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おばあちゃん

祖母は重度のアル中と認知症で、酒を飲んでは飲んだことを忘れ、また酒を飲む。祖母の酔ってない姿は、少なくとも彼女が死ぬまでの10年間は見ていない。

体が丈夫で、加えてとてつもない運動神経を持っていたので、酒を買いに行く祖母を制止せんとするも、拳骨を繰り出されたり、爪で引っかかれたりすると、野生みたいな臨場感がある。

高校に上がる頃には祖母よりも力がついたが、祖母の腕を背中で組ませ、うつ伏せるように頭を床に押さえつけるのに心が痛んだ。高校を休んでひねもす祖母を押さえつけ、途中オシッコ休憩に行くとその間に家を出ており、何度も警察に連行されていた。

世帯所得は少ないが仕方ないので施設に預けると、1年でみるみる弱り死んでいった。

葬式の日、京都で演劇の本番間近であったが、主宰に無理を言って急遽帰省させてもらった。急な雨で、リクルートスーツがびしょびしょに濡れ、ネクタイの結び方もよくわからないまま、90年代ミリオンヒットメドレーみたいなのを聴きながら鈍行で遅れて式場に着くと、もう既に式は終わりかけており、遺族・親戚の視線が刺さりまくりながらほとんど直角に背を曲げて前進、正面に見たことのないピチピチの、演歌歌手みたいな恰幅の祖母の遺影がライトアップされており、遺影って一番いい時の写真を使ってもいいんだと思った。自分はこの写真を使いたい。小さい頃、毎年祖母と一緒に川沿いの桜祭りに出掛けていた。地味のある服ばかり着ていた祖母だが、いつも軟骨の唐揚げくらいデカい指輪をつけていて不気味だった。

大学4年の夏、京都学生演劇祭というイベントに、高校時代の同級生たちとエイリアンズという団体を作り参加した。認知症で、孫のことも自分のことも曖昧な祖母を主人公にした劇をした。本番当日、愛知からわざわざ劇を観に来てくれた祖父が、自分の妻を題材にした話をどう観たのかはわからないが、終演後会場から出てくると何も言わずハイタッチだけして去っていってかなりキザだった。

まだボケていない頃、料理をすると決まってしょっぱい味噌汁とべちゃべちゃの唐揚げを作り、美味しかった記憶はないが、大好きな「川の流れのように」を歌いながら上機嫌で料理をする背中を見るのが好きだった。
足音がとにかくうるさかったのでポルターガイストにならなくて本当によかったが、たまにだったら歌ってくれてもいいかもしれない。