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フラれてるのに明るい人

KANさんの「愛は勝つ」が大ヒットした当時、小学六年生だった私は、CDが欲しいと両親にお願いした。
いいよ、買っといで、と父からお金を渡され、サンダル履きで商店街を駆けていったことを覚えている。

父がくれたのは五千円札。
大金を手にした小学六年生は、目当ての曲が収録されていることを確かめ、迷いなく「野球選手が夢だった。」というアルバムを買った。

「愛は勝つ」だけでよかったんじゃないとか妹に言われながら。
CDアルバムってなんか大人っぽい、と悦に入って。
自分の部屋で一日中、「愛は勝つ」から始まるそのアルバムを、来る日も来る日も聴き続け全曲好きになった。それからも、他の作品をレンタルしたり父に買ってもらったりで、好きな曲は増えていった。

四年の月日が流れ、高校生になった。
クラスメイトの成美ちゃんに好きなアーティストをきかれ、
「〇〇と、〇〇と、KAN」
成美ちゃんがものすごく驚いた顔をしていたから、成美ちゃんは、と聞き返したら「KANくん!!!!!!!」と絶叫した。

彼女は、私どころではないKANさんの「全曲マニア」だったのだ。
「愛は勝つ」だけじゃないのにね、と成美ちゃんが悔しそうに言ったとき、私は自分もずっとそう思っていた、と共感し話が弾み、あっというまに仲良くなった。

その会話のあとすぐ彼女は、おすすめ曲のカセットテープを作ってくれた。
どちらかという失くした恋の曲が多かったのはもしかして、成美ちゃんが私を思いやってくれたのかもしれなかった。

当時の私は、その年齢にしては深刻な失恋の真っただ中だった。
乗り越えられる気が全然しなくて、もう人生嫌んなっちゃった、みたいな気分になることも多かった。
「ラジコン」「星空がcrying」「明るいだけのLove Song」「秋、多摩川にて」など、KANさんの、フラれてるのに明るいラブソングが心にしみて、しみて、仕方なかった。

私は、フラれてて、フラれてるのに未練だらけで、そんな自分がみじめで悲しくてたまらない。現実を受け止められず、元気のない状態が長く続いていて、苦しくてしょうがない。けど、それを、今みたいに表に出して暗くやるんじゃなくて。
フラれてるのに明るい人、としてこの失恋と一緒に生きることはできるんじゃないだろうか。
「どうやってもダメだったら、そんときゃ焼肉でもいきましょうよ」
そういう態度で、この失恋をなんとか乗り越えてしまうことができるんじゃないか。「焼肉でもいきましょうよ」という曲は、聴くたびに吹きだした。

そして、成美ちゃんがテープをくれて半年ほど経ち、高校一年生も終わりに近づいたころ。
ああ、なんかもう私、大丈夫だな、と自分でわかった。これまで自分にまとわりついていた何か重苦しいものが、すとん、落ちたのがわかった。KANさんと成美ちゃんのおかげだな、音楽ってすごいな、友達っていいな、と思った。

あの日、シングルではなくアルバムを選んだこと。
ただそれだけの偶然の行為。小学六年生のあの日のことを思い出す。
五千円札を私にくれたお父さんが一番のファインプレーをしたのかもしれない、と思うとおかしい。
KANさんへの入り口が、「愛は勝つ」をアルバムで買ったことだった幸運。人生を豊かにしてくれる選択って、どこに転がっているかわからないな。







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