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マヤへの旅
メキシコに行ってみるまでは、自分がこんなにマヤと縁が深いとは、思ってもみなかった。
どちらかと言えば、メキシコは私にとって、あまり行きたくない国だった。いや、カラフルな街のデザインや、陶芸作品の素晴らしさには大いに惹かれるのだけれど、何やらおっかないところだという印象があった。その昔に人身供儀を行っていたという話のイメージのせいなんだろうか? あるいは、スペインの征服者たちが原住民をまとめて皆殺しにした歴史のせいなのか……?
良くも悪くも、メキシコはその二つの民族が混ざり合った国なのだ。
それなのに、何だってメキシコに行ったのかって?
それがまさに、偶然を装った必然というやつだった。
私はその前の年、陶芸アーティストとして、あちこちの公募展に手当たり次第に応募していた。そのうち招待が来たのが、メキシコのユカタン半島の街、カムペチェで行なわれるビジュアルアート展だった。
それで私は、2009年の7月、陶芸作品2展を持って、メキシコに飛んだ。
******カムペチェで行われたビジュアルアート展で。自作の陶像「ガブリエラ」と。
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メヒコ。メキシコの人は、xを「クス」ではなく、「ヒ」と発音する。だから、メキシコは「メヒコ」だ。メヒコと言うと、何だか優しい柔らかな感じになる。
メキシコは、行ってみると、「メヒコ」になるのだ。中に入ってみると、ふいにそこは柔らかくて優しい土地だということがわかってくる。
もちろん、メキシコ・シティなんかにいると、髪をオールバックにして口ひげを生やした恐そうな男たちがたくさんいる。店の前には機関銃を持ったガードマンが立っているし、道路では車がメチャクチャな走り方をしている。
だけど、この恐そうな男たちは、話しかけると実に物柔らかな話し方で答えてくる。見かけとは裏腹に、実はシャイな男たちなのだ。ウィンカーも出さずに車線をガンガン変えて暴走しているドライバーたちは、歩道に人が立っていると、横断歩道でもないのに、スッと停まる気づかいを見せる。
マヤの文明が破壊されて、カトリックに改宗させられた土地。でも、メヒコに来てみると、カトリック信者になったマヤの末裔たちは、実は改宗なぞしなかったということがよくわかる。彼らはイエス様マリア様を拝んではいるけれど、本当は自分たちが拝んでいるのはマヤの古代の王族であり、大地の女神さまだということを、ちゃんと知っているのだ。
「イエスさまは、太陽の神と一つになるために、その身を犠牲にした」とマヤの末裔たちは言う。つまり、イエスは彼らの神話の王たちのように、自らを太陽の神の生贄にしたのだ、と。
メヒコにいると、古代の自然の神々がまだ土地に生きているのがわかる。人々は、その神々とともに今も生きているのだということが。
***マヤの末裔。遺跡のガイドをするインディオ系の男性。顔立ちが古代のレリーフに描かれるマヤの王さまにそっくり。
***マヤの王族を描いた古代遺跡の石板
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***ウシュマルの「魔法使いのピラミッド
自分の過去生を思い出す、ということ。そんなことが現実にあるんだと知ったのも、このマヤの土地でだった。
どうやら、私はそのためにこの土地に導かれてきたらしいのだ。その過去の記憶に出会うために。
こういうことは、いつだって理由なく起こることではない。それを思い出す必然性があり、その時が来た時に、人は自ずと自分の過去生に繋がるところへ引きつけられていくのだと思う。まるで、運命に導かれていくように。
最初に妙なことが起こったのは、ウシュマルの遺跡でだった。
そこは、「魔法使いのピラミッド」と呼ばれている大きな階段状のピラミッドで有名だ。正面の階段をよじ登って、上の神殿のところまで行くことができる。
私は展覧会で知り合ったオーストリア人のアーティストたちと一緒に、カンカン照りの中を、上まで登っていった。そこからは、遥か彼方までジャングルが続いている景色が見渡せる。
するとその時、ピラミッドの足元の一帯に、大勢の人が立っているのが、二重映しに見えたような気がしたのだ。
私はあっと思った。実際には、そこにはただジャングルが広がっているだけだ。でも、私はこんな場所にいたことがあるような気がした。過去の記憶を思い出すように。
そう、私はいつか、こんな風に大勢の人が立っているのを見たことがある……。
それは、単なる想像とは思えない、不思議とリアルな印象があった。
***ウシュマルのピラミッドの上で。
鮮明に写っていたのに、何故か間違えてサイズを縮めてしまった。一枚きりの貴重な写真なのに……。
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***チチェンイツァの遺跡の一つ。雨の神チャク・モルの顔がはめこまれた神殿
その次は、チチェンイツァの遺跡でだった。
私は、オーストリアから展覧会に参加していたギッタと一緒に旅をしていたところだった。ギッタ。正式の名前はブリギッタだけれど、後ろだけ取ってギッタだ。
ギッタは背の高い北欧系の女性だった。私とは正反対に、ものすごくせっかちなタイプだった。それなのに、私たちは不思議とウマが合っていた。
チチェンイツァの遺跡の一つ。雨の神チャク・モルの顔がはめ込まれた神殿。チチェンイツァには、大きなセノーテがある。セノーテというのは、地下の水源と繋がっている池だ。ユカタン半島の人々にとって、セノーテは昔から重要な水源で、そこには地下世界の神々が住んでいるのだとマヤの人たちは言っていた。
ユカタン半島には、川というものがないのだ。その代わり、地下に川がある。それが網の目のように互いに繋がり合っている。それが地表に現れて、池みたいになっているのがセノーテ。
これが地下世界の入り口だとマヤの人々が言ったのは、何だかわかる気がする。
ギッタは、私の横でガイドブックを読み上げていた。
「このセノーテでは、昔、乙女たちが水の神さまに供儀に捧げられていた。彼女たちは、セノーテにかけられた桟橋から水の中に飛び込まされ……」
その時、自分が桟橋を歩いている場面が意識に浮かんできたのだ。恐怖に青ざめながら、神さまに会えるのだからと信じようとしていた感覚が、リアルに蘇ってきた。
水面まで、かなりの高さがある。そこへ飛び込むのは恐ろしい。桟橋を蹴って、冷たい水の中に飛び込むと、水草が身体に絡みついて……。
……私は神さまのところへ行くんじゃなかったんだろうか? こんなところで捕まって死ぬなんて……。
私は想像をたくましくしているだけなんだろうか? でも、それはとても鮮烈な感触だった。まるで、昔のトラウマの記憶が蘇った時のように。
その上、私はその時、どうにも説明がつかない私の恐怖心が、一体どこから来ていたのかがわかったのだ。
だから私は、海の中で海藻が足に絡んだりすると、気も狂わんばかりの恐怖を感じるんだ……。
だから私は、高いところに立つと、自分が飛び込んでしまいそうな気がして、恐くてたまらなくなるんだ……。
だから、あれはやっぱり私自身の魂が経験したことだったんだろうと思う。あるいはチチェンイツァではなかったのかもしれないけれど、どこかこんな風なところで。
そして、その記憶が蘇ってきた後で、私のその恐怖はすっかり消えてしまった。得体の知れない恐怖とは、そんな風なものなのだ。理由がわかれば消えてしまう。
あれは昔あったことで、私はもう水の中に飛び込まされることなんかないんだから、と……。
***チチェンイツァのある建物の跡で。水と陰のエネルギーが強くて、リラックスする場所だった。
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***チチェンイツァのピラミッド
***遺跡の発掘作業をするマヤの末裔たち。チチェンイツァで。
さて、私はギッタに説き伏せられて、カラクムルの遺跡へ行った。
私は本当は、そんなところへ行くつもりじゃなかったのだ。カラクムルと言ったら、南の国境に近い奥地で、カムペチェから行くのはずいぶんな距離だ。それよりも私は東へ向かっていって、最後にカリブ海のサンゴ礁の海で泳ぐつもりだった。
ところが、ギッタは毎日のように私に言い聞かせる。
「サンゴ礁なんか、ヨーロッパにだってあるんだから、行くことなんかないわよ! カラクムルの方がよっぽど貴重よ!」
カラクムルの遺跡は、ジャングルの奥の奥に長いこと隠れていた遺跡だった。それが、発掘調査が進むと、実はユカタン半島で最も大きな古代遺跡だということがわかった。ピラミッドがいくつもあるばかりではなくて、石の建造物や神殿があり、古代都市の住居跡まである。ピラミッドときたら、まるで小山のように大きくて、一体こんなものをどうやって積み上げたのか、想像もつかないくらいだ。
***カラクムルの古代遺跡
その時私は、カラクムルの「古代都市跡」と書かれたところを、たった一人で歩いていた。
私は入り口の建物で雨が止むのを待っていたのだけれど、ギッタは待ち切れずに先に行ってしまったのだ。
あたりには、私の他に誰もいなかった。そこは、石の土台だけがところどころ残っているくらいで、他にはこれといって何もないような場所だった。
その時、空気がうごめくかのように、こちらに迫ってくる感覚がしたかと思うと、意識の中ではっきりとした声が聞こえてきたのだ。
「お帰りなさい……」
大勢の人々がそこにいて、私の方へ押し寄せてくるかのようだ。
「お帰りなさい」「お帰りなさい、姫さま……!」
その時、記憶が一気に戻るように、あれこれのことが意識に降りてきた。
ここは私が生まれ育った街なのだ。私はここの住人たちを一人一人よく知っていた。私は他の土地に嫁に行っていたのだけれど、何年かぶりにここにこうして帰ってきたことがあった。その時に、住人たちがこぞって迎えてくれて……。
「お父さん……!」
小山のように巨大なピラミッドを見た時、私は思わず心の中でそう言っていた。涙がとめどもなく溢れてくる。
一体どうして、このピラミッドが「お父さん」なのかはわからない。ただ、そのピラミッドを見た時、熱い思いが込み上げてきた。やっと私の本当の父親に出会えたというような、そんな感覚がした。
***ジャングルの中の古代都市跡で。
どうして自分はこういう人間なのか、やっとわかった……。その感覚だったんだと思う。
私はどこへ行っても変わり者だった。私と同じような人間なんか一人もいないように思えた。他の人と同じようにできないで浮いてしまうのが辛かったし、そんな風に感じている自分がおこがましいようにも思えて嫌だった。
やっと本当の故郷を見つけた、と思った。ここでは、私は変わり者じゃないんだと……。
***カラクムルの古代遺跡があるジャングル
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どうやら私は、何回もの生を、マヤの土地で生きていたらしい。
マヤの最後の時に生きた記憶も、この後で戻ってきた。この話は、あまり長くなるので、ここでは書かないけれど。
この旅の後で、私はマヤ暦のことを知りたいと思い、本を買ってきて学び始めた。
そして、2016年の夏に、これまたひょんなことから、太陽の紋章の解説を書くことになったわけなのだ。あのマヤへの旅からちょうど7年経ったその時に。
これは、あのカラクムルの古代都市に生まれた時の生で、私自身が望んだことだったんじゃないかという気も、ちらりとする。
あの生の時、私は子供の頃から天文学やら呪術やら、いろんなことを学ばされてような気がする。マヤ文字を読んだり、神々と話したり、そんなことを一生の勤めとして、ずっとやっていたような気がする。
ずっと人々や神々に対する責任を負うことばかりで、個人の幸せなどとは、全く関係のない生だった。自由に創作や著作するような時間もまるでなかった……。
だから、いつか自由な身として生まれ変わって、この話を書いたりしたいなと思ったのかもしれないな、とそんな気がするのだ。
これもすべては、私がメヒコの土地で見た夢に過ぎないのかもしれないけれど……。
****空中ダンス。メキシコシティーで、伝統の踊りを見せて、投げ銭をもらうインディオの人たち。
***空から降りてくる神。
(2017年刊行の「260日の冒険」より)
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