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心地よい音を届けるには

こんにちは。
旅するクリスタルボウル Chizuです。

急に寒くなってきたので、なかなか次なる旅の予定を決めかねておりますが、とりあえず寒いのは苦手なので1月は南半球に行ってみようかと。

シドニーでプロモーション動画でも撮れたらいいなと思ったり、”いったい何のために?”って感じですが、やはりせっかく素敵な場所へ旅するのであればただ遊びに行くわけではもったいない。

敏腕ディレクターのような存在のお友達がいるんですw。もうパパパっと繋げてくれる。そしてそれを私もすんなり受け取れる。こんな関係の友達が多方面にいるととても助かりますね。

なのでとりあえず人生楽しんでる案件としていつか世に出せる日が来る覚書として置いときます。

さて。
音について最近いろいろと感じていたお話を記してみようと思います。

音って何?
と質問されてことばで答えられますか?

音は、物体が振動することによって生じる気体、液体、または固体中の圧力変動の結果として感知される振動のことです。

振動源が空気中にある場合、その振動は空気分子を圧縮し、膨張させることで音波として広がります。これによって、周囲の空気分子が次々と振動し、耳や音響機器を介して私たちの耳に届くことで音が聞こえます。

音は通常、振動の周波数(音の高さ)、振幅(音の大きさ)、および波形の形状によって特徴づけられます。音は様々な形で現れ、楽器、声、自然の音、機械音などが含まれます。

物理的な側面だけでなく、音は心理的な側面も持ちます。人間の聴覚は異なる周波数の振動を検知し、それを脳が解釈することで異なる音が認識されます。音楽や言語など、文化的な要素も音の理解や感受性に影響を与えます。

一応ChatGPTに聞きました

細かいことは横に置いといて
音とは、振動(波動)によって伝わるもの。
と定義されています。

音の高さ:振動数で表すいわゆる周波数Hzヘルツというもの
音の大きさ:音圧の振幅。dbデシベルで表されるもの
音の音色:波形のカタチ、つまり音波の質の違いが音色

そして、ここ!!
人間の聴覚は異なる周波数の振動を検知し
それを脳が解釈することで異なる音を認識

これみんな同じじゃないってことですよね。

みんなに同じように素敵な音として認識される(はず)きれいな音を均一にお届けしたい。なんて到底無理な話だったんですよね。にも関わらず、私はなんて傲慢で自分よがりなことを考えていたのでしょうか。

だって、捉え方が人それぞれなわけで、素敵な音だったとしてもその人の受け取るチャンネルが違ったら決して素敵な音で届くはずもない。

素敵度が数値化されたらきっと面白いんでしょうけれど、検証するのは素人には難しい。それに、視える化したら答えは出るかもしれないけれど、だから何なんって、またすぐに正解不正解を出したがるクセ。どうにかしたい。

私の好きだな思う音を言語化すると
癒される音キレイな音、澄んだ音、清らかな音、落ち着く音、などなんとなく一見美しく聞こえるいろんな言葉が出てきますし実際それをタイトルにもつけています。

確かに、私と似たような感覚の方であれば、
『今日はきれいな音を奏でることが出来た』と思って発信した場合、『きれいな音だった』と同じような感想をいただけるかもしれません。

でもその方が体調が優れないときに同じその音を聴いたとしても
『今日はもう1秒でも聴きたくない、しんどい』と感じるかもしれない。

また、私が『きれいだ』と感じているその音自体が苦手な人もいるでしょうし、頭が痛くなるくらい嫌な音かもしれない。

聴いていてしんどくなったというお話を耳にすることもあります。そうすると私はいったいどうしたらいいの?

「きれいな音ができたので聴いて!」というのは私のただの独りよがりなのかもしれない。

などなどですね。もういつものとおり私の脳内会議が止まらない!

私が演奏した音や映像、そして言葉たちも同様。
世に放った時点でワタシがどうにかできるものでもないのです。

せめてもの雑音を省いたり、適度な音量とか、最低限のことはするけれど。音を聞いてこう感じてほしいというようなコントロールはできないもの。

とはいえ、広く多く好まれるような音を追求したいとも思うし、万人に受け入れられたい欲がそんなことを考えさせてる気がします。

私がクリスタルボウルをやってる理由は
自分のため。
自分を癒したいため。
自分を整えたいため。
自分を心地よくしたいため。
っていうことではじめたはずなのです。

せっかくならそれを周りの方におすそ分けできたらいっか、くらいの思いで発信しはじめたはずなんですが、反響があるとそれに応えたい欲が出てきて来てあれこれ考えてしまうようになったって感じ。

別にその欲もあっていいかもしれないけど、自分の心地よさがそこにあるのかどうかってことが大事かなと思います。

自分が放った音にもう少し自信を持とう。

好き・嫌いとか良い・悪いじゃなくて、
その人にとってたまたま出会ったときに『心地よい音』と感じてもらえたらそれでいい。

そう。それでよくない?
というか、そこ委ねるしかなくない?
だって、快・不快は人それぞれだから。

聴いてくれた方が好きな音、素敵な音、落ち着く音、眠れる音。。。それぞれに心地よく受け取ってもらって、そうじゃないときは、そっと横に置いてもらう。で、また聴きたくなったら聴いてもらう。

そこは、もうお任せするしかない。
私は自分の音を信じるだけしかできないと気づきました。

あとは、出来るだけフラットな自分を意識して演奏しようと試みていたのですが、まあ私はすぐに脳内会議してしまうくらいですから、「無」になろうって意識したらするほどいっぱいいろいろ思考が飛んでくるわけで。

そうするとですね。
自分で録画みて思うのですが、私楽しんでるのか?めっちゃ考えて演奏してないか?って感じるときがありまして。

そうじゃなくて、自分自身が楽しんで演奏していると、自然と後から聞いても心地よい音が出せたと思うのです。それって周りに伝播する気がする。

だからこそ、自分のコンディションって大事。
まあ好きなタイミングで好きな時間演奏しているだけなので、そもそもが自分次第ではあるのですが、いつもその状態でいれたら嬉しいし、何より心地よい。

無になれたらそれこそ境地だけれど、クリスタルボウルのように透明であり、要らない思考とか飛んでない澄んだ音を出せるように、まずは自分が楽しく演奏する。

それが自然と心地よい音となり、それが波紋のように広がっていく!はず!と信じてる。

そんな音の世界をお届けすることを目指していきたいと思います。

ちょっとずつ演奏してるところYouTubeに上げてみてますが、演奏してるときって下を向いているから表情管理が非常に難しいのです…

早く旅するVer.編集しなくちゃ。と今気づきました。
よければそちらもお楽しみに。

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