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死について思うこと


2023年10月19日
今朝、ある兄弟からフランセスが体を横たえた

と知らされた

10月4日午後7時50分のことだったそうだ

フランセスに感謝を捧げます
写真は2019年春、カースティンとフランセスのリトリートの時のもの



死は現実だと
自我が早速大声を上げる

長らく信じてきたそのことに力を与えるのは終わりにしたいものの
当たり前のように彼女の死を悼み嘆き悲しみたい欲求に駆られる

そんな自分の気持ちと共にありながらいたら母と父の時のことが浮かんできた

母は私が子どものころ病気で亡くなった
正直あまりよく覚えていない

ただ、最期に母と対面した時に感じたことははっきりと覚えている

恐かった

大人になった私は
3人の子どもを遺していくことはとても無念で心配しかなかったと思うので
覚えている表情になることは当たり前と思えるのだけれど

7歳の私にはただただ恐かった

私は母に対して『恐い人だった』という記憶しかないのだけれど
もしかしたら残っているのはこの事だけなのかも

それから10年
私が17歳の春に父が自ら命を絶った

弟が
「姉ちゃん、大変!」と私を起こしにきた

呆然とするしかなかった

私が体験したこの二つの死は

死=恐怖・苦しみ

と私に深く刻まれたように思える


今日、フランセスのことを教えてくれた兄弟が
そのことを伝えるデイビッドの文章を翻訳してくれた
(翻訳機でとのこと、ありがたい)

それからは彼女の最期が
とても温かくて愛に溢れる平和なものだったことが伝わってきた
両親の死とは真逆だと思った

解放
という言葉が浮かんできた


この夏
長く付き合いのある友人が
正体不明の体調の悪さが続いていて約束がドタキャンになった時
死をやけにリアルに感じて
彼女を失いたくないと発狂し絶叫した

自分がこんなにも死を恐れているのかと
本当に驚いた



2019年
初めて彼女から個人セッションを受けた時に

あなたは本当にイエスに愛されています
今日から私もそこに加わります

とフランセスが言った

彼女がいなくなってしまったことを悲しいと思っていたら

いつでも一緒にいます

とフランセスに言われたような気がした


死に対する訂正を受け入れたい

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