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あい

出先で歩き疲れ、近くにあったカフェに入ろうとドアを開けたタイミングと、店内で流れていたBlur「Boys&Girls」のAlways should be someone you really loveの部分が重なった。Looooove な。

オールでクラブによく通っていた頃、BlurのParklifeがかかると体内リズムが変調するのか、ほんの少し、ほんのすこーーーしだけ阿波踊りっぽくなる男性がいた。20年以上も前に時々イベントで見かけていただけ、話したことすらない人を急に思い出して「うわあ、おったなあ」と懐かしむ。顔も具体的に思い出せないけれど、彼、元気かしら?

昨夜ひさしぶりに友人と長時間ビデオ通話をした。友人は「愛」を「肯定」ということばに置き換え、内容的には「結局は愛なんだよなあ(そこには愛があってほしい)」ということを話していた。

『旅をひとさじ』特設サイトにいただいた寄稿文には、愛なる文字がちょくちょく出てくる。「愛している」と書かなくっても、読んだ・見た人がそうして汲み取ってくれることに不思議さとありがたさが半々。伝わるんだなそういうのって。

若い頃、あれほど照れくさくて使えなかった「愛」ということばが、こんなに身近になった。年を重ねていく過程で視野狭窄に陥ることもあるけれど、いま現在の体感としては近道を覚えたような気がする。通過儀礼のようなまどろっこしいやりとりを端折っても、相手を知ることができる。大人って案外ラクな生き物なのかもしれない。日本社会で生きていくことの息苦しさはつきまとうけれど。

4歳になったばかりのアメリカMIXの甥っ子が、妹にきつく叱られたあとに「Mommy...do you still love me?」と聞いてきたそう。4歳でもう愛を確かめるのか。Parklifeで少し阿波る彼は音楽が好きでたまらないという感じだった。20年以上もわたしのなかに存在しなかったその彼にわく愛情もある。

近くの愛も、遠くの愛も、きょうは祝福したい。


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