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人に笑われるのは嫌いではないので、なにか失敗した際に注目されて恥ずかしくても、それで笑ってくれたらと思うと少し気分がましになる。演劇をしていると笑われる機会も多くて楽しいが、やればやるだけ、自分よりも断然上手くて面白い人と出会ってみじめな気持ちになる。

2015年
自分と近い年齢の人間が、舞台上でドカンドカンウケている。僕はほっぺの内側をかなり強く噛んで、それでも悔しさを表に出さないように背もたれに深く体を預けて、顎に手を当て、首を少し傾けてクスりともせずにじっと眺めている。「自分ならああするのに」とか「そんなのとっくに思いついてる」とか「なんでこれで笑うんだ」とか、醜い嫉妬で頭が埋め尽くされて気付けばストーリーを追えなくなっていて、嫉妬に取り残されたまま幕が降り、目を輝かせた同い年に喝采が起こる。

大学に入りたての頃、どの演劇を観にいっても嫉妬ばかり残って、それはとてもしんどいのでそのうち嫉妬をしてないふりをして冷笑するようになった。どうせ演劇なんて世界のごくわずかな端っこなんだから、とも思うようになった。そうなると段々「今にみてろよ」の気持ちが薄まって、努力ができなくなり、演劇しかしていなかった自分は部屋から出ることもなくなり、気分が落ちるとこまで落ちた。
演劇以外の世界のほうが断然ひろいと分かっていても、出ていきかたが分からなかった。

もうこれ以上縮まないくらい鬱屈がバネを押し込むが、バネには押し返す気力も実力もない。

変化をとことん嫌い、人生を常に匍匐で進んでいる。同じ道を同年代が汗と涙を流しながら全力疾走していて、勢いそのまま落とし穴に突っ込んだりしているのを遥か後方から眺めてクスクス笑っている。自分がやっと進んだ距離は、彼らの一歩にも及ばないのに。

とある演劇公演に出演する三日前、祖母の訃報が届いた。土下座をしてリハーサルを休み、鈍行で地元に帰り、雨のなかリクルートスーツでずぶ濡れになって葬儀場に向かった。遅刻したずぶ濡れの孫、将来の展望がない孫、演劇をして遊んでいる孫、という視線を、いま受けているんだという自意識だけがある。親戚にも家族にも挨拶ができなかった。

演劇とは関係ないことでも落ち込むことが重なり、全然死ぬ勇気もないくせに、遺書を書いてみて、ホームセンターでお求めやすい縄を買った。死ぬ勇気はなかったが、帰り道、なんだか死の輪郭が少しはっきりした気がして、いつか死ぬんだしいつ死んでもいいかもなと思った。それがずっと先でも。ぬるっと我に返った気がする。

2018年2月
Kyoto演劇フェスティバルに出演。演劇公演の本番が終わり、舞台上で拍手を受ける。すると客席の最後列にいたおじいさんがふいに立ち上がり、「この歳になって、演劇を観てみんなに元気をもらいました」と言った。初めて自分の演劇が、人の役に立ったのかもしれないと思うと嬉しくて、帰り道でダッシュしてみたりした。簡単にバネが弾けてしまった。
誰かより面白いかどうかはそんなに気にしなくていい。最後列にいるあのおじいさんのための大きい声が出せたらいいと思うし、自分にとっての演劇はそれだけなんだと思った。

帰宅後いつも直行していた布団を思い切って捨てて、Amazonでギターを買って、干し柿を作って、髪の毛を刈り上げてみて、最近バスケも始めてみた。
演劇がただの趣味のひとつになった。
少しずつだが、変化も恐れなくなってきている。
前に進むためなら落とし穴に落っこちてもいいし、それで笑われるのもいいかもしれない。
布団がないと夜はかなり寒いんだとも思った。

熱を笑うのは簡単だし、あざける側にいるほうが断然楽だけど、いつまでそっちにいるんだと思う。

いま、客席の3列目に座っている。
最前列には一切笑わない2015年の自分がいる。彼はすべてを不服そうに睨んでいる。
上演が終わり、僕は誰よりも大きい拍手をする。
拍手が鳴り止む頃には、もう2015年の自分はイヤホンをつけて会場を出ている。

帰り道、真っ直ぐ家に向かう2015年の自分を追いかける。横断歩道を渡り、葬儀場を超え、ホームセンターを左に曲がる。ようやく追いつくと、彼のイヤホンを耳から抜き取って「せっかく遠くまで来たんだから寄り道でもしてみたら?」と声をかける。