見出し画像

フェミ系の単位を落とした話

これは貧乏職人の家系に生まれ育った私が、世間知というものをほぼほぼ身に着けないまま大学生になってしまった頃のお話です。

大学1年の時になんとなく履修した一般教養科目の一つが女性講師が教える男女平等のお話でした。
(※フェミニズムという単語を使っていたかどうかは覚えていません。)
その講義では人それぞれ捉え方のあるだろうことに対して『これが答えだ』的に教えられ、なんとなく講師の思考を押し付けられているような違和感を感じていました。

そしてテスト。問題は男女平等に関する規範・道徳的なお話で『こんなん人によって答え変わるでしょ』と思っていたらテスト中に女性講師は繰り返し『テストの答えは私が著した教科書に書いてあります。』的な言葉を繰り返していました。
今思えば何をすればテストをクリアして単位をもらえるか親切に教えてくれているのだから素直に従っていればよかったのですが…世間知の乏しい私は教科書通りの回答を書いた後に『でもこういう考え方もあると思いました』的なことを書き足しました。

テスト後にそれを友人に伝えたときにびっくりした顔で『お前それやっちゃだめなやつだよ』と言われましたが『いや、でも教科書通りのことも書いた上での意見だし大丈夫じゃない?』と私には全然ピンときませんでした。

後日友人の言葉通り単位を落としたことを知り、納得のいかない私は採点ミスがないか講師に確認にいくと講師は快く部屋に迎え入れてくれて『確認するからちょっと待ってね。名前は?』と全員の成績評価メモ的なものを調べてくれました。
しかし、私の欄を探し当てると表情が一変してこわばり『テストの回答であなたは私の講義を理解していないと判明したので単位はあげられません』と静かだけどとても強い語気で私に伝えました。
その迫力に圧倒された私は『わかりました。ありがとうございました。』とだけ伝えて逃げるように立ち去りつつ『怖い!なるほど。世の中の文系科目には講師の考えに従った回答を書かないと「正解」ではない学問があるかぁ。いや、講師の考えを押し付ける学問ってなんなの?納得いかない』的な考えがぐるぐるしてました。

以上が私の回想です。
白饅頭氏のnote読者になって何故あの女性講師がなぜ私のテスト回答にあそこまで怒りを感じたのか理解できるようになりました。

自身にもなんらかの抑圧経験や生きづらさを自認してきた当事者が社会学者となり――たとえば、民族マイノリティがマイノリティ論を、女性がフェミニズム論を――研究しているとき、その傾向はますます顕著になった。「こいつは私たちの経験を否定しようとしている。私たちの存在を否定しようとしている」などと噴き上がってしてしまうのだ。

まさにこれですね。単位をもらいたいだけの一学生である私が女性講師の地雷を無邪気に力いっぱい踏み抜いてしまったのでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?