21〜30話
21話。稔さん、遠い海で亡くなった、この海は現世ではないところの意味でもあるんだな。 払い除けられる汁物、払い除けられたおはぎと同様、拒絶。金太さんの時とは違ってそれが事態の悪化を招く。橘の家族を失った安子からさらにるいを引き離そうとする。
千吉さんにとってはそれが一番良い。勇は大学、野球をやめて跡を継げ、安子はるいを置いて再婚しろと。本人の気持ちなどお構いなしに全て雉真のため。 野球を諦めた勇が、安子に家を出て、るいと二人で暮らすように言う。せめて安子はるいと一緒に暮らしてほしいという希望。
22話。稔さんが暮らしていた街、大阪へ。しかし今のその場所は戦後の混乱期、優しい街ではなかった。端的に描かれている芋飴が地面に落ちてしまうシーン、これは御菓子司たちばなの娘である安子にとって一番ショックなこと。ショバ代払えと言われるのは立派な店舗を構えていたたちばなの子だった安子には厳しすぎる。食い逃げされそうになったのも看板娘で代金がもらえないことなどなかったのに。今見ると戦前のたちばなとの対比なのだとはっきりわかります。逃げ込んだ路地の軒先で安子の欲しかった家庭の平和な夕食前のやりとりとラジオから証城寺の狸囃子。
幸せな幼い頃の思い出の曲にのせて、英語の歌。"Won’t you have some candy?"英語とお菓子の歌。ここからもう一度立ち上がる。 服装とカムカム英語が始まった日から考えて日が落ちているのが通常なのに敢えて夕暮れ時にしている、昼と夜の間、生きていけるかどうかの境目だから夕方なのだと思います。
逃げ込んだ際に画面に映り込む椿の花とお地蔵様。戦争が始まった時にラジオの背景にあった椿、ラジオから英語が消えた時もラジオから英語でお菓子のことを歌う曲が流れる時もある、そして岡山では隣との境にささやかにあったお地蔵様が存在感を出しています。ハードモードなおとぎ話。
23話、平川先生の英語の歌が安子を励ます。平川先生にさだまさしさんが起用されたのは、歌に力があるということを伝えるため。ラジオから流れる平川先生の言葉、赤ちゃんに秘訣を聞いてみましょう、97話に繋がる。みんないらっしゃいというカムカム英語だけど、店先のラジオは2500円。
小川家のお母さんに芋飴1つ5円と言っていたので500倍。途方もないようでも、コツコツ頑張れば買えそう。(同じ回で最初1つ30銭と言っていたので、預金封鎖前後ということでしょうか)
小川家でラジオを聴かせてもらえることになった安子。そこから好転していく。安子が行くところにさりげなく映る自転車、稔さんが教えてくれたもの。見えないけれど聞こえる電車の音は京都の嵐電に繋がる。カムカムがるいの最初の言葉なのはいつも安子が歌っていたから。安子の歌声がるいの中にある。
24話、るいが話すようになりるいの物語も並走する。るいの視点からの安子の餡を炊く姿、餡子のおまじない。安子はるいに稔さんの言葉を伝える。「どこの国とも自由に行き来できる、どこの国の音楽も自由に聴ける、自由に演奏できる、そねえな世界を生きてほしい、ひなたの道を歩いてほしい」
正確に、回想から抜け落ちていた「自由に演奏できる」も。ルイ・アームストロング、トランペットを吹く人から名前をもらったと。河原で、岡山でも大阪でも思い出があるところ。おまじないも名前の由来も残された言葉も全部覚えている「賢い」るい。
小ネタメモ。住吉の岡野商店さん、奥に招き猫の絵、カウンターに2匹の裃猫の置物。ちょっとずつ違う形で度々登場してます。 1948年、おはぎ8円に。
るい、1944年生まれ、3、4歳、賢すぎる!
25話。るいに出されたおはぎを美味いと食べながら価格8円を聞き出し薄利多売と言うさすがの千吉さん。おはぎを全部食べないのは安子の菓子に興味がない、リスペクトはないことを示しているよう。千吉さんの怒鳴り声に外に出されたるいがものすごい形相で割って入る。るいは雉真の子。と言って立ち去る千吉さんのその言葉も賢いるいの心に残りそう。るいにちゃんと教育を受けさせる証明をしたいあまりに菓子の商売の手を広げるが安子の作る餡におまじないはかかっていないように見える。無理がたたっての事故。るいの額に縦に大きな傷。これは小説「エデンの東」のチャールズと同様。
落ちたところに大きな石があって、も小説での大きな岩を思わせます。 飛び散ったおはぎは安子の幸せが砕かれたように見えます。お菓子を売って生計を立てるいと二人で慎ましく暮らしていた幸せが簡単にふっとんでしまったかのよう。
26話、新しい人がいる朝丘商店街のきぬちゃんの豆腐屋の斜め前、戦前と位置が変わって、同様のお地蔵様らしい石像、空襲で消えたお地蔵様が現れて、きぬちゃんに会える。 それにしても、るいが賢すぎます。お母さんのことを怒っていたおじいちゃんが優しいとか、ちゃんとわかってるよう。
結局怒ってたおじいちゃんの言う通りに岡山に連れてこられる。おばあちゃん、お母さんが土下座した相手だけど優しい。なんかおかしい。ここはるいの生まれた家じゃから、と言われて、ずっとお母さんとおれる?安子の不安な気持ちも読み取っているよう。
27話、るいが「たちばな」のことを教えられる。「雉真」と「たちばな」。千吉さんにとって、るいは雉真の子だから「たちばな」のおはぎを売りに行ってはならない。一方、安子が売りに出ることは認める。もちろん金太さんのこともあるけど所詮安子は外の人間だという意識もありそう。
一方、きぬちゃんから、お父さんとお母さんの馴れ初めはたちばなのおはぎ、と聞かされたことも、るいは覚えていそう。ジョーと生きていくために選んだのがたちばな由来の餡子を使ったお菓子を作って売ることとなるのは自然な流れに見えます。
それにしても、勇ちゃんと安子、安子がおはぎを作りたい気持ち、野球が好きな勇ちゃんにしかできないことがある、それぞれこの時は互いを尊重しようとしていたはず、なのに。
28話、将校とテロップに出るロバート、ポケットから直接折りたたんだお札を出して20円の花の価格に上乗せして払う。安子は英語が通じたと喜んでいるが一方るいは雪衣さんに雉真の家に返す、と言われて帰ってきた母に不信感を抱く。
親子を見送る雪衣さんの表情、最後にちょっと俯き加減で微妙で後悔の念があるのかもと今だと思えます。 定一さんの店を覗く少年、じょういちろうくん、視線の先のトランペットの手前に安子の顔も見えているのでは。箱に入ったおはぎも。トランペットの先にはテーブルにキーボードを描いて採譜する人。定一さんにるいのことを報告する時、「自由に演奏できる」まで正確に稔さんの言葉を入れている。じょういちろうくんが近くにいるところで。安子が充実して帰宅が遅くなる。カムカム英語が夕暮れに流れる、12月だというのに。昼と夜の間。日本とアメリカ、英語。稔さんは英語の国のせいで亡くなった。
29話、冒頭、力さんがラッパを吹いて劇伴「月の光〜るいと錠一郎」 クリスマスイブ、夕方に流れるカムカム英語、るいがなぜカムカム英語を聞くのか尋ね、安子は答えられない。翌日、ロバートに夫は帰ってこないのに今でもなぜ英語を勉強しているのか?と怒りをぶつける。
夕方、というか、日は沈んでいるはずなのに夕日の中のカムカム英語、時空歪んでる。開戦を知らせるラジオの回想シーン(10話)、12月の朝、英語の放送の直後、本当はまだ暗いはずでは?でもこちらは放送時間帯がはっきりしないですよね、どうなのかな?実際の臨時ニュースは朝7時のようです。7時だと日の出の時間くらい、作中時間は不明です。
30話、定一さんがサニーサイドを熱唱する、その脇のじょういちろうくんが映される時の歌詞、"My rover crossed over"この時のじょういちろうくんの心境、ということなのかな。 OPの役表示もトランペッター/MITCHさんと少年/柊木陽太くんで並べているのも意味あってのことだったんですね。
安子の回想で、稔さんが「メリークリスマス」と言ったのであの晩は12月25日なのだろうと思ったけれど、これだけ時空が捻れていると、それもどこまで本当かもわからなくなります。クリスマスパーティーの印象が強すぎて安子がそうだと思ってしまったかもしれないとも思えてきて。
クリスマスパーティーの提灯、もしや、小説版「エデンの東」文庫だと2巻目のフェイとケイトの二人のパーティーの飾り付けをオマージュしてる?
8-9話と23話で季節が合わず=時空が歪んでる?件、大阪編以降にはなさそう、と思ってふと、考えてみたら、110話の疾走するアニーこそ、時空が歪んでいたのかもしれないなあと思いました。疾走するアニーは、おばあちゃんではなくて、かつて神社に走った「20歳の安子そのもの」なのでは。97話の「岡山の奇跡」も、稔さんがるいの前に現れたのも、ましてやひなたの前に平川先生が現れたのも、時空の歪みなのでは、もちろん、二人に妄想癖がある、という前提があって、その妄想癖のところに時空が歪んで奇跡が起こったのではないかとちょっと思いました。
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