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歯と千駄木

歯医者さんに行った。
ここ2年は特に
行かなきゃ、、行かなきゃなんだよな、、、と週一ペースくらいでひのまる歯科(千駄木にあるかかりつけの歯医者さん)のことを本当に思い出していた。

けど行けなかった。
コロナ罹患後の体力の落ち方はすごい。
2年経ってもこの状態をどう言い表したらいいか分からない。

体力気力がないとあらゆる事が疎かになる、
細部に気が回らなくなり、詰めが甘くなる。
朝晩の歯磨きの習慣に対してももれなくそうなっているのは感じているけど、何しろ生活をする事、毎日を一日ずつ営むことに
少ないエネルギーの全てを使ってしまうのだ。

 歯医者さんに行くって、私にとっては生活の中での順位がそんなに高くない事なんだなということも分かった。
何より歯を大切にしてる人ならそれこそ這ってでも歯医者にいくはずだもの。



コロナ後遺症で体力が落ちて立ってるだけでも辛いことを
悟られないように、バレないように、心配されないように、
そればかりに意識を集中してカラ元気で過ごした2年のツケは後からでなく、毎日やってきていた。心身に。

どうしてこんなに弱みを見せるのが嫌なんだろう苦手なんだろう、やり方が分からないんだろうと最近やっとそこに思い至るようになって
いま毎日その事を考えてる。
「人に弱みを見せられない。とにかく大丈夫に見せようとする。」は、
苦しんだ心身が教えてくれた私の弱点だ。
いや、ずっとそうだったんだけど
向き合ってこなかった。


 探って探ってさかのぼって、
子供の頃。

弱みや本音や柔らかいところを見せて
自分の作った大切な世界を崩されたことがあったんだと、
そしてその相手はおそらく父だったんだと、
そこにまで到達したのだけど
具体的なところが思い出せない。
他にも色んな悲しかった事がこの身体の中に今の全てにつながる傷として残ってるんだろう。
 子供の頃の傷と向き合うとか、親と向き合うとか、一番面倒で一番やりたくないことにやはり向き合わなきゃ行けなくなってくるんだなあ、45にもなると誤魔化しも効かなくなってくるんだなあと思う。
ああ面倒!
でもさっさと向き合って次に進みたい、本当は。

ーーーー

 「弱みを見せる」の話は一旦置いといて
歯の話。
昨夏から通い始めた整体の先生に教わって自分でも日々整体するようになってだいぶ効果を感じている。
今年になりまた一段階体力とエネルギーが戻ってきたのを感じていて
やっと歯医者に行けるようになったのもその回復の賜物だ。

 行ってみて分かったんだけど
3年ぶりの通院だった。

細部を撮影し診察した後

「この3年がとても大変だったんだなということが分かります」

と先生が仰ったのが印象的だった。

これまでになかった大きな虫歯が四つもあったし、知覚過敏の箇所も増えていた。
2年の間に薄々感じてたし覚悟してたとはいえショックだったなあ。
そして心身の状態や生活は口の中を見て分かるんだと、
そりゃそうだよな、心身の状態で生活習慣が変わりそれが歯に現れているんだもの、
と、とても納得した。

そして、説明せずとも伝わってしまうことに
とても安心もしたのだ。

 この3年、いやとくにこの2年がとても大変だったというもう分かってることを改めて見せられたショックもあったけど、
それよりもやっと歯医者に通える段階に来たことへの嬉しさが大きい。
やっとここまで回復して来たんだなあと思いながら、
この町に住んでいた頃にまるで別宅のように通ってた谷中珈琲の2階でこれを書いている。
珈琲もホットサンドも値上がりしていた。


 そして、ショック!とか嬉しい!とかそんな感情の反応は置いといて
何より私はこんなにも辛い状態を頑張ってくれた私の身体をもっともっともっと労らわねばならないんじゃないの?
ということに気付いた。
ずっと休まず歌わせてくれる喉も、美味しい物を食べさせてくれる歯も、こんなに頑張ってくれてる。
身体をねぎらう、いたわるってどういうことだろう。
何をしたら私の身体は喜ぶんだろう。


 整体を続けて、歯の治療をして、
状態はまた少しずつ上向いていくだろう。
そうなるから向き合えるようになる事があるんだろう。
過去のこと、心の中に必死で隠している事。
悲しかった、寂しかった、辛かった、
きっとそういう何かだと思う。
あるのは分かる、のにそれが何か分からない。


 焦っても仕方がないな。
身体におつかれさまを言って、ねぎらうところから始めていこう。

と思う、歯医者帰りです。


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