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ニュージーランドの震災を経て、がらりと変えた暮らしの話

いつかまとめようと思った体験を、大きな震災があったいま、振り返り書こうと思う。
大震災を経験して以来、暮らしを大きく変えたという方のお家に、すこしの間ご一緒させてもらう機会があった。

それは防災品を見直すとかいう次元ではなくて、まるでサバイバルライフな暮らしだった。

2011年2月22日。ニュージーランド南島の大都市クライストチャーチで、大きな地震があった。東日本大震災からすこしだけ前のことだ。
日本人を含めたくさんの犠牲者が出てニュースになっていたので、記憶にあるひともいるかもしれない。

2020年3月。わたしはこの町の近くでファームステイをしていた。(ファームステイについてはこちらの記事で触れているのでよかったら。)
10年近い時を経て、町はだいぶ復興してきていたが、この震災を機に暮らしを変えたひとも多いと聞いた。

わたしがステイしていたお家はかなり極端で、電気をひいていなかった。

水もタンクに溜めているものを使っていて贅沢には使えない。お風呂はもちろん、シャワーを浴びられるのは、夏でも2日に1回というルールだった。

冷蔵庫はなくて、食材はすべて常温保存。
屋根にちいさなソーラーパネルを置いていて、そこからクルマの中古バッテリーへと溜めたわずかな電気だけを使って生活していた。必要な時だけのすこしの灯りとケータイなどの充電に。

電波も弱くほぼ圏外で、Wi-Fiもない。そのため度々となり町の図書館へ、Wi-Fiと充電求めに通っていた。これはかなり不便だった。

そんな暮らしは初めてだった。

そんな、一見不便な暮らしを選んだのは、2011年の大震災がきっかけだという。震災を機に、暮らしを見直しがらりと変えたのだそうだ。

「この暮らしならまた同じような災害がおきたとき、動じず変わらず過ごすことができるわ」

更に続けてこう教えてくれた。
「地球にいちばん大きな負荷かかっているエネルギーは、廃棄される食品の処理なのよ」と。

「え、そうなの?」

それは本当なのか。真偽はわからなかったけれど、多大な負荷がかかっていることは確かだろう。

「その食品ロスの一番の原因はなんだとおもう?」と聞かれた。

「うーん、スーパーなどの廃棄?」と思ったけど、その答えは意外にも「冷蔵庫」だという。

冷蔵庫があるからわたしたちは安心して食べ物を買いすぎてしまうし、奥に眠らせ腐らせてしまうのだと。

だから冷蔵庫をやめ、さらには電気契約もやめ、ソーラーパネルだけで賄ってみることにしたのだそうだ。

その代わりに、常温保存できる粉物やお米、シリアルなどをたくさんストックしていた。庭では家庭菜園も。

「なにかあってもうちは食べ物に困らないわ」

そう話していた。

たしかにアナログな暮らしは強い。
でも正直この暮らしは、わたしにはちょっと極端すぎるようにも感じた。

食べたい冷蔵品があってもなかなか買えないし、ほこりの被った大量の保存食にもすこし違和感があった。よれよれの服にぼさぼさの髪は、お世辞にも美しいとは言えなかった。やっぱり多少のおしゃれや清潔感は気にしていたいし、人間らしさも大切にしたいと思った。

しかしこれは、あくまで当時のわたしが見て、暮らして、感じたことだ。ひとによって感じ方はさまざまだと思うし、もっと長く滞在していたらまた変わっていたかもしれない。
自分がなにを感じて、どうしたいと思ったのか。柔軟に色んな暮らしを受け入れると同時に、そこはブレずに大切にしたいと思った。ニュージーランドという異国の地で、常識の異なる何軒ものお家にステイさせてもらい感じたことだ。

そして1年ほどニュージーランドで家を持たずに旅する生活をしてきた中で、たくさんの物がなくても十分に楽しく生活できることが、体験としてすごく実感できた。

そしてこの家ように電力のない暮らしでも、充分に生活出来ることも実感できた。そのまま実践したいとは思わなかったけれど、学ぶことはもちろんたくさんあった。

日々の暮らしの中では、ついついものが増えてしまったり、便利なものにはどうしても惹かれてしまう。
けれど、実はそんなに多くのものは必要ないのだなと旅暮らしをして感じた。

これだけのものでも十分生きられる。これだけでも十分楽しい。

どんな暮らしが正解かなんてないけれど、これくらいで生きれる、このくらいでも快適に楽しめる、そういったことが体感できたことは大きかった。
便利を求めるばかりでなく、不便を知ることこそすごく大切で、気づくと大きな学びになっている。

だからまた、旅にいこうと思う。

それもなにかあった時のための、ひとつの備えになるかもしれない。

2024.1

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