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自分を楽しむ
目の前の問題が
自分の人生のシナリオの
一部でしかないとわかると
もう、幸せにしかならないのだと
認めるしかなくなる
目の前の問題が
自分の偏りを教えてくれる
自分が何を悪いことだと思っているのか
自分が何を怖がっているのか
自分が本当は何を望んでいるのか
それを教えてくれているだけなのだと思えば
それを知って受け入れるためのものなのだと思えば
問題は
ただの出来事になる
新たな問題が起きても
この仕組みを思い出すだけでいい
私たち人間は
刺激を楽しむ生き物
そこがほかの動物にはない特徴かもしれない
刺激を楽しみ
刺激を受けた自分を楽しむ
刺激=問題
だから
それは必死に問題生み出す
私、どれだけ
必死に探し出してきただろう
悩むことが
楽しみだったなんて
あの苦しさは何だったんだと思う
今だって
いいことばかりじゃない
うまくいかないこと
たくさんある
きっとね
問題が
自分自身を生ききるための
指針になのだと
心底深く理解できたとき
問題を探さなくても
自分を楽しむことができるように
なるのだと思う
ただ、生きて
ただ、死ぬ
そのあいだにある膨大な量の情報を
(恩恵っていってもいいのかな?)
問題を通してではなく
幸福を通して体感できるようになるのだろうね
真剣に遊ぶ大人になる
遊びきって死ぬ
シンプルに
ただ、それだけ
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