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夢物語

夢をみない。

最近、夢をみなくなった。いちばん記憶に新しい夢といっても本当に思い出せない。

単純に夢をみていないのか、それともみているけど忘れてしまっているのかすらわからない。

頭のなかの記憶スイッチが壊れたのか、ちょっとした海馬のトラブルなのか、子どものころの記憶しか思い出せない。

そうして考えてみると、夢って日常の情報を自分がいいように解釈して整理した物語なんだよね。

いつものように晩御飯を食べながら次女に今日の出来事を聞いた。

「学校でなんかおもしろいことあった」

すると次女は、

「学校では特にないけど、夢をみた」

なんか言いたそうな顔をしている次女に聞いてみた。

「どんな夢?」

すると次女は次のように説明した。

知らない人たちとグループ分けられて、海に歩いて行った。そこで水着に着替えて深い海に飛び込んだ。冷たい海のなかで知らない人に、「サメとか見かけたらどうするの?」と聞いたら、「逃げるしかないよ」と言われて怖くなった。


そこで夢は終わったようなんだけど、若干、支離滅裂なところもあったが、とにかく怖かったことは伝わってきた。

次女の夢物語に登場する「海」「サメ」「知らない人」など現実に存在する「恐怖」がベースにあるようだ。娘は漫画「怖いストーリー」シリーズが好きなのも頷ける。

僕も子どもの頃にみた夢は未だに覚えている。何回も繰り返しみた夢にこんなのがある。

学校帰りの途中、とあるところに100円玉が落ちていた。そこを掘り始めると、どんどんお金が泉のように湧き出てくるのだ。たくさん掘り出してその夢は終わるのだが、その場所は確かに存在する。

実際その場所へシャベルを持参で掘りに行った。もちろんお金は出てこない。もし本当にお金が出てきたらどうしよう。と、宝くじを買って1億円当たったらどうしようみたいな夢のまた夢のような現実逃避を想像するのが好きだった。いま思うと1人で行った自分に腹黒さがあったなと恥ずかしさが先にくる。

でも、これは一種のファンタジーなんだと思う。妄想は膨れ上がるほどエンターテイメントになる。ネバーエンディングストーリーのファルコンにまたがり自由に空を飛べるんだ。

夢は幻想的かつフィクションであって欲しい。もっと自由でありたいと願う。夢の世界では映画の主演であり監督でもある。

夢はみるものではなく、つくるもの。

夢物語をつくるのは、いつも自分。

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