星野智幸「正義」に依存し個を捨てるリベラルについて

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 星野智幸さんのこのエッセイ、唐突に左派リベラルをカルト認定したかのように受け取られていますが、そうではありません。11年前のエッセイは確かに右派のナショナリズム依存に対する批判なのですが、その批判のベースとなる経験には学生時代の新左翼セクトへの違和感が含まれており、単なる右派批判ではありません。
 星野さんのこのエッセイは政治学者丸山眞男の超国家主義批判の系譜にあると思います。晩年の丸山眞男はオウム真理教についてこう述べています。

「私(丸山)は全然驚かなかった。戦前は日本全体がオウム真理教のようなものだったから。外部では全く通用しない論理が、内部では絶対的真理になってしまう。日本には外部がないのだ」」。

 現代社会のカルト宗教も戦前日本の超国家主義と原理的に共通しているという丸山の批判は、星野さんの論理展開と似ています。そして同時に丸山眞男は左派に対しても同じ問題意識を持っていました。それは晩年の未完の「正統と異端」研究にあらわされています。そして星野さんも丸山と同じく、潜在的には左派のカルト性への警戒心はあったと思われます。

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 それにもかかわらず星野さんはなせ11年前のエッセイでは右派のナショナリズムだけを問題にしたのか。それはエッセイが書かれたのが2013年12月であることに起因しています。当時は在特会をはじめとするカルト的右派が脚光を浴びていた時期でした。そして右派を自認する安倍政権が2013年7月の参院選でねじれを解消し、本格始動した年です。星野さんのエッセイは特定秘密保護法が可決された半月後に書かれています。この情勢下で書かれた星野さんのエッセイにおいてナショナリズムの同調圧力に対する批判がメインに据えられているのは当然といえます。
 他方で、左派は当時どうだったか。311後の反原発運動のデモは左派主導ではありつつも、幅広い人々を結集しました。2013年はしばき隊が結成され、反差別運動はポピュラーでした。この時の左派は開放的であり、カルト的な閉塞を否定していました。だから星野さんは当時左派には言及せず、むしろ左派の主張に則る社会批評にのめり込んでいった。しかし2010年末頃から、星野さんは疑問を抱くことになる。実は左派もカルト化しており、知らぬうちに自分も同調しているのではないのかと。
 つまり11年間をまたいだ両エッセイの違いは、この間に左派が開放から閉塞へと転じたと、星野さんが捉えたことにあるのでしょう。かくして、左右ともに「超国家主義的カルト」の原理に飲み込まれたのだということでしょう。このように、星野さんのエッセイの意味は11年の時を挟んだことで、2010年代におけるイデオロギーと運動の変化を実感的に描き出したことにあります。ですからこのエッセイを単なる「正義否定」とみなすのは誤読です。彼が指摘したいのは、幅広い対話の中からこそ記号(正義)は生まれるのに、対話を否定し記号に依存している左派の倒錯についてですから。 

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 そしてここ数年前からこの正義依存というテーマが念頭にあった星野さんがいま筆をとったのは、おそらく都知事選がきっかけではないかと思います。「立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている」という星野さんの警告を、野党は真摯に受け止めることができるかが、問われています。

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