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ノルマンディー上陸作戦75周年の当地で、道でジャックダニエルズをふるまわれる

第二次世界大戦でドイツ軍に侵攻されたフランスを解放するため、英米軍がイギリスよりのノルマンディーに上陸したDデイJour-Jは、1944年6月6日。2019年6月6日はその75周年で、その周辺の日から、記念式典みたいなものがいろいろ行われたらしい。そのさなか、わたしは4日にノルマンディーのカンに移動していた。

パリからカン行きの電車は3時間遅れ、当地のアーカイブに朝9時に着くはずが、12時になった。木が線路に落ちたとかよくわからないことも言っていたのだが、すでにこの75周年のイベントにまつわる混乱だったのだろう。5時半に起きて電車に乗ったのに、午前中が全部つぶれたので、かえって午後はあまり気を散らせずに、その日はそれなりに仕事をした。

わたしのいたIMECというアーカイブでも、6日にジャン・グレミヨンJean Grémillonのドキュメンタリー映画『6月6日の夜明け』Le 6 juin à l'aubeの上映が行われたのち、作家で映画作家でもあるJérôme Prieurのトークがあった。

先に会場に聞きにいくと、もう予約でいっぱいで、たくさんの人を断っているんですよ、と言うのだが、あなたたちはせっかくここにいるので、とも言う。夕食後、やはりパリからリサーチに来ていた人と一緒に行ってみると、ホールは確かにいっぱい。しかし、周囲に置いてある椅子のうち、二つ三つ空いているのがあって、しっかり座って見ることができた。わたしの席が空いていたのは、作家の隣だったからだということが、後でわかった。

ノルマンディー作戦を描いた映画には、『プライベート・ライアン』なんかもあるが、こちらは実際の、その時その場の惨状にカメラを向けた、実録映画。ノルマンディー作戦で、カンの街は壊滅的に破壊され、兵士よりも市民がたくさん亡くなった。怪我もしていないのに、ショックで心臓が止まって亡くなった子供もいた。鉄格子に顔を埋めていたドイツ軍兵士がいた、と語る人もいる。

戦争の流れとしてはいうまでもなく、西部戦線で連合軍の勝利を導く鍵になった作戦。アメリカの強大な影響力を印した出来事でもあった。

急に人があつまる場所になったカンの街は、車と人でごった返し、そこここで道が閉鎖されたらしい。パリに用事があり、いったん戻ってまた来たアメリカ人は、6時に閉まる図書館に着いたときには5時半だった、という。

徒歩でも道がいっぱいで進まず、人々はなんと道路上で、ジャックダニエルズを飲みはじめたそうだ。わたしもすすめられたけど飲まなかったわ、と彼女談。巻き込まれたくはないけれど、稀有な体験ではあっただろう。

7日の帰りのタクシーも、午後4時45分に来るはずが、5時半過ぎまでこない。パリ行きの電車は5時53分発、駅まではタクシーで20分くらいなので、乗り遅れる可能性大だった。タクシーの運転手さんは、プラットホームを調べてくれて、駅に着いたらすぐそこへ行けという。プラットホームまで走る。

やった、ギリギリで電車に間に合った!、と同乗したリサーチャーとよろこんだ。

と思いきや、その電車はその後1時間以上、発車しなかった。隣の人もいなかったが、30分後にやってきて、しっかり乗っていた。

街中が混乱しているので、電車が乗客を待つために発車しなかったのか、単に電車も混乱していて発車が遅れたのか、よくわからない。

まったくそんなことは考えずに移動したのだが、いわばこの日とその周辺の日のカンは、世界中の注目の場所だったというわけ。交通機関ははげしく遅れたが、グレミヨンのドキュメンタリーも見ることができたし、75周年の日にノルマンディー作戦の当地にいたというのも、なかなか面白い経験だった。

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