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普通にさいわい

2021年3月27日 #Q1347

 最寄りの駅前の大きな広場はネルシャツやらポロシャツやらを着た人々と、何やら細い木の楽器なんかと、鳩使いと、ハンドメイドと、薬湯みたいな色のナイロンのジャンパーを着た、恐らく喜寿の案内係と、普通に電車に乗りにきた人と、降りてきた人で適度に混雑しており、中高生など一人も所属していないであろう中高年の団体が、どこからかなんとか入手してきたYOASOBIの曲を、業務用のテントから割れんばかりの爆音で流し若者の歩度を緩めようと健闘していた。空にはどこまでも雲が広がっている。

 私はパンパンに膨れたリュックを(なんと二つも)後ろを付いてくるまんまと反骨を抜かれた弟に背負わせ、普通に電車に乗りにきた人である。かつてあったのか分からない活気を取り戻そうと、この町はこうしてしばしば「ふれあい」や「いきいき」などの言葉を冠したイベントを催している。私のようなハングリーさを去勢された、「どちらかといえばそう」を選び抜いてきた若者ばかりの町でご苦労である。私はこの町のそういった努力を素直に応援している。19年も同じ町で過ごすとそこかしこに思い出が充満しており、いい思い出ばかりではないにせよ、Q市が腕まくりをするならば、反対側の袖は私がまくってやってもいいと思うくらいの愛情はある。

 最寄り駅はQ市の中心に位置している。ここから3時間も電車に揺られ、春から通う大学のある町へと引っ越す寸法。弟は明日、姉の部屋まで自分のものになるので機嫌がいい。後ろで偉そうに「書斎にする」などとのたまっており、ギャグ漫画とゲームの攻略本しか持っていないのに?と思いつつも、荷物持ちをすんなりと引き受けてくれたので笑顔で「めっちゃいい」と出来る限り好意を込めて返した。

 昨晩、表に大きく「宝物」と書かれた、ミッキーがミニーの肩に見せつけるように手を回した絵が描かれているお土産の缶から、アイロンビーズで作ったコースターやらマスキングテープやら折り紙の手裏剣やらをいちいち取り出しては、油性ペンで「小物」と書かれた袋にしまい新生活に持ち込むか、それとも捨てるかの、苦渋の、最後の作業を行なっていた。深夜1時である。かつての宝物を小物に消化するようなこの作業は想像以上に消耗し、次第に要るか要らんかが分からんくなり、修学旅行の写真(八ツ橋を両手にひとつずつ持ち目にあてがっている)を捨てたのに、ボタンを押すと小島よしおの声が流れるおもちゃを新生活に持ち込むことになった。終盤はほとんど碌な選別もせずにリュックに詰め込んでいたため間もなく破裂寸前に至ったのである。眼は既に半分開いていない、深夜3時である。

 改札前に着き弟にリュックと食べかけのグミの袋をほらと差し出される。グミの袋には既にレモン味しか残っていない。舐めるなよ。満19歳を。私も弟もレモン味のグミを避ける傾向にある。こうした日常の些細な癖で血縁を感じてしまう。まあ無いよりはということで受け取り、改札を通ると「姉ちゃん」と弟はポケットに手を突っ込んだまま私を呼び止めた。「しゃんとしろよ」
 なんだか急にドラマチックな気分になり恥ずかしく、べらんめえ、慌てて背を向け、立てた親指を目一杯高く上げて無言で応じてかなりキザだった。

 乗車。今起きたかのように電車がのっそりと動き出す。乗客もまばらな午後一時、ボックス席の窓際に座りなんとなく外を眺める。イヤホンから流れる音楽のテンポと車窓を流れる電柱のテンポが丁度重なっている。少し遠く、市役所前には巨大なタコのモニュメントがこっちを向いて設置されており、今初めて目が合った気がする。山に囲まれ海に面していないQ市であるが、何故か町のいたるところに大小のタコのモニュメントが道祖神のごとく設置されている。夏には各所で「Qタコ音頭」が踊られるが、体をくねらせ口を尖らせ皆で輪を描く様は、以前テレビで奇祭として紹介されていた。

 心地よい空間でいつの間にか、包まれるような、ごくわずかな微睡があった。

 突如大きくなった音にはっとすると、既にQ市を抜けるトンネルの中であった。一度深く車内の空気を吸い込み、伸びをするように窓から顔を離し車両を観察すると、通路を挟んだ同じくボックス席に一匹、生きているタコの姿が認められる。そんなタイミングではないと承知しているが、茹でる前と後でこんなに色が違うんだと思ったりした。生ダコ、と呼んでいいのかわからないが、体が滑るのか、彼は席からゆっくりとずり落ちそうになっており、助けるべきか、しかし生きているタコを触ったことがないので、分からないが、噛まれたらどうしようなど逡巡していると、突然ぐんと、一応タコをいつでもキャッチできるようにと少し浮かせていた腰が背もたれに引き寄せられる。背中がぴったり背もたれに付き、図らずもしゃんとしてしまった。突然の力に頭が揺れしばし呆気にとられていると、タコは既に完全に落下している。そしてその先の窓には、すぐそこに雲が浮かんでいる。

 自分の側の窓から確認しても明らかに、今はもう雲よりも上空におり、先ほどまでいた数人の乗客の姿も今はない。少女であったら今ごろ頬をつねっているかもしれないが、もう二十歳になろうというかつての少女は、こんな時でさえやけに冷静に、忘れ物をしたんじゃないかなどと些末なことをぼんやりと考えてしまい、おかしな気持ちになるのである。窓の外には伝書鳩やたくさんの小さな光が飛び交っている。どこまでも雲が広がっている。やがてずっと向こうの、キラキラ光る甘い雲と空のあわいから、一羽のコウノトリがこちらに飛んでくるのが分かった。くちばしに吊した布に包まっている赤ん坊は紛れもなく私自身である。

・・・

2008年5月6日 #Q277

 私は市役所の駐輪場で、しゃがみ込んで蟻の動向を観察する弟を看守していた。自動ドアが開き母親の姿が見えると私たちは集合する。市役所から家までの直線上にデパートが蹲踞しており、ほとんどそこで何でも揃った。充分に食材を購入して帰宅する。弟は姉の真似をして縁石の上を歩く。近所の家の室外機の上には、茶色の鉢にしおれるままにされた花々が認められる。外はまだ明るい。天てれに間に合う。

2015年8月9日 #Q812

 ヒグラシが辛うじて鳴いている青暗いなか、私はQ市内で最も規模の大きい夏祭りに向かっていた。駅前から公園までの大通りに屋台が並び、そのまま神社へと賑わいが伸びている。夏の一大イベントである。人だかりは皆ふやけた顔をしている。足の裏に潜り込んだ小石を取り除こうと立ち止まる時間が全員に必ずある。待ち合わせの時刻にはまだ余裕があるが、緊張感は増す一方であり、第一声を考えあぐねたり、服装に不備がないかあちこち何度も確認していると私は不安のデパートである。いらっしゃいませ。そうこうしているうち、信号の向こうに消しゴム大のサイズで彼の姿が見えると、一気に心の空に暗雲が立ち込め、心の雷鳴が轟き、心のリポーターが現場中継をする。私を臆病たらしめる私の癖毛が、夏吹く風の煽りを受けタコのように踊っている。

2018年11月29日 #Q1106

 Q市のゆるキャラであるタコのチューくんが、商店街のアーケードの下、竹馬やら一輪車やらに挑戦していた。アクティブなゆるキャラとして推されている。青果店を折れ、市役所の前を通ると後はデパートを経由して家に帰るいつもの道である。癖で縁石の上を歩いていると気づくとすぐ降りる。近所の家の室外機の上には、もうすっかり骨だけになってしまった花が、今日もそのままそこにいるはずだ。

・・・

 球となってQ市をずっと漂い続けてきた私の思い出たちが、雲の上にいる私の元まで次々と浮かんできて視界に入る。そのひとつひとつを私は思い出していた。どれだけ上に来たのか、重力は徐々に小さくなり、開けっぱなしの袋からレモン味のグミがいま宙に飛び立っている。続けてリュックから手帳、シャープペンシル、三角に畳まれたビニール袋、リップクリーム、モバイルバッテリー、キーホルダー、コースター、ビー玉、オッパッピー、サプリメント各種、化粧品各種、が次々に放たれていく。それだけでなく、窓の外にも私のそれと同じように誰かの、ボールペン、ポケットティッシュ、リップクリーム、ビー玉、エコバッグ、ギターピック、北海道のお土産、ヨーヨー、リモコン、パソコン、はあ、絆創膏、ネックレス、本物の手裏剣、カクテル各種、シール各種、とにかくあらゆる時空を超えて集まったように浮かんでいる。私は肘掛けにしがみつきながら、あわあわそれらを見つめている。タコは生き生きと泳いでいる。もう今では昨日と一昨日がまるで同じ日だったような気がし、すっかり寂しくなってしまった。これからどこに行ってしまうのだろう。知り合いの一人もいない果ての果てで上手くやっていけるだろうか。Q市での生活しか知らない私が、新天地で、Q市での生活のように、行きつけとなるデパートと出会い、駅までの近道を見つけ、お祭りにいき、住所を覚えられるだろうか。染み付いた方言が原因となって誤解を生んだらどうしよう。法律とかって一緒なのだろうか。期待2不安8が私の中で渦巻くだけ渦巻いて排水されることもない。どこまでも雲が広がっている。

 どれくらい時間が経ったのか。やがて、電車は誰も起こさないようにゆっくり下を向き徐々に下降する。雲を潜ると遠く、山に囲まれたQ市が見えてくる。針が安堵に振り切れる。心の底から故郷なんだな、この町は。再び目的地へ向け出発した電車の窓から、だんだん離れていくQ市を眺め、心地よい空間でいつの間にか、包まれるような、ごくわずかな微睡があった。


2021年3月27日 #R1

 駅前の大きな広場はTシャツやらアロハシャツやらを着た人々と、何やら丸い鉄の楽器なんかと、鳩使いと、手作りのジャムと、やはり薬湯みたいな色のナイロンのジャンパーを着た、恐らく米寿の案内係と、普通に電車を降りてきた人と、乗りにきた人で適度に混雑しており、中高生など一人も所属していないであろう中高年の団体が、どこからかなんとか入手してきたBTSの曲を、運動会みたいなテントから割れんばかりの爆音で流し若者の歩度を緩めようと健闘していた。空にはどこまでも雲が広がっている。

 私はパンパンに膨れたリュックを(なんと二つも)前後に背負い、普通に電車を降りてきた人である。

 降り注ぐ陽光に目を細め、しかし一切瞬きをせずアパートを目指す私の前にあるのは、ただ同じ速度で進み続ける未来だけである。

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南極ゴジラ 桃源Q#99プロジェクトよりhttps://nankyokugodzilla.com/99.html