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三度目の妊娠と、初めての流産

※妊娠や流産に関する内容です。また、全て私個人の経験による内容なので、全ての人に当てはまるものではありません。ご自身の体調や治療に関することは医師にご相談ください。

23歳の夏、第二子を出産してから4ヶ月が経とうとしていた頃、三度目の妊娠が判明しました。
そして、その1ヶ月後に稽留流産と診断され、手術を受けました。

17歳の夏に第一子の妊娠が判明してから6年間、様々な出来事を経験して、辛いことも嬉しいことも色々あった中で、この夏の経験は、この先の人生で忘れられない出来事になると思います。

妊娠の判明

三度目の妊娠が判明したのは、第二子を出産してからもうすぐ4ヶ月という7月初旬でした。
それまでは月経困難症のためピルを服用していましたが、慣れない2人育児の忙しさで断続的に飲み忘れが続き、出血が起こってしまいました。
そのまま飲み続けて良いのか、リセットした方が良いのか判断に迷い、自己判断で一度生理が来てから新しいシートを始めようと考え、6月初旬に服用を中断しました。
自己判断は良くないとは理解しつつも、多忙とクリニックが遠方なのを理由に、判断を仰ぐために受診相談するのが面倒で、一旦生理が来ればOKでしょ!と自分を納得させて、その結果、予定外の三度目の妊娠となったわけです。

3人目を希望していなかったわけではありませんでしたが、少なくとも第二子が1歳を過ぎてから考えようとしていた矢先のことだったので、まさか!という思いが一番にきました。

初診と、稽留流産と診断されるまで

子どもたちのお世話をしながら、その頃始めたばかりのパートで、妊娠を意識する暇もあまりないまま、初診に行ったのは妊娠検査薬ではっきりと陽性を確認してから1週間後でした。
その時は胎嚢が確認できて、4週くらいと言われました。

その2週間後、再診に行ってエコーを見ると、先生から、赤ちゃんのサイズのわりに心拍が見えず、赤ちゃんの成長が止まってしまっているかもしれないが、最終生理日が不明なので時期的にまだ見えない可能性もギリギリある、というようなことを言われました。
妊娠初期の流産が決して珍しいことではないと知識はあっても、これまでの二度の妊娠は無事に元気な赤ちゃんを産んでいるし、自分はまだ若いからと、どこか他人事に思っていたので、実際に心拍の見えないエコーを目の当たりにした時は軽くショックを受けました。

1〜2週間後の再診を指示され、帰り道は呆然としていて、その日からはとにかく検索魔になりました。
これから心拍が確認できる可能性がもしかしたらあるのかも、と思う一方で、もうダメなんだろうという気持ちが7割方を占めていて、その日から常にモヤモヤとした気分で過ごしていました。

そんな時に、タイミングの悪いことに、勤務先の同僚が妊娠中であることをたまたま知ることになりました。
私が0歳児の育児中であることは周知の事実だったので、彼女から妊娠◯ヶ月の頃はどうでしたか?というような話題を振られて、その時は反射的に普通に受け答えしたものの、後からどんどん複雑な感情が湧いてきて、今思い返すとショックを受けていたのと思います。
私の赤ちゃんはダメかもしれないという気持ちと、彼女の赤ちゃんはちゃんと成長していて羨ましいという気持ち、そんな風に思ってしまう自分が嫌で、今までに経験したことのないドロドロとしたものでした。

稽留流産の診断

勤務先での出来事があった翌日、パートはお休みでしたが、その翌日の出勤が嫌で嫌でたまらなく、もう休んでしまおうと思っていた矢先、タイミングを見計らったかのように夕方から少量の出血があり、翌朝にかけて少しずつ増えていき、今までの妊娠で経験したことのない出血でした。あぁ、もうダメだな…と思いながら、勤務先に連絡してお休みを頂き、急遽かかりつけではなく地元の産婦人科を受診しました。

診察までの間は、もしかしたら心拍が確認できるかもしれないと期待する一方で、これはもうダメだろうと考えながら、その時のための準備もしていました。

いざ診察となり、やはり心拍は確認できず、胎嚢は5週くらいの大きさ(この時は順調であれば推定7週頃)と言われ、赤ちゃんは前回の診察の時よりもやや小さくなっていて、稽留流産と診断されました。

覚悟は十分して行ったつもりでしたが、いざそのエコーを目の当たりにして、稽留流産という言葉を聞いた時は、うわーっと悲しみがこみ上げてきて涙が止まりませんでした。

稽留流産と診断され、既に出血が始まっていることと、当日が夫の仕事がお休みだったので、そのまま流産手術を受けることにしました。
すぐに夫に連絡して病院まで来てもらい、手術まで1時間半ほど待つ間は、夫と過ごすことができて、ずいぶん安心できました。

流産手術

手術の時間が近づくにつれて、もうすぐお腹から赤ちゃんがいなくなってしまうと思うと辛く悲しかったです。
予定の時間になると分娩室に連れて行かれ、分娩台に寝かされ、次々と機械をつけられて、あっという間に麻酔がかかり、眠くなって目が覚めた時には1時間が過ぎていました。
しばらく麻酔の影響で頭がぼーっとしたり、ぐらぐらしていて、何よりトイレに行きたいのと、お股に詰められたガーゼの異物感で、悲しむよりも、そのことで頭がいっぱいでした。
頭がしっかりしてきた頃にやっとトイレに行けて、病室に戻りました。

その後は、不思議と赤ちゃんがいなくなってしまったと悲しくなることはなく、赤ちゃんの体はいなくなってしまったけど、その存在は消えてなくなることはないし、きっと空の上から見ているだろうと思えて、それは今も変わらないです。
それよりも、生まれてくるのを楽しみにしていた赤ちゃんに会えなかったこと、自分の赤ちゃんが亡くなってしまったことが、たまらなく悲しかったです。

術後は麻酔の影響や、子宮収縮の痛みがありましたが、術後1時間半ほどで体調は落ち着き、術後2時間半で無事に退院となりました。

手術後のこと

退院する頃には気持ちはだいぶ落ち着いたと思っていましたが、当日と翌日は、普段のテンションでいたかと思えば、次の瞬間にはボロボロ泣いているような状態で、気分の落差でひどく疲れていました。
さらに、子どもたちのお世話をする気になれず、どうでもいいと感じてしまったり、好きな音楽を聴くのも嫌になったり、鬱ってこういう感じなのかなと思うような状態も数日続きました。
1週間が経つ頃にはいずれもほとんどなくなり、ほぼ元通りの生活に戻りました。

それでも、街中などでお腹の大きい妊婦さんを見ると、どうしてもモヤモヤとした複雑な気持ちになってしまいます。そんな時は美味しいものを食べたり、夫や子どもたちの存在に慰められています。

先生の言葉

『赤ちゃんは短い命だと分かっていてお腹にやってきてくれた。そして先にひいおじいちゃんやひいおばあちゃんに会いに行った。だから、赤ちゃんが来てくれたことを忘れないで思い出にしてあげて。』

稽留流産と診断された時に、先生がかけてくれた言葉です。
これを聞いた時はただただ悲しくてボロボロ泣いてしまいましたが、この言葉のおかげでとても心が救われました。

嬉しい思い出

流産という結果は悲しいことでしたが、1ヶ月という短い間でも、確かに私のお腹には3人目の赤ちゃんがいて、それは嬉しいことでした。

三度目の妊娠は、悲しい思い出ではなく、嬉しい思い出として、私の心の中に残したいと思います。

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