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日台の絆〜なぜ台湾人は親日なのか

こんにちは、ちーです。

暑くなりましたね💦

まだ序の口ですが、暑くてたまらない夏がもう目の前ですね。

にも関わらず、今年の夏もマスク着用必須です・・・

しんどいですが、暑さとコロナに負けず乗り切りましょう!!


先週末、

日本が台湾にアストラゼネカ製のワクチン124万回分を提供した

というとても嬉しいニュースがありました。

引用先:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210604/k10013067981000.html


コロナ優等生と言われていた台湾でしたが、5月中旬ごろから感染者が急増しています。
重ねて、台湾はワクチンを輸入することに困難を極めていました。

そこで手を差し伸べたのが、我が国「日本」です!!

台湾が「ワクチン不足」を表明した後の、日本政府の対応は迅速でした。

ワクチン提供のニュースを見た時は、自分のことのように嬉しく安堵感を覚えたものです。

ワクチン提供後は、SNSなどで台湾人の日本への感謝の投稿が相次ぎ、台北101や有名ホテルでも謝意が表現されました。

そして、台湾の友人達から私にも感謝のメッセージが届きました(私が行っていないにも関わらずです)。

日台の絆は凄まじい

と改めて感じる出来事でした。

今回日本は台湾に手を差し伸べましたが、台湾は日本が困っている時に助けてくれました。

・東日本大震災の時は、義援金約253億円(世界最多※台湾の人口は日本の約5分の1で給料は日本の約半額です)
・マスク不足の時は200万枚のマスク

を寄付してくれました。

引用先:https://www.nippon.com/ja/features/c04918/

引用先:https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58294840R20C20A4CE0000/


私自身も台湾にたくさんの友人・知人がいますが、とても良くしてもらっています。
嫌な思いをしたことは一度もありません(※台湾に住むと日本との違いに戸惑うことはあると思います)。

親日だなと深く感じます。


なぜ、台湾人はこんなにも親日なのでしょうか・・・?

今回は台湾が親日な理由について、歴史的背景から紐解いていこうと思います!

台湾は日本だった

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1895年から1945年までの50年間、台湾は日本に統治されていました。

1894-1895年にあった日清戦争(日本と中国の戦争)に清国(中国)が敗戦し、台湾が中国から日本へ渡されました。

統治とは

主権者がその国土・人民を支配しおさめること

です。

言い換えると、日本が台湾を支配したということになります。

あまり良くは聞こえませんよね。

しかしながら、統治していた50年間に日本は台湾に様々な貢献をしました。

一言で親日の理由を述べるなら、上記のことでしょう。

台湾への貢献に尽力した歴代人物

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日本統治時代に台湾に貢献した人物を、数名ご紹介します。

①児玉源太郎(こだまげんたろう)と後藤新平(ごとうしんぺい)

児玉源太郎は、第4代目の台湾総統です。
彼は、後藤新平を女房役の民政長官に起用しました。

彼らが、日本統治時代50年間の行政の基礎を作りました。

源太郎の方針は

同じアジア人として台湾近代化に尽くす

だったそうです。

また、後藤新平は医師でした。

彼らは以下↓のことなどを行いました。

・当時の台湾にはアヘン(麻薬)を吸っている人がたくさんいた。
アヘンに高額な税をかけ吸引者を徐々に減らすと共に、その税収を衛生改善に当てた。結果、50年後には吸引者がゼロになった。

・台湾は、瘴癘(しょうれい※マラリアのような風土病)の土地と呼ばれていた。
衛生環境が悪く、病死者が多かった。
そこで、悪疫予防のために上下水道を整備するなどインフラを整えた。

・伝染病を抑えるために台湾医学校を設立し、多くの台湾人医師が育った。

・ほとんど都市の形をなしていなかった台北で、大都市計画を実行した。
台湾の近代化に貢献した。

今の台湾があるのは、彼らの努力の結晶ですね。

台湾が親日なのは、彼らのお陰と言って間違い無いでしょう。

私たち日本人も彼らに頭が上がりませんね。

②新渡戸稲造(にとべいなぞう)

旧5,000円札の人物です(眼鏡をかけた人)。ご存知の方が多いと思います。

日本で最初の農学博士です。
台湾の農業振興のために、前述した2人が新渡戸氏を台湾に迎えました。

新渡戸氏は半年かけて台湾全土を巡り、製糖(サトウキビ)産業に目をつけ、品種改良・耕作方法・加工法の改善に取り組んだのです。

新渡戸氏の尽力によりサトウキビの生産量は劇的に増加し、台湾は世界有数の生産地になりました。

5,000円札の人物が台湾に貢献していたとは知らず、驚きでした!

新渡戸氏の5,000円札を保管していればよかったと少し後悔(笑)。

新渡戸氏の台湾製糖業への貢献は、高雄(たかお)市(※台湾南部にある都市)の台湾糖業博物館で見られるそうです。

コロナが終息したら、台湾で日本統治時代の足跡を辿りたいですね。

博物館について知りたい方はこちら↓をご覧ください。

引用先:https://www.taipeinavi.com/miru/72/

また、台湾には日本統治時代の建築物が数多く残っています。
ご興味ある方はこちら↓をご覧ください。

引用先:https://www.nikomaru.jp/taiwan/taiwan/building

③八田與一(はったよいち)

上の写真の人物で、土木技師です。

1920年から当時最大の水利事業、烏山頭(うさんとう)ダム約10年かけて建設しました。
農業用水路も整備し、不毛だった南部の嘉南(かなん)平野を穀倉地帯(※穀物が大量に産出される地方)に変えました。

農民に感謝され、戦後は台湾の教科書にも取り上げられたそうです。

八田氏の銅像は、烏山頭ダムに設置されています。

2020年に着工100周年を迎え、2021年5月8日に銅像前で記念式典が行われたそうです。
台湾の蔡英文(さいえいぶん)総統などが参加し、八田氏を称えました。

本当に素晴らしいとしか言いようがありませんね。


烏山頭ダムについては、こちら↓をご覧ください。

引用先:https://www.taipeinavi.com/miru/103/

日台の絆は永遠に・・・

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今回の記事を書いて、台湾が親日な理由について理解できました。

先代達の尽力により、私達に恩恵がもたらされていることに深い感謝の思いがこみ上げてきます。

日本と台湾の深い絆を切らすことなく、後世に繋げていきたいですね。

彼らのような立派な功績は残せませんが、小さなことでも人の役に立てる人間になりたいものです。

これからも台湾について、様々なジャンルで発信しようと思います。

一人でも多くの人が台湾に興味を持ってくれると嬉しいです。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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