで呉服店を経営していた石丸呉服店の屋号が㋕であったところから名付けられた。
明治27年頃まで現在の滝川の東方高陵地帯は原始林であったが、それを各地の財産家たちや団体で払い下げ、その土地は数年の内に開拓された。この払い下げされた土地の内、赤平と江部乙にまたがった土地を譲り受けたのが㋕石丸農場だった。この㋕石丸農場は先述の通り呉服店を経営し、私立教習所までも作り、この山地帯の文化の中心地として発展した。金毘羅様の建立や商店の経営、農業事務所の設置など繁栄を築いたようだった。
ただこの丸加山の由来となった㋕石丸農場は現在の丸加高原の位置にあったわけではなく、現在の丸加高原よりもっと南東に位置しており、当時㋩小関農場、芳賀農場、下農場があった辺りが現在の丸加高原の位置と唱える人もいる。
参考文献:ゆうべおっと33号・17号、そうらっぷち26号

マジでぐぐっても全然見当たらなかったから図書館で調べました(爆)

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