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初めて戦闘機ショーを見た

学生時代に初めて戦闘機の飛行ショーを見た。アメリカ海軍のブルーエンジェルスだった。当時アメリカに留学したばかりで、日本のガイドブックにも載る有名なイベントのショーは是非見ておきたく、友人に頼んで車で連れて行ってもらった。ショーは季節の風物詩で、海辺でピクニックしながら、飛行士の超絶技巧を見るのが定番の過ごし方だった。屋台でビーチは賑わい、まさに夏祭りだった。昔の話なのに最近よく思い出す。

飛行ショーは朝から夕方まである。ビーチの出入りは自由だったので、お金に余裕のない学生でも気軽に参加しやすいイベントだった。私もその日友人と朝から車でビーチに向かい、砂浜にシートを敷き、お菓子を食べながら待っていた。

なんの前触れもなく、耳をつんざくような音でショーが始まる。それまでの人生で全く聞いたことがない音だ。速く飛ぶためだけに他全てを犠牲にしている、旅客機とは違う全力の音。その音を聞いて私はほぼ反射的に、米軍基地の近くに住むのは大変だと思った。そして、基地のたくさんある国出身の私が、アメリカで米軍のショーを見ながらそんな事考えてるの、因果だなと思った。

パフォーマンスは白熱する。様々な種類の戦闘機が垂直に空を駆け上がり、急旋回し、数機揃っての飛行を繰り広げる。日常生活で空に浮く任意の飛行物体とは全く違うスピードで、魔法の箒のように動く。私は戦闘機を見たのも初めてだった。旅客機とは全く形が違って、頭から尾までの長さが短く、翼は後ろに伸びた紙飛行機のようで、カラフルなペイントもない灰色の機体だった。高度な運転技術が披露されるたび、観客が暖かい拍手と歓声で称えた。

いつの間にか私はぼーっと小学生の時に読んだ小説を思い出していた。真っ白いセーラー服に憧れて入学した女学生が、入学後それを自ら黒に染め直さなければなくなる話だった。地面の上で目立つ白い服は米軍の戦闘機の目印になるから。私たちに応えてスマートに滑空する戦闘機を眼前に、ああ私は射程圏内かと思った。これが日本の空を、そりゃ当時と全く同じ機体ではないけど何世代か前の機体が、飛んでたんだなと思った。主人公はこれを見たらどうしただろう。伏せる、逃げる…てかこの距離って逃げられるのか?
私はなんで平気で見られるんだろう。ショーだから?でも今だって実際にこれが様々な国の上を攻撃のために飛んでいる。そして私はパイロットの運転技術を賛美する立場で見ている。当たり前の事ではない。

恐怖感でいっぱいになった。私が見ているのは何か、ここにいる人間が笑えるのはなぜか。留学生で日本人の私がなぜ友人に運転を頼んでまでこれを見に来ようと思ったのか。ショーとして楽しめと言ったって、彼らの高い運転技術はどう考えても今日のために培われたものではない。当たり前にショー以外に実践の場がある。小さな子ども達もたくさん見に来ている。今日が戦闘機とのファーストコンタクトかもしれない。パイロットに憧れたり、人を楽しませるものだと思ったりするのかな。恐らくアメリカで生まれ育ったこの子も、この子の親も、自分の国の上からこれに攻撃されることはない。多くの人にとって戦闘機はショーでしか見ないものかもしれない。

程なくして私は見ていられなくなった。怖かった。速く飛べるのも正確に飛べるのも怖い。音も怖い。過去にこの音を聞いた人のことを考えて怖い。笑顔で賛美する人が怖い。なんで人間は今もこんなものを持ち続けてるのか。

私がそろそろ帰りたいというと、友人も一緒に帰ってくれた。そのあとアメリカ人の友人に感想を聞かれた。この人は(この人に限らない)一緒に映画を見たとき、遊園地に行ったとき、いつも私に先に感想を聞いてくれる。私は限られた英語しか話せなかったので、いつもこれにThat was great! I really liked it!とほぼ定型文で話していたが、今回ばかりは黙ってしまった。ここでいつものようにI really liked itと言うのか私は?そもそもこの友人は、アメリカの現地の学生でありながら積極的に留学生を助け、丁寧に豊富な語彙で文化を説明する人で、私はとても尊敬していた。私のI liked itはそんな彼女に対して真摯と言えるんだろうか。

結局、絞り出した英語でゆっくり伝えた。パイロットはすごかったと思う。驚いた。私は戦闘機のショーを見たのは初めてだった。でもだからこそ、100パーセント楽しめたか分からない。正直初めて見る戦闘機は私にとっては怖かった。昔読んだ戦争に関連する小説を思い出したからかな。Not for meかも。だいたいこんな感じだった。正直これでもなんと言われるかと不安だった。

結果としてこの人は、私の気持ちを驚くほど淡々と受容した。共感というよりも、私が私としてそう感じることへの彼女自身の納得を、誠心誠意示した。友人は様々な背景から、自分の国の事も日本の事もとても良く勉強していて、金銭的な事情から高校までミリタリースクールに通っていた。勉強しているだけでなく、わからないことを私に聞いてくれた。そして、私が留学生だから言いやすいのはあったと思うけど、「アメリカは税金ばかり高くして人を救わない、全部軍に使う」とこぼした。今彼女は停戦を訴える人で、そんな人にもかかわらず、社会保障が機能しないアメリカでは、セーフティネットと化した軍事に全く関わらずに一生を終える人は少なくなってきている。私は本当に自分の気持ちを伝えてよかったと思った。私の言葉が全てを伝えられなかったとしても、アメリカ人の人混みの中で感じた恐怖が、アメリカ人の彼女によって薄らいでいった体験は忘れられない。説明し伝えることがこの国での誠意だし、その日に限らず何度も実感した。

その後も何度かアメリカに縁があり、いくつかの都市で少しずつ暮らしたことがある。外国人の私には恐らく話しやすいんだと思うけど、様々な立場からアメリカの政治や軍に対する意見を聞いた。他の都市でも戦闘機ショーはあったが、行かなかった(ブルーエンジェルス以外にもチームがあるし、ツアーのように各都市を周っている)。別にアメリカ人でも全員このショーが大好きなわけじゃない。日本人も全員が夏祭りに繰り出すわけじゃないし。

そんな中、日本でも戦闘機ショーが定期的に企画される。しかもまるでアメリカ海軍のブルーエンジェルスみたいな名前だ。それがショーでも別の目的でも、初めて見たその日からずっと私は空の戦闘機が怖い。地震災害現場の現地調査に使われたことも知っているけど、あれが戦闘機と呼ばれる限り怖い。私の国、(ショーに使われる機体は練習用で戦闘には実用されないが、それでも)、シンプルに、言い方は最悪だが、それでええんか?もはや戦闘機たくさん買ってるし。アメリカ海軍のショーにNOを感じて伝えられたあの日、私は自分が日本人だと強く感じたけど、もうこの国のpatriotismはそういう話ではなくなったらしい。

怖いとアメリカで口にできたのが私にとっては大切な経験だ。怖かったことを怖いと伝えられた日、それをアクセプトする人が自分の側にいてどれほど救われたか。彼女への感謝とたまに襲ってくる漠然とした恐怖、両方がずっと心の中にある。


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