ヒトがヒトを喰うとき文明は滅びるということ

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信じがたいことだけど、まさに今世界規模で起こっていることを多くの人が理解するための手助けができないかと思い、検閲の厳しいFacebookから飛び出てここに書くことに決めました。(ここが安心かは置いといて。)

私は環境問題の解決にずっと関心があり、20年間この問題に取り組んでいます。環境問題に取り組むからには、それを破壊する人間のこと、人間を動かす社会や経済の仕組み、歴史、多文化との比較、そして、宇宙や自分自身についてまで総合して考えないといけませんでした。

私は、過去10年間中南米を拠点に仕事をしつつ、この地域に繁栄・衰退した文明や、現在の文化を個人的に研究しています。私が、実際に現地で調べた、イースター島やマヤ文明の一部では、社会における戦士階級の人を競技で競い合わせ、勝った人物を”名誉の死”として儀式化し、殺していました。反旗をひるがえす可能性のある人を効率よく消せる仕組みが、少なくともその文明が終焉する以前に成立していました。

ただ、表面的にはそれだけであれば、階層社会の維持には役立つから、社会が崩壊する原因としては弱いなと思っていましたが、最近の出来事を観察していて、何かおかしいと思い改めて調べていて、参考になった記事が以下にリンクを張っている記事です。

(以下引用)-----------
人身御供は「高度に階層化された社会」の維持に役立つこと、そして「適度に階層化された社会」を「高度に階層化された社会」に変化させることがわかった。---(中略)---

つまり、階層化された社会で力を維持したいエリートにとって、人身御供は有益な手段になったということだ。---(中略)--- 多くの場合、宗教あるいは政治のリーダーが人身御供を行い、奴隷や社会的な地位の低い人が生け贄にされていたためだ。
---(中略)---
この研究結果は、古代の小さな平等主義的な集団が、宗教儀式的な殺人がきっかけとなってわれわれがいま生きているような大規模な階層化された社会へ変わった可能性を示唆している。

(引用ここまで)

上の写真は、私がメキシコでガイドをしていた時に、現地のガイドから購入した資料の一部です。一番左側にいるのがおそらく神官、その横に生贄にされている子ども、真ん中には豪華な衣装を身にまっとた王、右側は家来。生贄を捧げることで、神官は王になにやら言葉を授けています。これがこの絵の構図。

この神官が授ける言葉が本当に「神」からのものだったら、社会が崩壊するようなことにはならなかっただろうと思います。「神」と交信する能力と、統治する権力が、社会を構成する庶民の命や生活を守ることではなく、自分たちの社会的な地位を守ること優先していたら、どうなるでしょうか。

私たちの置かれている状況と照らし合わせて考えてみると、今までとは違った視点に立つことができるかもしれません。

思考のヒントになれば幸いです。


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