選択
今日の朝、何を食べて
どの角を曲がって
駅までいくか?
誰に電話をするか?
お風呂はシャワーにするか
半身浴にするか?
お風呂から上がったら
リビングに行くか
それともベッドルームに直行か?
ことの大小には関係なく
人生の1から10まで
すべて自分で決めている
これが動かしがたい
世界の成り立ちだとすれば
(私はこの成り立ちを信じているけど)
お風呂上りにベッドルームに直行して
タンスの角に
足の小指をぶつけて悶絶しても
それは自分が望んだ結果ということになる
お母さんに
「お風呂から上がったら
リビングでテレビなんか見てないで
すぐ寝なさい」と言われて
ベッドルームに行って
足の小指をぶつけても
やっぱりそれは自分が望んだ結果。
お母さんの意見を採用する
という自分の意思が働いているから。
そうやって
自分が選択できることが
幸せってこと
だからタンスの角に
足の小指をぶつけても
そのことが幸せか不幸かじゃない。
今が幸せ
こんな私でも幸せって
ずっと自分が選択してきた。
選択し続けて
今、生きている
そのことに対しての
幸せを指しているのだと思う。
生きる幸せ
そのことを
まず受け入れる
選択の自由がある
それは自分の好きに
生きていいってこと
軌道修正はいくらでもきく
そして、どんな選択をしても
小指をぶつける可能性は
0ではないのです
だからね
タンスの角に小指をぶつける
自分を責めるのではなく
「ぶつけちゃったね~。痛いわ~」って
笑ってしまえたら
いいなと思うのです
そしてまた
新しい選択をすればいい
まぁ、自分を責めるのも
選択のひとつではあるけどね^_^
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