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続けて見かける「メッセージ」

こんにちは、トミモリです。
今日は「無意識に求めていた言葉?」というお話です。

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このところよく見かける言葉

ここ1週間くらいの間に何回か
形や表現を変えてですが
「何事も7割くらい頑張れたらOK」
という言葉をよく目にしています。


「人生7割くらいできていたら大丈夫」
「全部を頑張りすぎていませんか?」
「少しくらい手を抜いてもわからないですよ」

そんな話を続けて聞くと
「そうなのかもしれないな」
「私、今頑張りすぎているのかも」
という気が段々としてくるのです。



振り返ってみる「私の頑張り度」

そんな言葉を聞いてふと振り返ってみると
このところ次々と日々の仕事に追われていたのかも。


自分がやっている仕事の量はこんなものかと思っていたけれど
ふと周りと見渡してみると
「他の人たち、そんなに一生懸命やってないぞ」
「でも、程よく働いても成果がちゃんと出ている」
ということに気づいたりします。


それに比べて私の場合
「……今日一日、結局何の仕事をやっていたんだっけ?」
と夕方思うと同時に、
「何にも成果が出てないな」
という無力感を感じることもしばしばです。


もっと力を抜いて過ごしたい


そんなふうに、程よい仕事量で働いている人を見ると
「もう少し私も力を抜いてやろうかな」
と 改めて感じるんですよね。


具体的にはどのくらいかというと
仕事中に手を抜くわけではないけれど
無理をしてガチガチに力が入っていない状態とか。


仕事は最低限で 気持ちは半分くらいとか?
その気持ちを半分空けた余裕の部分で
「これから自分の人生で大事にしたいこと」を
日々の生活に組み入れたいなぁ、とか。


あとは、もう少し自分をしっかりと休ませたいかも。
だらけるのではなくてサボるのでもなくて
自分が休まるような行動を積極的にとっていったりとか。


そういう
「やらなければならない」
「このくらいできて当たり前」
と感じるものを優先して

「自分のための行動」
を優先してあげられていなかったような気がします。


見かける言葉は自分が今求めている言葉かも


そいういうことで ここ最近よく見かけている
「これ以上頑張る方向に向かわなくても良いんじゃない?」
というメッセージは

立ち止まって考えてみると今の自分が
すごく求めていたものだったのかも知れません。


今の自分が必要だと感じているものは
「別に何ができていなくても良いから、ちゃんと休もう!」
「これ以上頑張るのはやめて、7割くらいが達成できればOK!」
そんなものだったりします。


もし、あなたが
「なんかこのところよくみるな」
「この話何回か聞いたな」
というものがあった時には
その時に必要な言葉なのかもしれません。


その時には流してしまわず
ちょっとだけ丁寧に扱ってみると
思わぬあなたの望みに気づくかも知れませんよ?


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