第4日曜 20:00~

2013年の秋、私は新卒で入社した会社を退職した。
キャリアチェンジをするために。
そのためには、国家試験に合格しないといけない。

勉強時間を確保するために残業のない契約社員として働きながら、50万円近いお金を払って国家試験の予備校に通い始めた。当時20代そこそこの私とって、50万なんて超大金である。
合格率は一桁。覚悟はしていたけど想像以上の厳しさに、出口の見えないトンネルに迷い込んでしまったような気持ちになった。
受かる保証なんてどこにもない。契約社員になって収入は減った。勉強のために友達からの誘いを断り続けていたら、友達も減った。

もう、いい大人なのに、私は生まれて初めて文字通り「勉強漬け」の日々を過ごした。

明日からまた頑張ろう、と思わせてくれた二人

そんな時、当時東京進出したばかりのウーマンラッシュアワーのトークライブが神保町花月で開催されることを知った。元々お二人の漫才が面白いことは知っていたので、予備校からも近いし、ちょっと気晴らしに行ってみるか!と行くことにした。

もう、めちゃくちゃ面白かった。漫才だけじゃなくてトークもこんなに面白いのかと。
これは芸人さんとしてはよくないのかもしれないけど、村本さんはめちゃくちゃ努力が見える人。東京に出てきて、売れたい、漫才で日本一になりたいという鬼気迫るものがあった。
一方のパラダイスさんは、本当にあのまんまで、よくステージ上でも村本さんに怒られていたけど、ほどよく力が抜けていて、お二人のバランスが絶妙だった。

ライブの帰り道、久しぶりに「あー楽しかった!」と思うと同時に、「明日からまた勉強頑張ろう」と思った。
私は頑張っている人を見ると触発されて「私も頑張らなくては!」と思うタイプのようだ。
そして、その時、このライブに行くことを月1の楽しみにしようと心に決めた。

神保町花月から∞ホールへ

THE MANZAIで優勝してからは特に、トークライブのチケットが即完売することが多くなった。私もチケットが取れず、泣く泣くあきらめたことも。
もう神保町花月のキャパでは小さすぎることは、いちファンから見ても明らかだった。

そして2014年の秋ごろから、トークライブは神保町花月ではなく渋谷にあるよしもと∞ホールで開催されることになった。「SHIBUYA ウーマンラッシュアワー109」と名前を変え、毎月第4日曜日の夜。
第4日曜日は朝から予備校で講義→終わったら自習をして、夜になったら渋谷へ移動してライブを見るのが私の唯一の楽しみになった。

神保町花月から比べるとかなり客席数は増えたものの、客席はいつも満席で、立見席まで売り切れていることも。
客席からは黄色い声が飛び、もはやアイドルのようだった。お二人は劇場の漫才の出番(しかも6ステージとか!)の後にトークライブということが多かったので、よく村本さんの声はガサガサに枯れていた。ちなみに、パラダイスさんの声が枯れているのは一度も見たことがない(笑)

「あの番組に今度出ます」
「レギュラー番組が決まりました」
「本を出します」
たくさんのうれしい報告を∞ホールで聞いた。
ウーマンラッシュアワーはどんどんスターになっていった。

一方の私はどうだろう。
私が受験した国家試験は、1次試験→2次試験→最終試験と3つの試験に合格しないといけないのだが、私は2回連続1次試験で落ちた。

次々結果を出すウーマンラッシュアワーと、全然結果を出せない私。
勝手に比較して、落ち込むこともあった。

2回目の1次試験に落ちた時、「次も1次試験で落ちたら、もう受験はやめてエンジニアに戻ろう。」と決めた。
ついついiPhoneをいじってしまうから、SNSのアプリを全部消した。
ついつい電車の中で音楽を聞いてしまうから、iPhoneから音楽も消して、講義の音声のみ聞けるようにした。LINEの通知もオフにした。
ボールペンのインクは、1週間も経たずに空になった。
3回目の試験までの記憶は、ほとんどない。それくらい、それまで以上に「勉強漬け」だった。

勝負飯はハンバーグ

ある時、ライブのあとパラダイスさんとお話をする機会があった。
サインをしてもらおうと思ったのだが、予備校帰りの私は当然色紙なんて持っていない。
「ボロボロの本ですみません」と私は試験勉強に使っているテキストを差し出した。

パラダイスさんは私のテキストを見て、「めちゃくちゃ勉強してるやんか!この本なに?」と聞いてきた。
私は働きながら国家試験の勉強をしていること、5月に試験があること、今まで2回落ちていて次が怖くて仕方ないことを話した。

するとパラダイスさんは

俺たちも3回目でTHE MANZAI優勝できたからなあ。
あ、試験の朝はハンバーグ食べていったらええよ。
最初の2回はかずちゃん(パラダイスさんの奥様)が勝負に勝つ!でとんかつを作ってくれたけど、3回目はハンバーグやったよ。
今年は朝ハンバーグ食べていったら、いけるんちゃうかなあ。頑張ってや!

そう言って、自ら握手の手を差し伸べてくれた。
もちろん言葉にできないくらい嬉しかったし、絶対に今年は受かろうと改めて思った。

それ以来、私の勝負飯はハンバーグである。
1次試験の朝も、2次試験の朝も、最終試験の朝も、転職の面接の日も、私はハンバーグを食べた。
正直ハンバーグはそれほど好きではないので、そういうときくらいしか食べない。

突然の終了

2017年、「SHIBUYA ウーマンラッシュアワー109」が終わった。

もちろん悲しかったし、心にぽっかり穴が開いたような、大袈裟ではなく「私はこれから何を楽しみに生きればいいのか」みたいな気持ちになった。

最後のライブで確か村本さんはこんなことを言っていた。

ここに来てくれるお客さんは、みんな僕たちのファンであたたかいから、よく笑ってくれる。やっててとても気持ちいいけど、ここで満足していたらウーマンラッシュアワーはもう一つ上のステージにいけない気がするから、月1のトークライブはやめます。

居心地のいい場所を自ら捨てる、やっぱりストイックだった。

その時の私は、1次試験と2次試験に合格して、最終試験を残すのみとなっていた。
「最後くらい、ひとりで頑張りぬきなさい。」そう神様に言われたような気がした。

そして、2017年11月、約4年弱に及ぶ私の受験生活も終わった。

いろんな人に支えてもらった受験生活だった。
両親、予備校の先生やスタッフ、応援してくれた友達、(当時の)彼氏、そして月に一度90分間の楽しみをくれたウーマンラッシュアワー。

半径5mの笑いから脱した二人

トークライブで忘れられない一幕がある。
村本さんがテレビの共演者に「お前の笑いは自分の半径5mの笑いだ」と言われたと、とても悔しがっていた。
確かにその頃は、ファンに手を出すとかw自分の家族や仲がいい後輩芸人の話が多かったので、別にそれでも面白いからいいんじゃない?と思ったけど、妙に納得した。

私が試験に合格した頃からウーマンラッシュアワーは社会問題を題材にした漫才をするようになり、テレビから姿を消した。
村本さんは海外にも頻繁に行くようになり、英語の勉強をよくしていた。

きっと、上述した共演者の言葉なんて関係なく、今、自分たちがベストだと思うことを一生懸命やっているだけなんだと思う。
でも、「半径5mの笑い」という殻は大きく破ったんだなと。

いくつになっても貪欲で自己ベストを更新していく村本さんと、隣で全力で頷くパラダイスさん。
あの頃からは大きく形を変えたけど、私はお二人の漫才が今でも大好きです。

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