ちいかおと申します。よろしくお願いします。
みなさん、おはこんばんちわ!
初めての方は、はじめまして!
Resole箱推し、Resoleに人生を変えられた女、ちいかおです。
現在、かのちゃんのvoicyを聴きながらこれを書いてます。かのちゃんの声、話し方、言葉選び、本当に素敵よね〜。
そして、もういくつ寝るとリソ杯ですね!楽しみ〜!!!
昨年のリソ杯は、私は観覧者として参加していました。そしてリソ杯終了後、会場を出てすぐのロビーにいらした、京角先生とかのちゃんとちゃんももさんの前で「来年のリソ杯出ます!!!」と、前のめりも前のめり発言をかましたのです。
観覧した当日に来年のリソ杯に出る決意をした理由は、ステージに立ったみなさんの姿に心から感動したから。
これは出場者の方はもちろん、京角先生・かのちゃん・ちゃんももさんの御三方も含みます。手持ちのタオルが涙を吸いすぎて、びしょびしょになるぐらい泣いたんですね。みんな、本当に本当に綺麗だったなぁ。
そして昨年も今年のように、Twitter(現X)に出場者の方々が、ご自身のことや決意された理由を書かれていました。それらを拝見していたので、お会いしたことがない方でも「この方はあんなに色々なことがあって、でも今こうやって立派に舞台に立っていらっしゃるんだ」と思うと、堪えていても込み上げてくるものがあり、涙が止まらなかったです。
なのでリソ杯出場と同じぐらい、自分のことについて書くことも楽しみにしていて「私自身のことも知って貰えたら嬉しいな〜」と思っていました。
ですが実際は、当初決めていた書き始め予定日から大分遅れ、書き上げるのにとても時間がかかりました。なぜか。
私はほんっとに、自分でも嫌になるぐらい見栄っ張りなんです!
そして何ひとつ完璧に出来ない完璧主義ね!!ザ・面倒臭い人間!!!なんです!!!
もうね〜、左見ては「私よりあの人の方が上手く書けてる。すごい」下を見ては「私は全然ダメだ」って思考がうるさい。「楽しみにしていたはずなのに、なかなか書き出せないのはどうしてだい?」と自分に聞いたら、心の中の私がそう教えてくれました。
でも時間は有限だし。物書きのプロではない私が完璧なんて出来ないし。「だったら楽しんじゃえばいーじゃん☆だってリソ杯は、そもそも競い合う大会ではないでしょう?みんながナンバーワンでオンリーワンじゃん☆」と心が決まって、何とか書き上げることが出来ました。
良かったら、読んでいただけたら、とっても嬉しいです。
ちいかおってこんなヤツ。
(「ちいかお」って打つと「地位顔」って変換されちゃう。何なのよ地位顔って。めちゃくちゃ顔面の自己肯定感高そう)
まずは簡単な自己紹介を。
私、ちいかおは2022年8月、「Resole」に入会しました。22年6月、産後約2年ぶりの健康診断の血液検査でひっかかり「これはマズイ!何かやらねば!!」と焦って入会した次第です。
現在は22年5月の人生MAX体重(77.5kg)から、-17kg(60.5kg)ほど減量しています。
ちなみに身長は152センチほどです。
産後、何でそこまで太ったのさ?
産前から70kg近くあったため、婦人科の先生に「これ以上体重を増やさないでください。何を食べたらいいかって?きゅうりとか?」(実話)と言われました。お腹の子を危険な目に遭わせたくないと思い、栄養士さんに指導していただいたおかげで、出産までの増量は5kg未満に抑えられたのでした。
しかし本来食べることが大好きな私は、産後、栄養士さんに「産後はボーナスタイムですよ♪」と言われたことを過大解釈し「ボーナスタイムだから♪」と約2年、自分に言い聞かせ続け、好き勝手に食べ続けていました。産後直後に産前まで落ちた体重は、あっという間に8kg増えていました。
ちなみに食べ続けていた原因は「元々食べることが大好きだった」というのも理由の一つですが、結婚・引越し・二世帯同居・会社の産前産後休業(職場大好き社畜人間)・出産・育児など、この3年ほどの期間であり得ないほど環境が変わり、そのストレスがかかっていたのも原因だと考えています。
健康診断からResole入会まで
5月のある日。体重計に乗ったら、なんと体重計が人生MAX値を叩き出しました。
しかしそれでも「ふーん。おもしれー体重。けど、そろそろダイエットしなきゃかなぁ。ポリポリゴクゴク(ポテトチップスをコーヒー牛乳で流し込む音)」と、あまり深刻にならずに日々を過ごしていました。
するとある日、職場から「キミ。健康診断、昨年も受けてないよね?いい加減受けろし」と(いうような内容が)書かれた通知が届きました。社畜人間の私は、職場の鶴の一声で「そうだ!受けなきゃ!」と思い、健康診断を受けました。
結果、血液検査に異常が見つかりました。(ちなみに「脂質」と「肝機能」でした。現在はおかげさまで改善してます)
不思議ですよね。元々診断される前から異常かもしれないと心の何処かで思っていたはずなのに、その異常が可視化された途端に、急激に不安になる。「このままだと長く生きられないかもしれない。夫と一緒に、娘の成長を見守ることが出来なくなってしまうかもしれない」そう紙面で現実を突きつけられて、私は「どうにかしないと」と、ものすごく焦りました。
焦った時に思い出したのが、Twitterでフォローしていた「かのちゃん」の存在でした。(かのちゃんをフォローさせて貰ったキッカケは、「あきばさやか」さんのブログです。かのちゃんと京角先生がブログ内の漫画で紹介されています)
当時「かの塾」のアーカイブが販売されていたので購入。購入当日から、隙があれば何度も何度も視聴し、何回も何回も泣きました。
かのちゃんのお話を繰り返し聞くうちに「私は私を守ってあげたい。許してあげたい。助けてあげたい」と思っていることに気付きました。
かの塾を視聴したことで決意し、私ちいかおはResoleに入会しました。
というわけで、かの塾は私の人生を変えてくれたと言っても過言ではないコンテンツです。今後も可能な限り視聴し続けたいし、もしまたリアルかの塾が開催されたら絶対行きたいと思います。
入会から初オントレデビューまで
2022年8月に入会し、最初の1ヶ月間はコラムしか読んでいませんでした。なので筋トレも全くしていませんでした。
オントレなんて言語道断。だってオントレ怖かったんだもん。運動音痴だし嫌いだし、特にキョントレなんて「“猛者集いし場”みたいで怖い…」と、勝手に思い込みフィルターをかけて距離を置いてました。
でも「入会したからには、何か結果を出したい!っていうか、とにかく痩せたい!!」と思い、翌月の京角先生のZoom個別相談に申し込みました。そして「せっかくプロに相談するならば、最短距離で痩せたい。そのためには現状を知っておかねばなるまい」と考え、初めて自分の全身写真を撮りました。
初めて撮った全身写真を見た時、めちゃくちゃショックだったのを覚えています。頭の中では、自分は「ほぼ綾瀬はる○」だと思っていたのに(怖)「この鏡(写真)の中の人は誰?呪いをかけられた魔物なの???」と混乱しました。(怖)
それと同時に「絶対この写真をビフォーにしてやる!私は変わる!!」とも思いました。
そしてZoom相談当日。京角先生の初HAHAHAを浴び、全身写真から「ここをこのように変えていくのがいいですね」というアドバイスをいただき、そのためのメニューを教えていただきました。
その夜、教えていただいたメニューの一つ、かの有名な「ヘイSiri」を左右1回ずつやりました。
そして次の日、2回ずつに増やしました。「ふざけているのか」と思われてしまうようなペースかもしれませんが、私はこれぐらいの進みでしないと、スタートダッシュを全力疾走してしまう、絶対に息切れをすると思ったからです。
日々左右1回ずつ、3回、4回と増やしていき、月末には20回×3セットが出来るようになっていました。
ちなみに冒頭で言っていた「オントレ怖い」私でしたが、組んでいただいたメニューをする中で「ちゃんとフォームチェックをしてもらいたいな」と思っていたので、その月のキョントレに出てみました。
参加する前にTwitterで「キョントレ初参加怖い」とツイートした時、「全然怖くないよ〜おいでおいで」と声をかけてくれたサロメンさん、未だに覚えてます。本当に有り難かった。(っていうかサロメンさんって本当に優しい人ばっかりだよね。マジBIGLOVE…)
そして「猛者集いし場。初心者お断り」だと思っていたキョントレですが、京角先生は短い時間の中でもびっくりするぐらい丁寧に見て教えてくださり、また励ましたり褒めてくださり、運動嫌いな私が「あれ?筋トレってちょっと楽しい…かも???」と思ってしまうぐらい、楽しい時間を過ごすことが出来ました。
そしてこのキョントレを機に、私は「月に1回は何かしらのオントレに出よう!」と決めました。
オントレデビューから職場復帰、そしてパーソナルへ
オントレデビューをし、その翌月に「ももトレ」に参加した10月。急遽、職場復帰が決まりました。待ち望んでいた職場復帰でしたが、不安もありました。それは「せっかく習慣化した筋トレや食事管理が出来なくなるのでは」という不安でした。
案の定、復帰して1ヶ月は筋トレが全く出来ず(寝かしつけで毎回寝落ち)、食事管理については、慣らし保育期間中、ほぼ毎日のようにコメダでモーニングをキメていたことをキッカケに、しなくなりました。(ゼロヒャク思考なので、一旦崩れると、とことん崩れる)
ちなみに体重ですが、復帰前は71〜72kg。復帰後も同じぐらいの体重を保っていました。要因は、おそらく復帰前より睡眠時間が取れるようになった(ただし自分の自由時間は全くなくなった)のと、自転車を一日1時間半乗り続けたことだと思います。(娘の保育園まで片道30分、最寄り駅まで片道15分)
ただ体重は保てていてもそれ以上減らないという状況が、2ヶ月ほど続きました。
食事管理をしなくなったので当たり前なのですが、今まで順調に減っていた体重が停滞するのがとてもストレスでした。
ストレスといえば。いつもオントレに出ている最中は夫に娘を任せていたのですが、その頃は娘の様子が気になってしまい、トレに集中出来ないことにも、とってもストレスを感じていました。気にしなければいいのでしょうが、どうしても気になる。それなら娘をそばに置いて参加させればいいのですが、私はやるからには集中してやりたいという思いが強かったのです。
職場復帰をし「食事管理も出来ない。筋トレも出来ない。オントレも参加出来ない」という自分にとって非常にストレス過多な状況で、なんとコロナに感染しました。
そのコロナ感染がキッカケで「もう周りに遠慮するのはやめて、自分の好きなようにやりたいようにやーろう☆後悔の多い人生にしたくないもんねー☆」と考えるようになりました。(この時の詳細を書き出すと一万字超えるので割愛)
その後、夫から「23年中にフォトウェディングをしよう」と提案されます。(コロナ発生の2020年に結婚したため、式は挙げていなかった)そこで「一生モノの記録になるから、後悔だけはしたくない」と思い「オントレにちゃんと出て筋トレしたい。減量もしたい」という気持ちがますます強くなりました。
しかし、仕事から帰宅すると家事育児に追われて、参加する気力と体力は全く残っていません。さらに参加が出来たとしても、娘のことが気になって集中出来ないのはすごく辛い。どうしたらいいものか。と悩んだ末に
「だったら体力が残っている時間で、娘が近くにいない状況の時に、集中して筋トレが出来れば…」
と考え、京角先生のパーソナルトレーニングを受けることを決めたのでした。
京角先生のパーソナルは、現在も継続中です。それについても、いつかまとめたいなぁ。
最後に
以上が入会前後の話です。
最後は生育歴について、お話ししていきたいと思います。
生育歴
私はある家の第一子、長女として生まれました。
物心ついた頃から、母は私に「お父さんはね、あなたが生まれた時に“なんだ女か”って言ったのよ」と何度も繰り返し聞かせてきました。
なので無意識に「私はお父さんに嫌われているんだ。女に生まれてしまった私は、この家にはいらない子なんだ」と思い込んでいたのだと思います。
私が父とまともに会話をするようになったのは、30歳を過ぎてからです。
また私には弟が二人います。父は特に長男に対して、厳しく躾をしていました。
私が長男と喧嘩をした時、例え私に非があっても、父は長男を叱りました。その時の私は「やった!」と叱られないことを喜んでいたのですが、心の底では自分に興味を持って貰えていないような気がして、寂しさを感じていました。
気づくと私は、家にあまりいない子になっていました。
小学生の頃から塾の帰りに友だちと深夜近くまで話し続け、中学も週末はほぼ友だちの家で過ごし、高校は部活とバイト漬け。卒業後は週3で飲み歩き、休みの日はカラオケオールか友だちの家に泊まる。それが少し落ち着くと、今度は休みなしで昼から夜中の2時過ぎまで働く生活をしていました。
また「家にいたくない」と思うのと同じぐらい「家にも居場所が欲しい、親に愛されたい、必要とされたい」という思いも強くありました。そしていつの間にか、親に気に入られるような子どもを演じるようになっていました。
演じていたことのひとつに「好き嫌いなく、たくさん食べる私」がいます。両親から褒めてもらえることが少なかった私が、必ず褒めて貰えることでした。だから私にとって「好き嫌いなく、たくさん食べる=親に褒めてもらえる。認めてもらえる」なのです。
もうひとつは、将来の夢です。私は声優になりたかった。小学生の頃から「声優になりたい」と周りに言っていました。そして周りの大人から「明確な目標があってすごいね。えらいね」と褒められることが嬉しかった。大人に褒められると、両親も喜んでくれると思っていました。
当時私は、声優の緒方恵美さんが演じていた「幽遊白書の蔵馬」に惹かれて声優になることを決意しました。今思えば、おそらく私は「女性でありながら、男性になれる(役を演じる)」緒方恵美さんが、とても羨ましかったのだと思います。
このように、生きてきた中で常に親に認められたいという思いが強くあったのですが、おかげさまで近年はそれが落ち着いてきています。
大きな要因の一つは、職場のつながりでカウンセリングや心理学を勉強する機会があったこと。その時に自分の心の傷や深層心理を知ることが出来たからです。
また最近ですが、両親に「小さな頃から母に繰り返し聞かされていた話に、とても傷付いていたこと」を伝えられたのも、大きな出来事でした。
そしてそのことで「なんだ女か」と言ったのは父ではなく、私を可愛がってくれていた祖母だということが分かりました。
その話を聞いた後、私の生まれた頃の写真を見返す機会があり、その中に赤ちゃんの私を父が抱き抱え、とても楽しそうに笑っている写真がありました。
写真の中の自分は、どう見ても「いらない子」ではなく、愛されている子でした。
それが分かった時、涙が止まりませんでした。
「いらない子」ではなく「愛されている子」だということが分かった。しかし、長年染み付いた思考の癖は、なかなか手強いです。
でもカウンセリングや心理学を学んで、Resoleに入って、かの塾を聞いて、サロメンさんと触れ合って、少しずつ少しずつ変わっているかなと思います。
ダイエットと同じように、誰と比べるでもなく、これからも泣いたり笑ったりしながら、自分と向き合っていきたいです。
こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。
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