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自己紹介。生まれ育ち

さてさて。



なんか急に、自己紹介として過去の記憶を残しておきたくなりました。

私の産まれ〜淡々と、綴ろうと思います。


産まれ、育ちは愛知県岡崎市六供町

名古屋まで車で下道90分、高速で60分かかるかな?
そんな位置付けです。


今は実家もなく、跡形もないけど、記憶は鮮明にあって、都会でもなく田舎すぎず、ほどほどの田舎というか、どちらかというと、街かなぁ。


岡崎で有名なのは八丁味噌

「八丁味噌は名古屋のものではなく岡崎のものだよ」

と岡崎の人はいつも内心、多分、思ってたと思う。


家庭でもやっぱり八丁味噌って多分冷蔵庫には、入ってるものなんじゃないかな?
私の家にも赤味噌は絶対あったけれど、他のご家庭はわからないなぁ。

今では六供町からだと車で20分のところに、有名な大きなイオンモールがあるんですけど、
当時はまだなくて、少し栄えてた康生という街まで、自転車で行き来するのがお出かけ、という位置付け。

シビコっていう古い建物があって、そこには少しだけ洋服も売ってたり、雑貨もあったりして10代の私からしたら背伸びした場所。

お年玉の使い道はシビコだったかもしれない。
それぐらい、子どもながらに夢のような楽しい場所でもあった。

当時からすごく天上が低くて、
おじいちゃんおばあちゃんが多くて、
なんとも言えないローカル感があって。
とてもじゃないけど華やかな雰囲気はなく、湿り気のあるイメージ。
うーん。嫌いじゃない。あ、好きでもないけど。

今でいうと中野ブロードウェイに近いかもって思ったりしてます。失礼かな、どこか懐かしい感じ。



小学生のころは兄の影響もあってか、スカートより短パン(膝上丈のもの、キュロットではない)が好みで、ヒステリックグラマーの短パンがほしくてたまらなかったのに買ってもらえなかった記憶が今でも残ってる。
あのキャラクターが妙にかっこよかった。
ファンキーで、紫色の、短いズボン。

そしてそれを、誕生日に買ってくれたのも覚えているし、しぶしぶ、お父さんが…いいよ。と、言ってくれたのも、金銭的な家計の大変さをその時の返事でなんとなく私は感じた。(豊かさは、中の下なイメージ。いや、下の上かも?お母さんはミシンで内職をしてた。)

子どもながらに、ヒステリックグラマーの短パンの生地の分厚さやボタンの頑丈さは分かっていた。
お兄ちゃんのお古が多かったからかなぁ。
(わたしはそのヒステリックグラマーのズボンを大切にするあまり、そんなに履けなかったのが、今となっては申し訳ない気持ちでいっぱい。)

当時の家の近くに愛宕公園っていう公園があって、
そこでは昔ながらのコンクリートで作られた、滑り台やトンネルがある大ーきな遊具があったり、
丸いジャングルジムがくるくる回るような今では廃棄対象レベルの危ない遊びもあった。

私はそこで滑り台の上からスクーターで降りるという、とてつもなく危ない遊びをしたり
木登りしたり蝉を取ったり、1日中その公園で遊んでいた記憶がある。今までケガは一度もなかったのが唯一の奇跡。

花の蜜を吸ったり、木苺なのかわからない赤い身を食べたり、クローバーの葉っぱも食べてみたりした(あ、一応、お腹が空いてたわけではない)


その公園に行けば誰かがいて、一緒にあそんだり、
友達の家に行ってピンポーンとベルを鳴らして急に行ったりするのが普通の時代(携帯がないから)
動物が好きだったので、近所の知らないおばあちゃん宅のわんちゃんを近所の皆んなで散歩させてもらったりもした。

滑り台の頂上から見える夕陽を一人で眺めて、
色鉛筆で描いたりもしたかな。活発な反面、センチメンタルな部分もあったように思う。

私の娘にはそのような遊び方は、
なかなか出来ないんだろうな。


今では考えられないかもしれないけど、どちらかというと【活発女子】で、平均身長も高く、いつも大人っぽいねと言われたけど、
…これが地味に嫌だった。


私だって、可愛いね、と言われたい。
年齢的には子どもなのに、もう大人になっちゃった気がして損した気分だった。
今はわからないけど昔は背の順で並んでいたから、いつも後ろから2番目で、体育会のピラミッドでは絶対土台に選ばれる始末。上に男子が乗るという謎のピラミッド。
背がどこまで大きくなってしまうんだろうと思ってたら小学6年生の時の160センチで止まり、
そこから今でも私は160センチ。

※娘は7歳なんですけど、今のところ全く同じ身長の伸び率でびっくりしてます。前、学校で8歳の子に10歳ですか?と聞かれたみたい。
そんなこともあって、娘には可愛いねとたくさん伝えたいなぁ。

・私は3人兄弟の真ん中の長女。

兄は3つ上
妹は4つ下

お兄ちゃんは頭が良くてそろばんも1級だし英検も詳しく知らないけどとにかく追いつかないぐらい昇格が早くて凄かったし、いつもリーダー的な存在で、
運動もできて社交性があって完璧な男子に見えた。

でも、私のことを嫌ってた気がする。
なんとなく、うっとうしかったんだろうな、
公園では缶蹴りとか靴飛ばしとかケイドロとか男の子の遊びの中に入れてくれなかった。

私はお兄ちゃんのようになりたくて、仲間にいれてほしくて、いつでも追いかけていた気がする。
いつ、どんな状況でも、今でも、それは同じかもしれない。
高校受験もできればお兄ちゃんと同じところに行きたかったりして、お兄ちゃんができるなら私もできるっていう謎の自信があったりして。


そして同じように、私は妹が嫌いだった。

めちゃくちゃ性格悪いように聞こえちゃうかもしれないけど、兄弟って、そう子どもの頃から仲良くはいられないよなぁ〜って思う。
だから嫌うのも、当たり前か、と娘を見て、
そんなに注意しないようにしてる。

嫌いなものは嫌いなんだ。
私もそうだったし、兄もそうだったんだろう。

何が嫌いとかじゃなく、存在が嫌だったから
(一番失礼)
もう、仕方ない。

続。

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