スパイダーマン ノーウェイ・ホーム
2021年
コロンビアピクチャーズ
監督 ジョン・ワッツ
出演 トム・ホランド
ゼンデイヤ
ベネディクト・カンバーバッチ
2022年最初の映画館での観賞。
前代未聞の映画体験
サム・ライミ版の1作目が公開されてから20年。
筆者はこれまですべてのスパイダーマン映画を劇場で観賞してきた。
今作の中で歴代ヴィランが当時と同じ役者で登場する度に、当時劇場で観た頃の思い出とともに、それぞれのスパイダーマン映画が映像として思い出され、筆者の脳内でもマルチバースが渾然一体となる体験をした。
ヴィランは治療されるべき存在なのか
魔術によりそれぞれのバースから引き寄せられたヴィラン達は、ドクターストレンジの地下牢に次々と捉えられてしまう。
そして、こう告げられる
君たちを死なせたくない。だから君たちを治療(fix)して、元の世界に送り返す、と。
筆者はこのシーンを観た時、まるで医者が患者の人権を無視して強制的な治療を宣告しているかのような印象を受けた。
元の世界に戻っても、君たちは排除される運命だ、だから世界に適応するには治療が必要なのだ、と言っているようなものだ。
ヴィラン(患者)は治療を望んでいるのだろうか?
望んで力を得た者、不慮の事故で力を得てしまった者、しかしその力と共に生きると決めた者など、それぞれ自分が得た力を受け入れている。
スパイダーマンのように得た力を正義の為に使えば、社会から受け入れられるが、ヴィランの様に私利私欲の為に使えば、社会的悪として排除の対象として見られる。
漫画やアニメや映画の世界で言えば、ヒーローが悪者を懲らしめるという構図で、あくまでエンタメ作品として楽しむことが出来る。
しかし今作では、ヴィランを治療するという発想が、現実世界にある、患者の意志に反する強制的(矯正的)治療の問題とリンクしてしまい、妙な違和感を禁じ得なかった。
スパイディの贖罪
結局ヴィラン達は、治療(fix)と称され、それぞれの力を奪われてしまう。
しかし、それで彼らは救われたのだろうか?
力を奪われ、凡人と化した彼らの表情は悲哀を含んでいたように感じられた。
かつて殺めてしまったヴィラン達を今作では殺さない方法で解決したことで、まるでスパイディ達の贖罪のような結果となっている。
ではスパイディ達は贖罪で救われたのかと言えば、筆者はそうとも思えない。
たとえ別世界でかつてのヴィランを助けても、過去に失ったものは帰ってくるわけではない。
表面的な贖罪で彼らは救われるわけではないが、元の世界に戻った彼らは、これからも喪失や孤独を受け入れながら前に進んでいくのだろう。
p.s
筆者はアメイジングスパイダーマンが大好きなので、アンドリューが出てきただけで、この映画は筆者にとっても特別な存在となりました。
#スパイダーマン ノーウェイ・ホーム
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