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ラフォーレの問題から思う事

昨日、
知り合いからラフォーレの広告が
パクリ問題でもめているという話を聞き、
あ~
広告業界って本当に
世の中との接点がずれているんだなと、
やりきれない思いがこみ上げてきた。

パクリだとかは
コンセプトが違うとか
そういう問題じゃなく、
酒井いぶきさんという個人の作品を
リスペクトできない、目を向けれない環境、
いまだ、デザインという仕事が
優れていると勘違いしている
デザイン業界の無知さと、サロン精神と
おごりがうんだ問題だと思った。

この2020年という時代に
デザイン業界は、時代錯誤感が否めない。
SNSやユーチューバー、新しいコンテンツが日々生まれる個人の時代において、
いまだに電通、博報堂が扱う媒体の中で
デザインしていること、
ADC、JAGDAといった日本最高峰の
デザインを評価する機関が
何十年も同じメンバーで同じことをやり続けていること。
それ自体、同じデザインを仕事にする
人間として客観的に見ると視野が狭く、閉鎖的な業界に感じる。

昨日たまたまスタッフがADC年鑑の最新版を買ってきたので、ペラペラとめくっていたが
全くトキメキがない。
20年前のADCと中身が変わっていない。
相変わらず、巨匠と呼ばれる先生方の作品が
前の方にあり、その先生方がかわいがっている人が賞を取り、
資生堂とサントリーなら有無を言わさずいいものとして掲載され、マグライトやキューピーは
考え方が全く同じでも毎年賞に入る。
それが数年続くぐらいならわかるし、
10年前の考えならわかるが、これだけ世の中のトレンドや表現方法が変わっているのに、
僕がデザインに憧れた20年前と、
1mmも変わっていないのだ。

今は、ユーチューバーや、SHOWROOM、
西野亮廣さんの絵本など、
個人がコンテンツを生み出せる
自由な表現が爆発する可能性がある時代なはず。
芸人さんやアイドル、アーティストまで
本職でやってきたこととは違うコンテンツを利用し、新しい社会に適応し、工夫し世界観を伝えているが

デザイン業界は
いまだに同じ枠の中、
30年前からラフォーレの広告が登竜門とか
PARCOのあの時代の広告いいねとか
ずっとずっと言い続け、
業界の人以外は誰も知らない
ギャラリーgggで、紙コップにビールをいれて
先生たちを讃え合う。

かなり異質な光景だ。

ある人も言っていたが
デザイナーなんて所詮与えられた枠でしか打ち返せない仕事。
初めからものづくりのための予算があり
発表の場がある表現なんて、広告だけだ。
アートでもなんでもない。

少なくとも
酒井いぶきさんは、予算も枠も何もないかなで
自分表現を自腹でやり、自分の考えで発表の枠を模索してきた。
僕自身も、依頼を受けてデザインをするだけではなく
サザンのイベント、雑誌の創刊、映画の製作。と
アートディレクターの枠を飛び越え、
お金を生み出す仕組みをゼロからつくり
表現の場を作っています。

自分で何かを生み出すことを
全くしなくていいのが広告業界で、
それを繰り返すうちにいつの間にか、
世の中との接点がずれてしまったのだ。

オリンピックのロゴが一度失脚したときに
気がつかなくてはいけなかった。
あの問題は、佐野さんのデザインが悪いわけでも、パクリが悪いわけでもなく、
審査をしたデザイン業界が
いかに業界内だけをみて、世間を見てないかが
大きな問題だったのだ。
「一般人にはこのデザインの良さわからないでしょ」
と、何十年もデザイン自体のPRをやってこなかったデザイン業界のおごりが露呈し、
おまえら世の中動かしてる気になんじゃねぇと、
世の中の「いっき」が起きただけなのだ。

そもそも大きな組織力と資金力があるのに
「ラフォーレの広告が名作だ」とか
いつまでも言ってる場合じゃない。
ラフォーレ使った新ビジネスを考えられないものなのか?提案できないのか?立ち上げれないのか?グランバザールそのものを新しくできないか?
とか、
今のデザイン業界では、全く無理だなと確信が持てるぐらい、観点が違います。

このパクリ問題は、
デザイン業界全体の問題だと思います。
もっと総合的に
デザインを評価できる機関と
世の中の動きに耳を傾け、受け入れるうつわと
新しく変革しなくてはいけないという危機感を
デザイン、広告業界が持つべきです。

デザインを志す若い人たち、
少なくともれもんらいふ塾に通う人たちは
もう、デザインの名作を全く知らない世代です。
このパクリ問題だって、
かまってるほど若い人たちは暇じゃないのです。

それを理解しよう。
いつか、広告業界ダサっておもわれるよ。
その警告ですよ。
この問題は。

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